鳥居⛩めぐる 其ノ7「霧島神宮・秋の特別拝観」
鹿児島県霧島市の「霧島神宮」は、令和4年度に正式に社殿(本殿・幣殿・拝殿・附棟2面)が国宝指定された。
霧島山の噴火による社殿焼失で、1484年(文明16年)に高千穂河原から現在の場所に移された。現在の社殿は、1715年(正徳5年)に島津家第21代、薩摩藩第4代藩主の島津吉貴が奉納したものである。
「秋の特別拝観」は、国宝指定された社殿の拝観ができる。10月19日~28日まで行われていて、午前、午後各2回の予約制である。
神社晴れ女の私は、あいにくの空模様の10月20日にうかがった。しかし、前日に桜島噴火によって車に積もった灰は、移動中に雨とともに流すことができた。
拝観するにあたって、予習をした。まずは、「拝観」と「参拝」の意味のちがいから。「拝観」は神社、仏閣やその宝物などを、敬意を表してうやうやしくみて楽しむこととある。「参拝」とは、社寺にお参りしておがむこととあった。
しっかりと、観て感じて楽しもうと決意した。
拝殿にて昇殿参拝の儀が執り行われた。神職による祝詞奏上(のりとそうじょう)、お祓いの儀のあと、代表者の玉串奉奠(たまぐしほうてん)があった。その後、前方にある幣殿、そこから見上げる本殿を拝観した。
案内によると
拝殿、幣殿を経て急こう配の階段の最も高い位置に本殿がある。本殿は桁行(けたゆき)5間、梁間(はりま)4間、(1間は1.818m)入母屋造り、銅板葺きで、天上、壁、柱は、丸彫りや彫刻や絵画で装飾してあり、漆塗り、朱塗りで仕上げている。
300年以上前の建造物にこころ踊るが、その保存状態の良さからも、文化を大切にして、伝承する思いに触れた。
壁、天井、柱の装飾は色鮮やかで、何色と言葉で表現することは難しい。色彩のひとつひとつがこの空気感のために存在しているという印象であった。
拝殿、幣殿を経て階段上の本殿中央に、主祭神の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、隣には木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)が祀(まつ)られている。
見上げる頭上は薄暗い。深く透明感のある蒼い光が、中央から放たれいると感じる。それは光のない深海から、うっすらと見える太陽を探しだしたような安心感と似ている。
この本殿にいる二神は、後方の山神社に祀られている父の大山祇神(おおやまづみのかみ)に見守られていることになる。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)と姉の石長比売(いわながひめ)を大山祇神(おおやまづみのかみ)から貢進されたが、「みにくい」という理由で姉神のみ返している。また、木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)が、一晩の交わりで妊娠したことに対して「自分の子かと疑う」や、それによって「火中出産」に至った神話がある。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)はこの場に鎮座していて、目には見えない圧力感、もしくは肩身の狭いおもいはしていないだろうか。と気になったが、神の世界は、現代の考えには及ばないのだったと思いなおした。
帰り際、神職に幣殿にある、龍柱の2体の龍のうち、1体は口を開き1体は口を閉じていることについて尋ねると、「阿吽の呼吸」(あうんのこきゅう)を表しているということであった。
神話のなかで、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)は、結婚から出産にかけて、いろいろあったが、その後は「阿吽の呼吸」でお互い助け合ったのであろうと確信した。
今回の特別拝観は、国宝指定に伴って行われたとのこと。次回は未定とのことであった。
300年以上前の建造物を観て楽しむことも出来たが、神様同士のその後の関係性についても、色々想像して楽しむことができた。
霧島神宮
鹿児島県霧島市霧島田口2608−5
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