【第483回】『ムーンライズ・キングダム』(ウェス・アンダーソン/2012)
すっかりお馴染みになったウォルト・ビショップ(ビル・マーレイ)家のドールハウスのような断面図。幼い弟がゆっくりと階段を上がると、木製の棚に置いてある水色のポータブル・アナログ・プレイヤーを子供部屋の真ん中に置く。ベンジャミン・バトンの『青少年のための管弦楽入門』のレコード、ヘンリー・パーセルの『アブデラザール』の変奏曲とフーガ、大きな部屋中に響き渡るオーケストラの美しい調べ、やがて子供たちは吸い込まれるように子供部屋に集まってくる。奥にあるレコード棚の上に横になるミニスカートの少女。アンニュイな表情でレコードを聴く様子は、まるでライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『シナのルーレット』の導入部分を思わせる。彼ら3人の弟たちの姉であり、ませた少女スージー・ビショップ (カーラ・ヘイワード)は白いレースのカーテンを開け、窓辺から双眼鏡を覗く。ここでは処女作『アンソニーのハッピー・モーテル』の導入部分以来、双眼鏡というガジェットが登場する。密かにポストを開き、自分宛の手紙を受け取ると、庭にある木製の小屋で愛する人の文面を一生懸命に読む。唐突に現れる少女のカメラ目線。一方キャンプ地にあるボーイスカウトの現場、ウォード隊長(エドワード・ノートン)の忙しない平面的な横移動は、『ファンタスティックMr.FOX』での冒頭の夫婦の盗みの場面を彷彿とさせる。ボーイスカウトメンバーたちの間の抜けた行動の数々。木製の長テーブルに座った一同は、サム・シャカスキー(ジャレッド・ギルマン)が朝飯に来ていないことに気付く。55番の三角形のテント、急いで下ろされるファスナー、しかしそこに彼の姿はない。こうしてニューイングランド島を舞台にした「ボーイ・ミーツ・ガール」な逃走劇が幕を開ける。
サム・シャカスキーとスージー・ビショップ、2人の出会いは1年前に遡る。ウェス・アンダーソンらしい演劇の舞台。ステージで繰り広げられる光景に退屈したサムはバックステージに潜り込む。たくさんの衣装を掻き分けた先に、運命の少女が待ち構えている。淡い思い出にまみれた実に初々しい一目惚れ。ウェス・アンダーソンの映画では常に、登場人物たちは雷に打たれたような天啓を得る。その瞬間から、恋する思いはフル・スロットルで駆け抜けていく。今作でもサムの投函したラブレターに、双眼鏡を片手に待つスージーの交換日記、全身真っ黒いカラスを演じた少女は、ピンクのミニスカートを履いて少年のアプローチを待つ。だが少年と少女の理想的な「ボーイ・ミーツ・ガール」は彼らの両親、警察、ボーイスカウトの隊長らを巻き込んで、大きな波紋を生んでしまう。これまでのウェス・アンダーソン作品で時に幸せそうに見える家族が、実はボロボロで崩壊寸前だったように、サムもスージーの家庭も共に厳しい状況に置かれている。サムは両親が早くに他界し里親に育てられているが、度々問題を起こし、子供にも関わらず里親に三行半を突きつけられている。スージーの父親は『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』でもお金持ちの父親を演じたビル・マーレイであるが、裕福な家庭環境に対し、長女であるスージーの心の闇は一向に晴れない。親と子の対照的な構図はこれまでの作品同様に、子供じみた大人たちと、大人びた子供たちの対比として強調される。ビル・マーレイ扮するウォルト・ビショップも、ブルース・ウィリス演じるシャープ警部も、エドワード・ノートン演じるウォード隊長も、男としては半人前であり、一向に理想の大黒柱(父性)にはなりきれていない。
スージーの首にかけられた双眼鏡、岩場にポツリと設営された黄色いテント、水色のレコード・プレイヤー、仏製のブリジット・バルドーのレコード、読書家なスージーの愛読書や地図の俯瞰ショットなど幾つもの印象的なガジェット。窓から身を乗り出しての高低差のある会話シーン、「ボーイ・ミーツ・ガール」な淡いフレンチキス。ニット帽にオレンジのパーカーを羽織ったナレーター(ボブ・バラバン)の姿はまるで『ライフ・アクアティック』のズィスー船長を彷彿とさせる。おそらく今作はこれまでのウェス・アンダーソン作品で、唯一例外的に屋内撮影よりも屋外撮影の比率が高い作品だが、屋外においても極端に奥行きを無効化した平面的な構図は、ドールハウスを観ているよう錯覚に陥る。岩場に設置された黄色いテント内での、ピアスの貫通式は少女の通過儀礼としての成長を暗示していたのは云うまでもない。それと共にかつて恋仲であったことが暗示されるローラ・ビショップ(フランシス・マクドーマンド)とシャープ警部の既に終わった恋が物語の重大な伏線として静かに影響を及ぼす。犬猿の仲であるボーイスカウト内のライバルの登場もしっかりと伏線に盛り込みながら、物語は佳境へと向かう。常に毅然とした態度でサムとスージーと向き合う女たちとは対照的に、男たちの右往左往ぶりが堪らない。これまでボーイスカウトの地域部隊のリーダーとして真面目に勤めてきたウォード隊長への、ピアース司令官(ハーヴェイ・カイテル)の叱咤は、アメリカン・ニュー・シネマの骨太なヒーローから我々若い世代への叱咤・激励に他ならない。『アンソニーのハッピー・モーテル』や『天才マックスの世界』のプール、『ライフ・アクアティック』の海を例に挙げるまでもなく、「水」のイメージが大事件を齎すクライマックス場面の台風の熾烈さ、島全体が滑稽な擬似家族を形成した大枠のイメージの中で、一貫して父になれなかった男と、父性を追い求めていた少年との感動のクライマックスまで、実に見事な筋立てとあまりにも美しいビジュアル、柔らかな色味に彩られた傑作である。
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