【第494回】『クリーピー 偽りの隣人』(黒沢清/2016)
シネスコ・サイズの横長画面に切り取られた取調室。縦に伸びる窓枠の印象的な構図、そこに俳優たちの4文字の漢字が1字ずつ組み込まれた導入部分の見事な構図。そこからカメラはゆっくりと後退し、連続殺人犯である松岡(馬場徹)の静かな独白が始まる。サイコパスの理路整然とした巧みな話術を、時に鋭い問いかけも織り交ぜながら、あまりにも興味深い表情で見つめる刑事の高倉(西島秀俊)の姿。彼はその話術に少しも怯むことなく、犯罪者の心理に寄り添う。薄暗い廊下でのしばしの休憩。角を曲がり、後輩刑事の野上(東出昌大)が近付いてくる。「松岡の身柄引き渡しが始まります」「待ってくれ、俺はもう少し松岡の話が聞きたいんだ」そのやりとりの最中、一瞬の間隙を縫って松岡は一般人を人質に取り、首元にフォークを突きつける。まるで『ドレミファ娘の血は騒ぐ』の大学構内のような大階段から二股に伸びた広い踊り場、松岡は人質を立てにして刑事たちを脅している。絶体絶命の状況の中、ゆっくりと階段を駆け上がる高倉の姿。凶器(フォーク)を渡しなさいと落ち着き払った表情で応対する高倉の姿に一旦は往じるかに見えた松岡だったが、次の瞬間、惨劇は起こる。黒沢清の映画ではしばしば刑事たちが判断を取り違える。『復讐 運命の訪問者』では小日向文世とガサに入った哀川翔は犯人の自殺という最悪の結末を迎えた。『カリスマ』では「世界の法則を回復せよ」という謎めいたメッセージを残し、犯人は絶命する。今作も高倉の判断ミスによる惨劇は、1人の一般人の死傷者を出し、それが元で高倉は刑事を辞め、犯罪心理学の大学教授へと転職を果たす。
冒頭のサイコパスの突発的な衝動殺人は、真っ先に出世作『CURE』や『叫』のような合理的には理解出来ない不穏さを醸し出す。『CURE』において間宮の問い掛けがやがて、刑事であった高部さえもモンスターに仕立て上げたように、静かな伝播が人間の裏側をあぶり出す秀逸な展開が息を呑む。主人公の高倉とその妻(竹内結子)の引っ越してきた中古住宅は、三軒の家が立ち並ぶうちの一番左側に位置する。目の前の道路を工事現場のフェンス越しに道なりに進んだ先に田中家があり、盛り上げられた砂利道を奥へと進んだところに得体の知れない不気味な隣人・西野(香川照之)の家がある。印象的なのは雑草の生い茂った西野家の庭先、それに正面の門を5歩ほど下がった左側にあるガレージの半透明カーテンの風に揺れる光景。これらが左右にたなびきながら風に揺れる姿は、黒沢作品を決定づける予兆として立ち現れる。その日は残念ながら留守だったこの家の住人が静かに顔を出した時、そのシルエットの輪郭はぼんやりと黒い影を鮮明にする。「もしかして1個1000円とかするチョコレートですか?」あまりにもあっけらかんとした意表を突くような言葉に、我々は康子と同様に胸騒ぎを覚えずにはいられない。高倉夫婦の道程を懇切丁寧に伝える前半部分の空間把握。西野の家の真横に建てられた鉄塔。これまで黒沢映画は、賑やかだった生活空間が廃墟となる瞬間を何度も描写してきた。『CURE』における間宮の部屋。『叫』における赤い服の女が佇む川岸の屋敷を例に挙げるまでもなく、『LOFT』において、主人公礼子の新居に隣接する間宮の屋敷、『勝手にしやがれ!!』シリーズにおいて、哀川翔と前田耕陽が過ごした土地など、賑やかだった生活臭の薄れゆく廃墟を様々切り取ってきた。そもそも今作の雑草が生い茂った西野家は、真っ先に『スウィートホーム』の洋館前を彷彿とさせる。この空間のロケーションの妙と辺りに漂う不穏さが、徐々にボディ・ブローのように効いてくるのは云うまでもない。
