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【enlightenment vol.1】自分はそのままでも価値がある。そう思わせてくれた場所がフォルケホイスコーレだった。
デンマークで175年の歴史を持つ独特の教育機関「フォルケホイスコーレ」
17.5歳以上であれば、いつでもだれでも入学でき、在学中はテストも成績も一切ありません。全寮制で、いろんな年代や背景を持つ人が一緒に暮らしながら学んでいくフォルケは、「人生を学ぶ学校」と言われています。
日本からすれば「普通」ではない学校。そして、学位も資格もないので、自分が学んだ価値が見えにくい学校でもあります。
でも、その「目に見えない価値」があるから、今でもたくさんの人がフォルケに通い続けているのだと思います。
今回はデンマークのフォルケホイスコーレ留学を体験した方との対話を通して、「フォルケで学んだ大切なこと」について一緒に探求していきます。
フォルケホイスコーレの詳しい情報はこちらから↓
今回のゲストは一宮沙希さんです。
インタビューでは終始穏やかな様子で、すごく肩に力が抜けている印象を受けました。この人と森に行ったら、心身リラックスできるんだろうなと想像したほど、一緒にいて居心地のいい人です(笑)。
さきさんが語る言葉も決して力説しているわけではないのに、心に刺さる言葉が多く、丁寧に話す言葉の裏にいろんな思いや葛藤を乗り越えた静かな確信を垣間見るようでした。
フォルケの生活はさきさんの心に何を灯し、残していったのか?
さきさんの丁寧で温かい言葉から追いました。
<ゲストプロフィール>
フォルケで体験した「対話」。自分の弱さをさらけだし、救われた。
ーさきさん今日はよろしくお願いします。早速ですが、さきさんはフォルケ生活の中で、「対話」がすごく重要だったと聞きました。
そうなんです。実は私、最初はフォルケ生活を楽しめていませんでした。フォルケの生活は何もない「空白」の時間がとても多くて、スケジュールも授業が午後3時に終わって、その後ずっとフリーです。だから、学校の生徒は時間を使って勝手にクラブ活動を始めたり、好きな場所で対話したりして、自分のやりたいことを作り出していました。でも、私はやりたいことが思い付かなかったし、言語の壁を感じて、デンマーク語で話している友達に話しかけることも出来なかった。私は活発に動く人と比べて「私は何もできていない」と感じて、「自分はなにしてるんだろう」とすごく悩みました。
それで、その悩みを自分一人で解決しようとしていました。ずっとパソコンのキーボードを叩き続けながら、「これを解決するために自分がやるべきアクションはなんだろう?」と分析していましたね(笑)。でも、全然解決されなくて、「自分はなんでここに来たんだろう?」と自分を追い詰めていきました。
ーその悩みはどうやって解決されたの?
強制的に話す機会があったことで解決しました(笑)。私が通ったフォルケホイスコーレでは授業以外の時間にみんなで集まって、ランダムな小グループを作り、自分の想いを話すという時間がありました。その時間では、今の気持ちを聞かれるので、強制的に自分のことを話さないといけない(笑)。でも、自分の悩みを話してみると、周りの友達が「なぜさきは自分がダメな前提で話しているの?」とか「そもそもそれやる必要があるの?」とかたくさん質問してくれて、知らぬ間に狭くなっていた自分の思考を広げてくれたんです。
デンマーク人はいい意味で対話にストイックです。私が「私はダメな人間だから…。」というと「そんなことないよ。あなたはすごく素敵だよ!」と返してきて、私は「いやいや、そんなことないよ…。」といって口論になる(笑)。時には、私が嗚咽するくらい、大号泣しながら話すこともあって(笑)。でも、その場にいた人はずっと背中をさすってくれたり、おいしいものを持ってきたりしながら、ずっと私の話に耳を傾けてくれました。そして、その後には必ず「共有してくれてありがとう。」って言うんです。デンマーク人の口癖なの!?レベルで(笑)。でも、そう伝えてくれることで、自分の弱い部分をさらけ出しても受け止めてくれるんだと思い、すごく救われました。
ー対話の中で、友達もさきさん自身も「弱さ」を受け入れていったんだね。素敵。
授業で知った「自分の意見を発信する大切さ」
ー他にもフォルケで印象的な授業はあった?
