【第401回】『鬼軍曹ザック』(サミュエル・フラー/1950)
1個の穴の開いたヘルメットが地面に置いてある。タイトルバックが終わるとヘルメットがゆっくりと上がっていき、苦みばしった男の雄姿が顔を見せる。彼の顔は戦場の土と砂煙ですすけており、微かに葉巻を咥えている。原題を「THE STEEL HELMET」というこの物語は、文字通り「鉄兜」を被った軍曹の物語である。銃弾の穴が貫通し、ヘルメットの効果を成さないその鉄兜が、軍曹にとっては勲章であり、ラッキー・アイテムとしての縁起担ぎにもなるのである。これは言うまでもなく、生き残りの象徴としての兵士の物語なのだ。ザック軍曹の部隊は敵の奇襲に合い全滅し、唯一生き残ったのはまたしてもザックだけだった。そこに遠くから物音が聞こえ、敵兵襲来と踏んだ彼は土の上に伏せ、死んだふりをする。その彼を無理矢理起こし、介抱したのはショートラウンド(ウィリアム・チャン)という名の朝鮮の戦災孤児の少年だった。サミュエル・フラーは実際に第二次世界大戦中に勲章をもらうような筋金入りの兵士(歩兵)だった。その経験を生かし、朝鮮戦争中に敵陣の背後で孤立した米兵の1分隊をでっち上げる。ザックはアメリカの戦時下の英雄でありながら、ここで朝鮮戦争孤児の少年に掬い上げられ、彼と行動を共にしていく。そんな2人の彷徨に今度はトムソン伍長(ジェイムズ・エドワーズ)という黒人兵士が目の前に現れ合流する。今作は朝鮮で孤立した兵士が、朝鮮人の少年と黒人に助けられる物語なのである。
だが戦争映画とはいえ、予算と撮影日数の制限はいかんともしがたい。映画は始まりから敵の砲撃の音はするものの、その弾は一向に飛んでくることがない。何やら茂みの奥にいるらしいことが明らかにされるのだが、茂みの向こうは靄がかかっていてよく見えないのである。セット撮影の制約からかロング・ショットもなく、映画は味方たちの表情をクローズ・アップで据える。そうこうしているうちに、ザックはドリスコル中尉(スティーヴ・ブロディ)を隊長とするブロント(ロバート・ハットン)、タナカ(リチャード・ルウ)の部隊と合流する。中盤から彼らは仏教寺院を目指して彷徨い歩くが、実際にその寺院に着いてみると何とも貧相な建物に書き割りのような仏様が鎮座している。フラーは戦争そのものよりも、彼ら1人1人のキャラクターや背景を丹念に描こうとしている。髪が全て抜け落ち、育毛剤をつける白人兵、真面目な日系兵士、無口な兵士など様々な個性溢れる兵士たちがここに集う。寺院での束の間の会話の中で、朝鮮戦争に参加することになった兵士たちの思いが滲んでいる。途中のオルガンによる『ホタルの光』と朝鮮人少年の熱唱はなんとも言えない名場面であろう。そこに兵士たちのこの戦争への思いが色濃く投影されるのである。
隠れている北朝鮮将校を逮捕し、ショートラウンドとともに司令部へ護送しようとした矢先に悲劇は起こる。問題は捕虜の死よりも、その後の激昂したザックによる北朝鮮将校の殺害であろう。ジュネーブ条約を守っていたはずのアメリカ人が、その条約を無視して殺害していたとなれば軍法会議にかけられるような大問題だが、フラーは戦争というものは道理の通じないものであるということを声高に叫んでいる。実際に今作が封切られた時期はマッカーシズム溢れる雰囲気であり、戦争のタブーをストレートに描いた今作は真っ先に糾弾された。しかしながらそのことがかえって全米中の注目を集めることとなり、映画は独立系プロダクションのB級映画としては記録的なヒットとなる。余談だが、『インディ・ジョーンズ』シリーズのパート2『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』において、主人公のインディについてくる キー・ホイ・クァンが演じた中国人の少年は、今作の朝鮮の戦災孤児の少年と同じ「ショートラウンド」と名付けられている。あの映画でスピルバーグとルーカスは、サミュエル・フラーというB級映画の大先輩にオマージュを捧げているのである。
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