まなかい;冬至 第64候『乃東生(なつかれくさしょうず)』
「優しく癒す」が花言葉の乃東。「夏枯草(かごそう)」「靫(うつぼ)草」「空穂草」、5月頃から咲いてくるので「郭公草」など、複数の名を持っている。
この草は、夏至の初候と冬至の初候として名があり、生死一対で表されている。
冬の極まるとき、夏の極まるとき、それぞれでその生と死を思い遣る。日の光が最も弱まるとき、この草は夏の草原の輝きを秘めて既に震えはじめ、夏の極まった風の渡る草地では、花の跡がカラカラと鳴っている。
冬至とクリスマスの間が誕生日の息子に、花を贈った。
冬至の頃さく梅「冬至八重」、白玉椿という冬の花木、ブルーアイスというコニファーをベースにして、寒菊を合わせ、春を感じさせる香り高い蝋梅、フリージア、他にラナンキュラス、エリンジウムなど、冬の花と春の花で。
花を束ね、花を贈ることは、やはり特別なことだ。
花は心の形代。目には見えない心の代わりをしてくれる。
胸に抱いた花束を、手から手へ。するとパッと顔が華やぐ。何かが通じ合う。
世阿弥が「妙・花・面白」ということを書いている。
それは、能の奥義の一つだろうが、冬至の時の物語ではないかという説もある『天岩戸神話』に準えることができる。アメノウズメミコトが闇の中で躍り、顔を揃えた八百万の神々の笑う(割るに通じる)、重い岩戸を天照大神が僅かに開ける。すると闇の世界に一条の光が射し込み、タヂカラオが岩戸を引き開け、放り投げると、世界に光あふれ、窟の前に居並んでいた神々の顔が、白く輝く。そのことが「面白(メンパク)」だとされる。「妙」は闇とか黄泉に通ずる。我々の五感が触知しえない場所だが、生命が胚胎する場。そこからこの世に光と色彩が顕れる瞬間が「花」=「化」ということになる。
花はこうしていつの季節も、僕たちに新生の喜びをもたらしてくれる。
言葉では届かない、何かを伝えてくれることがある。
寒い冬に、荒んだ景色に、暗闇に、光を集めるごとき花束。
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