【第665回】『二重生活』(岸善幸/2016)
カーテンを開け、薄明かりに照らされる東京の朝、白いベッドに眠る若いカップルの姿。先に目覚め、欲情した鈴木卓也(菅田将暉)はまだ目を開けられない白石珠(門脇麦)の上に覆い被さる。コンドームを付けてと窘められるカップルの荒い息遣い。やがて彼氏をシャワーに行かせたヒロインは3階のベランダでタバコを吸いながら、向かいの豪邸に住む親子に視線を移す。補助輪なしでフラフラしながらも、数m走る幼い娘。その背中を夫婦は厳しくも優しい眼差しで見つめていた。大学院で哲学を学ぶ珠の部屋に、ゲーム・デザイナーの卓也が転がり込み、2人の同棲生活が始まった。四畳半一間ではなく、2LDKの部屋は少し広いが、互いのデスクは背中合わせに置かれている。「週末に焼肉でも食べようか」午後7時に駅ビル前で会う約束をした2人は、貧乏だが穏やかな生活を送っていた。ゲーム・デザイナーの夢を追う彼氏には何の不安もないが、モラトリアムな彼女は大学院の博士論文の題材に苦悩していた。2人同時に家を出たところを、管理人さんに呼び止められる。相次ぐゴミのマナー違反に怒り心頭の管理人さんは、監視カメラを付けることにしたとカップルに話しかける。所属する大学の教授であり、卒論の指導教官でもある篠原教授(リリー・フランキー)の授業、「ここに在るとは一体何なのか?」という言葉を聞きながら、モラトリアムな珠は自分自身に語りかける。「何年か前から人を尾けることに興味がある、だがその人に興味があるわけではない」というフランスの女性現代美術家ソフィ・カルの冒頭の言葉は、白石珠の興味半分の行動とも結びつく。
隣家に住む人間を覗き見た主人公が、やがて事件に巻き込まれる映画と言えば真っ先にアルフレッド・ヒッチコックの『裏窓』が思い出される。近年でも自宅軟禁処分中に隣家を覗き見るD・J・カルーソーの『ディスタービア』や、深夜、マフィアの組織をOLが監視したジャック・オーディアールの『リード・マイ・リップス』などがあったが、今作でも博士論文の題材に難儀した白石珠は篠原教授の勧めもあり、隣家に住む石坂史郎(長谷川博己)の生活を覗き見る。代々この地に住む石坂家は大地主だったが、母親が死に、史郎一家は4年前にこの地に移り住んだ。若くして大手出版社「英林出版」の部長を務めるやり手の史郎には、愛する妻の美保子(河井青葉)と一人娘の美奈がいた。絵に描いたような幸せな暮らしを続ける夫婦だったが、夫には家族には見せない別の顔があった。篠原教授は本棚に納められたソフィ・カルの『本当の話』を仰ぎ見ながら、珠に「理由のない尾行」の重要性を訴える。この教授の理屈が今ひとつ乗り切らないのも事実だが、やがてヒロインの白石珠だけではなく、篠原教授も哲学の研究を数十年続けながらも、どこにも辿り着けない漂流社であることが明かされる。映画は開巻からちょうど半分を折り返したところで、それぞれの人間のむき出しの感情を露わにする。稼ぎはないが、それ以外は珠を献身的に支える卓也に稼ぎ以外の欠点など何一つないが、後半、彼女の精神を蝕んでいたある秘密が明らかにされる。
今作では電話の着信がことごとくすれ違い、互いの感情はどんどんズレて行く。自分自身のアイデンティティを探そうともがき苦しむヒロインに対し、男たちは誰一人として彼女に道を指し示すことが出来ない。サスペンスフルな展開を見せた前半部分に対し、中盤以降はとにかく登場人物たちの行動の一つ一つが空虚に思え、モラトリアムをとっくに過ぎた大人たちは愛に縋り、同時に愛に迷い漂流する。個人的には絵に描いたような最低人間を演じた石坂史郎よりも、金はないが夢がある鈴木卓也の方が遥かに魅力的な人物に映るが、危険な男に惹かれるのが女の悲しい性なのかもしれない。たくさんの人が行き交う東京の絶望的な寂しさや人と人の繋がりの空虚さを明らかにしながら、イミテーションした間柄は各人が愛に縋り、傷つき深い喪失感に苛まれる。一貫して父性の喪失を抱えた主人公は実は石坂史郎の娘・美奈と合わせ鏡のような関係にある。女たちが自立し、前に向かい歩いて行く一方で、男たちは挫折し、しばし塞ぎ込む。原作者・小池真理子が据えた男と女の本質は世知辛いが胸に突き刺さる。イケ好かない嫌な奴を演じた長谷川博己、モラトリアムな彼女を支え、共に人生の迷いの時期を乗り越えるはずだった菅田将暉、珠に哲学的に人生の醍醐味を教えながら、実は人生の黄昏時を迎えていたリリー・フランキーと珠の成長を支えた3人の男たちの絶妙なキャスティングが光る。