【第472回】『恋恋風塵』(ホウ・シャオシェン/1987)
トンネルの暗闇を抜け、両側に新緑が生い茂る山道を列車はゆっくりと走る。幼馴染の少年アワン(王晶文)と少女アフン(辛樹芬)は席に座らずに、銀色の手摺と白い吊革に掴まりながら、互いに言葉を交わさず、じっと教科書に目を通す。トンネルに入り真っ暗になり、再び光が差した時、アフンはふと「数学のテストが出来なかった」と書籍に目をやりながらアワンに漏らす。駅に備え付けられた信号、プラットホームに青い列車が到着する。線路伝いに2人は歩くと、馴染みのおばさんから母親に宛てた米を託される。少年はそれを肩に担ぎ、代わりに少女が少年のカバンを肩にかけて歩く。やがて夕闇照らす田舎の村の光景に、草むらにくくりつけられた白い布が風にたなびく。どうやらここで映画が上映されるらしい。アワンはアフンの一個上の中学3年生。幼い頃から兄弟のように育てられた2人。隣合う家までアフンを送ると、アフンの母親が「父さんはいつ退院するの?」とアワンに聞く。少年は知らないですと答える。小高い丘、急な石畳の階段を登ったところにある2人の家。遅い夕食を取るそれぞれの家族。祖父のいつもの説教が漏れ聞こえてくる。
導入部分にそっと忍ばせた父親の炭鉱での大事故の予兆、それが具現化するプラットホームを息子の肩に担がれながらゆっくりと歩いてくる痛々しい父親の姿が、たちまちアワンの人生を狂わせる。一家の大黒柱、長兄としての責任。『風櫃の少年』とは対照的に、ここでは健気な少年の責任感がこれ以上の勉学の夢を思い留まらせる。優秀だった学業の挫折。こうしてアワンとアフンは1年間離れ離れになり、アワンは生まれ育った炭鉱の田舎町から、遠く台北へと出稼ぎに出る。ここでは主人公の造形に、初めて外省人ではなく、内省人の設定を施す。『風櫃の少年』以降の3作が監督の自伝的内容だったのに対し、今作は脚本家の人生を基調にしている。台北のプラットホーム、アフンはアワンに遅れること1年、台北にやって来る。妹のような幼馴染みとの再会、理不尽な都会の洗礼が早くもアワンの生活に亀裂を走らせる。映画館の裏での質素な暮らし、数少ないアワンの友人たちのお祝いの席、アフンが父親に託された防水のタイメックスの腕時計。箱を開けた瞬間、思わず言葉を失うアワンの姿。翌日、アワンは両親に感謝の手紙を送る。仕立て屋の階段の格子状の出窓。その僅かなスペースだけがアワンとアフンの唯一のコミュニケーションの場。仕立て屋の仕事に慣れないアフン、印刷屋から運送業に転職したアワンの焦燥感、二度と戻らない青春の日々はこうして残酷にも過ぎ去っていく。
手も握れないプラトニックな恋、ブラウスを脱いだ少女の姿に戸惑う青年の表情。幼い頃からずっと側にいるのが当たり前のように育った2人には、互いの関係性を壊すのが怖く、恋愛に踏み出す勇気などない。親友の兵役前のパーティ、ほろ酔いのアワンがちらっと見据えた少女の表情。アフンの左手の火傷、アワンのバイク盗難から補償により、果たせなかった2人での2度の帰郷が、ゆっくりと彼らの想いに距離を作る。やがて訪れるアワンの入隊、仕立て屋で経験を積んだアフンの縫製したシャツは、実際の彼の肉体とはかけ離れ、少し大きい。縫製し直したシャツを渡した当日、予期していなかった入隊の報せが、残酷にもアワンとアフンの仲を引き裂く。毎日届くアフンからの手紙、ビリヤード場で一人ポツンと正気を失った表情で座るアワンの居眠り。転居先不明で転送された手紙の束、アワンの慟哭。フラメンコ・ギターの音色、風に揺れるシーツに映し出された李行の『あひるを飼う人』のショットの数々、どこまでも青い空、揺れる風などの自然の情景が、人間の営みとは無縁に悠久の時を彩る。幾千年もの時を見つめてきた土の上で、祖父はタバコをくゆらしながら、静かに主人公に語りかける。移ろいゆく季節・想いがひたすら胸を締め付ける青春映画の傑作である。