東洛大学の助手・大川(戸田昌宏)の何気ない調査から、日野市一家失踪事件に繋がる滑らかな時間経過。野上と高倉が結託して、事件の暗部に踏み行った時、どういうわけかそこに事件の当事者である早紀(川口春奈)が既に現場にいるのを目撃した時、映画は取り返しのつかない漆黒の闇へと簡単に登場人物たちを落とし込む。家族との別れの現場を呆然とした表情で見つめる早紀の表情、それを後ろから立ち尽くし見つめる野上と高倉の姿、スーツ姿の2人の男の来訪を最初は不気味がり、拒絶する早紀の気持ち。足を踏み入れた瞬間、刑事時代の勘が警告した日野市一家失踪事件の現場の状況。そこからカメラはふわりと真上へと上昇し、建物の屋根を据えた印象的な建築造形と空間把握出来るところまで、クローンでゆっくりと上昇する。浮かび上がるコの字形の造形、不意に斜めから私鉄電車が通過する印象的な光景を冷静に据えた芦澤明子のカメラワークの素晴らしさ。ここに90年代の黒沢映画とは決定的な差異を観ることが出来る。それと共にこれまでの黒沢映画を踏襲するパーツとして、西野の部屋の造形が立ち現れる。玄関を入った瞬間、右側に地下に至る階段、コンクリートの打ちっ放しの廊下の先に拡がる頑丈なドアを持つ空間は、明らかにトビー・フーパー『悪魔のいけにえ』を彷彿とさせる。思えば西島秀俊にとって、黒沢映画初主演となった『ニンゲン合格』において、加害者である大杉漣が突如豹変し、ポニー牧場を破壊するのは『悪魔のいけにえ』におけるレザーフェイス同様のチェーンソーだったはずである。また『DOORIII』において、藤原家を訪れた諏訪太朗が、鉄の扉を開けると惨劇の犠牲者になった。今作における西野の部屋も、明らかにトビー・フーパー『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスの部屋へのオマージュとして登場する。死体解剖シーンを撮れば確実にR指定になるが、真空パックにするという斬新なアイデアが素晴らしい。
これまで役所広司×風吹ジュンや哀川翔×大沢逸美、役所広司×中川安奈として90年代に度々登場した夫婦の食卓は、西島秀俊と竹内結子で何度も反復される。妻が腕によりをかけて振る舞う渾身の手料理に対し、あまり関心のない高倉は特に大きな感慨もなく、口へと運ぶ。この時点で、高倉夫婦の亀裂は明らかなのだが、連続殺人犯の深層心理に盲信する高倉には、夫婦の未来などまったく興味・関心がない。高倉の「本気で君を守るから」という便宜上の言葉は、これまでの黒沢作品同様に、「どこか遠くへ行こう」という主人公の言葉同様に、漠然としている。それゆえに終盤、妻の康子が唐突に口に出す「もうとっくに、色んなことを諦めちゃったのよ」という言葉の持つ意味は重い。早紀が祖母と住むオンボロな安アパート。階上階下の光景は明らかに『蜘蛛の瞳』における階下に住む哀川翔と階上に住む佐倉萌のやりとりを彷彿とさせる。それにしても川口春奈を追う高倉の常軌を逸した執拗さはとっくに理性を超え、サイコパス同等の得体の知れぬ恐ろしさに向かいつつある。『アカルイミライ』において浅野忠信に見るも無残に惨殺された笹野高史が、ここでは主人公の高倉のただ一人の理解者として登場するが、呆気なく敵の毒牙に落ちる。果たして妻がどのように西野の毒牙に落ちたのかは遂に明らかにされることはない。印象的なトンネルの場面、西野に手を握っていいですかと聞かれた康子の戸惑いと微かな希望。クライマックスで腕によりをかけて作った料理ではなく、ただ有り物のクッキーを高倉の口元へ運ぶ康子の姿に、うっかりと涙がこぼれた。スクリーン・プロセスによる疑似家族の描写は、『CURE』の精神病院への道程を超えた感すらある。今作は2002年に起きた北九州監禁殺人事件を参考にしながらも、フライシャーのようなリアリズムのベクトルには向かおうとしない。90年代の傑作群への回帰を絶賛されながら、それに100%賛同しかねるのは、ラスト・シーンの意表を突く展開に負うところが大きい。『CURE』や『叫』のタームを踏襲しながらも、黒沢清は明らかに新しい次元へと歩み出している。
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