まなかい;冬至 第65候『麋角解(しかのつのおつる)』
鹿に憧れる。
頭に2本も「木」が生えているから。
きっと角は依代。アンテナ。
そういえば、門松は一対だ。
赤坂氷川神社に奉納させていただいた「花手水」は、お正月らしくということで、横に渡した竹に一対の竹の器を立て、苔のついた槇、松、白梅を挿した。苔の生えた槇の古木はちょっと威厳のある角にも見える。松は千代の命を寿ぐ。
鹿の角は木にそっくりだから、あの角に花が咲き、葉っぱが生え、実がなったらと妄想する。
鹿の角はこの時期に落ちて、春にまた生える。本当に植物のサイクルと同じだ。
角がないということは、激しい闘いもない、休戦状態ということらしい。
熊といい、鹿といい、兎といい、動物たちも、冬には植物と同じように宇宙の律動に合わせて、粛々と生きている。それは斎み籠りであり、巡ってくる時を予感しての大切な時間なのだ。
僕たちはこうした時間を負の時間のように思って、何か悪いことのように、引け目を感じるようになってしまったけど、本当はそうではない。宇宙の律動そのままに”気”を合わせている彼らに見習うべきは多いはずだ。臆病な人間は、ガードを固め、武装して、視野狭窄に陥り、疑心暗鬼になっている。大きく成長した角がポロリと落ちるように、年に一回くらい落としてしまうのがいい。
生きることは、それだけで聖なること。死という不安を、いつか僕たちは手放せるのだろうか。
写真;shinichi tsukada