授業もすごくユニークでした。私は「uncovering denmark」というデンマークの文化を掘り下げる授業が大好きでした。その授業では、先生が「これはデンマークの文化を反映しているものだから」と4つのルールを提示していました。
① 間違えてもいい
② 弱みを見せていこう
③ 愚かな質問はない。どんどん聞いていていこう
④ 正直であるところに信頼は生まれる
授業でレクチャーはほとんどなく、授業の最初に自分の気持ちや考えていることをシェアする時間で、授業時間の8割が終わってしまうんです(笑)。
ーすごい。気持ちや意見をシェアする時間が「デンマーク文化」の体現なんだね。
そうですね。この授業のおかげで、「意見に正解はないんだ」と気づけて、自分の想いを発信する抵抗感がなくなりましたし、一緒に分かち合ってくれる人がいることに気づけて、すごく安心しました。そして、この授業を全校生徒の前で紹介することがったんですが、発表の最中に、自分にとってこの授業が大きい存在だと気づいて、泣いてしまったんです。でも、その発表の後に、今まであまり話したことがなかった子たちまで「すごくよかったよ」と声をかけてくれて、抱きしめてくれました。その時に、「自分の感情を出しても、こんなに受け入れてもらえるんだ」とすごく安心しました。
ー素敵…。安心して自分の感情に即した意見を発信する機会ってなかなかないもんね。
そうですね。でも、フォルケではそういう意見を発信する機会がとても多かったです。例えば、ジェンダーや人種に関する授業では、社会を変えるにはタブーを打ち破れ!みたいな超ロックな雰囲気で(笑)。みんなタブーとか関係なく、自分の想いを赤裸々に話していたんです。先生は「自分がおかしいと思った時は、笑ってごまかすんじゃなくて、ちゃんと自分の意見を伝えよう!」といつも話していて。それは自分のためだけではなくて、社会のためにもつながると話していたんです。差別発言とかをしてしまう人は、決して悪い人なのではなく、知らないからそう言っているだけ。だから、それを指摘せず、笑ってスルーしてしまう方が社会にとっては危ないという先生の言葉は今でも印象に残っています。だから、日頃から自分の想いを発信することの大切さを学んだし、鍛えてもらいました。そのマインドは今でも大切にしています。
自分はそのままでも価値がある。そう思えたから自分の感情と深くつながれた。
ー今までフォルケ生活の話を聞いてきましたが、さきさんはフォルケ留学を通して、何か変化したことはありますか?
大きな変化は「自分は今のままでも充分価値がある人間だ」と思えたことです。私は留学前まで人は価値のあることをして初めて、価値のある人間になれるという価値観を強く持っていたんですね。だから、フォルケで誰かにずっと助けられている私になんの価値があるんだろうと悩みました。でも、友達との対話や授業の中で、ダメダメモードな私を「あなたはそれで充分素敵だ」と受け入れてくれた。こんな私でも受け入れてくれる場所があるんだと気づけたから、「価値のあることをしなくても、私には価値がある」という価値観に変化出来たんだと思います。
ー「自分はそのままでも価値がある」と思えたことで、自分の気持ちも変化した?
そうですね。自分の感情と深く繋がれて、自分を客観的に見れるようになりました。今までは自分の感情とか、意見にもどこか「正解」を求めてしまうことが多かったんです。例えば、映画を見て面白くないと思っても、レビューの評価が高かったら「私が間違っているのかな…?」と思っちゃう(笑)。でも、フォルケ留学を通して、弱い所も含めた「自分」に素直になったし、自分の感情をちゃんと肯定できるようになりました。
おかげで、留学後の就活でも、自分が他人の意見や軸と違っても、ネガティブにならなくなったし、自分の意見もしっかり話せるようになりました。自分の感情の声を聞きながら、自分にとってベストな選択をするようになったので、今はすごく心地よく過ごせています。
ーフォルケの経験を通して、人生で何か選択するときにすごく実感できる学びだね。すごく素敵です。今日は本当にありがとうございました!
こちらこそ!ありがとうございました。
<聞き手のあとがき from compath 安井>
「価値のあることをしなくても、私には価値がある」
さきちゃんの言葉にどきっとしました。誰しもそうであるはずで、そう思いたいはず。一方で、そこまでの自己信頼を育める社会ではない現状がある。
心からそう思える体験をしました、と語るさきちゃんのしなやかな強さに惹かれる時間でした。
この体験が編み出された背景には2つの要素があると思いました。ひとつめは「評価も資格もない」ことを価値の中心としてぶらさないフォルケホイスコーレの立て付け。ふたつめは、個の灯りを灯すという語源のoplysningという言葉を「教育」の意味合いで使うデンマーク人に脈々と流れる価値観。
「価値のあることをしなくても、私には価値がある」という体験はどのように生み出しうるのだろうか。これは大人の学びだけでなく子供の学びにおいても、日本だけでなく行き過ぎた資本主義に危惧している世界においても、追究していきたい問いです。
(執筆/編集 compathインターン 外村祐理子)