見出し画像

まるで神のお告げ


↑こちら、JO

JOがうちに来るずっとずっと前から、「あー、いつか猫飼いたいなー」と思ってた。
あくまで、思っただけ
動物嫌いの母持ちだし、ペット不可のマンションに住んでたし、自分の世話で精一杯だし。無理もない。

だた脳内シミュレーションはもうめちゃめちゃしてた。
まずペット相談可の物件を探すでしょ
いろんな不動産屋から連絡が来るでしょ
その中でまあ信頼できそうな不動産屋に行くでしょ
不動産屋さんの華麗なるセールストークに耐えるでしょ
果てしない内見、検討、そこから契約、手続き、引っ越しの見積もり、荷造り、エトセトラ・・・

考えるだけで卒倒しそうです。

しかもそこそこお花畑脳だから、心のどこかで運命的な出会い方に憧れてもいた。

「路地裏でたまたまで遭った仔猫に懐かれ、家まで付いてこられたものの、『うちのマンションはペットがダメなんだよ』と断るも、その子を放っておけなくて毎日密会を重ねそのうち危険な同棲生活が始まる」とか。

ね。

当時のマンションの近くには野良猫がたくさんいて、その中でもよく会っていたのがハチワレの子だった。
遭遇しては意味もなく立ち止まって見つめ合ってたな。
でも責任が取れないから、優しくしちゃいけないと思って見せた背中は、きっととてつもなく冷酷だったでしょう。

だからその頃は、本当は猫を飼うことなんてないんだろうな、と思ってた。



ところが「きっかけ」っていうのは油断している時にやってくるんだよね。

かくかくしかじかで、その後しばらくして彼氏ができた。
明るく愛嬌たっぷりなところに惹かれたんだけど、ふたを開けてみたら、とんでもないぐうたら男だった。
しかもどうやら私への「好き」は10年も続いた大恋愛が終わった直後の喪失感と寂しさを埋めるためのものだったらしい。
交際が1カ月も経つと、彼はうちに来ては寝転び、YouTubeを見ながらゲラゲラ笑ってばかり。

おいおいおい、ワシはカモに見 え ま す か?
見えたでしょうね!

いやー。きっついわ。

しかしもう遅い、(一応は)主な活動地域でいろいろ足跡を残してしまった。最寄り駅のスーパーとかね。もう終わりにするなら、活動地域ごと捨てるしかないな、という結論に至った。

そして、ビビッときた。

あれは、そうですね。まるで神のお告げ。
「汝、猫を飼え」

たしかに!いまこそ猫を迎える絶好のチャンスじゃねぇ?

それから保護猫コミュニティや譲渡会にいろいろ参加してみましたが、やはり条件が厳しく、そこらで猫ちゃんを迎えることができなかった。
結局、普通にペットショップでJOと出会い、家族になりました。


お子ちゃまながらも力強い眼差し

夢も運命もなかったね。
いうなれば、絶対自由恋愛がいい!と日頃主張している人は結局見合い結婚って感じです。
ネガティブな意味じゃない。
見合い結婚のラブラブ夫婦も普通にいるし、いいなと思います。

不安がなかったわけじゃない。
自分の世話に加えて猫の世話はこなせるのか、とか。
トイレのしつけが上手くいかなかったらどうしよう、とか。
(お恥ずかしいですが、散らかしの達人の元カレに怒鳴った前科あり)

実際にお迎えしてすぐは何度も何度も泣かされた。
特に初めてお風呂に入れたときは激しく抵抗され、腕、胸、顔など複数箇所でそこそこ深い傷を負い、年末の一人暮らしの部屋で大泣きしました。

それでもだんだん知恵と慣れがついて、いまはもうすっかり息ぴったりの仲良し。大運動会に巻き込まれて負傷しても、諦め半分で「この~!」と言えるぐらいの余裕ができた。
(猫飼いさん界隈ではこれが普通と思いますが、何年か前に元カレに怒鳴る私はきっと想像していなかったでしょう!)

そして、たくさんたくさん救われた。

例の元カレとの恋愛は確実に不毛だったし、楽しさよりもムカつきが遥かに上回ってたけど、その人と出会ってよかったと心の底から思う。
結果的にJO(そしてBO)と出会えたから。

こんなふうに思えるのは、結果が良かったからかもしれないけど、「神のお告げ」を大事にした結果なんじゃないかなと思う。

その「ビビッと」くるのは何か良からぬことが起きた時かもしれないけど、それを掴んで前に進んでみるのも悪くないかもしれません。

無職のいまも、微かに聞こえます。
「汝、堅実にやれ」と。

なんとも曖昧なお告げ。おかげで不安いっぱいですよ、神様。
でもどんな未来が待っているのか、少しは楽しみです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集