【第490回】『ストレイト・アウタ・コンプトン』(F・ゲイリー・グレイ/2015)
人気の無いLAコンプトンの不気味な静けさの夜、ボンネットに積んだウーファーの様子を確かめた男は、おもむろに目の前の家に向かい歩き出す。ドアを3回ノックすると、一瞬静まり返る中の様子。殺気立つ男は格子越しに外に立つ男の姿を確認する。黒人にしては小さい上背、黒い帽子を目深に被り、それでもはみ出すチリチリの髪が印象的なヤクの売人。男はゆっくりドアを開け、中へ売人を迎え入れるが、すぐさまグルーピーたちが銃口を向ける。「あと少しだけ支払いを待ってくれ」とかなり手荒な挨拶の仕方でお願いする顧客一同に激昂する男エリック・ライト(ジェイソン・ミッチェル)。やがて警察の侵入に遭い、エリックは辛くも屋根伝いに逃げて逮捕を免れる。ドーベルマンの咆哮、月夜の光に誘われるように男の姿は闇に消える。同じ頃、数々のレコードを敷き、寝そべりながらヘッドフォンでROY AYERS『Everybody Loves The Sunshine』を聴くDR.DRE(コーリー・ホーキンス)の姿。ZAPP、Parliament、KURTIS BROW、SPOONIE GEE、THE CRUSADERS、JAMES BROWN、LL COOL J(この1枚だけ年代がおかしい、正しくは1987年リリース)らお気に入りのレコードに囲まれ、幸福そうな表情を浮かべるドレのターンテーブルを止める母親の姿。彼女は息子がバイトの面接を忘れ、DJ活動をしていたことに腹を立てている。彼はWorld Class Wreckin' Cruのメンバーとして生計を立てているが、5000円ばかりの端た金では家計の助けにはならず、最愛の弟を置いて家を出る。同じ頃バスの中では、ICE CUBE(オシェイ・ジャクソンJr.)がノートブックにリリックを書き溜めている。彼にとっては窓の外の風景が格好の題材。2つ前の席の血気盛んな若者が、並走する車に乗るニガーに中指を立てる。報復に出た男たちは、自分たちが「BLOODZ」のリーダーだと挑発し、中指を立てた黒人のこめかみに銃を突きつける。
コンプトンという土地は80年代、LAにおける最も治安の悪い黒人居住区として知られていた。BLOODZとはこの貧民街を縄張りとしていたロサンゼルス最大のギャング団として知られている。BLOODZは赤を基調とし、同じくロスの2大ギャング団とも呼ぶべき青を基調とする「CRIPS」と激しい抗争を繰り広げた。その辺りは映画で言えば、『カラーズ 天使の消えた街』やICE CUBEが主演した『ボーイズン・ザ・フッド』に詳しいので、興味を持たれた方は是非参照されたい。後に90年代初頭に和解となるLPを1枚連名でリリースしたこともHIP HOPファンには記憶に新しいが、今回の主役はそこではない。今作はBLOODZとCRIPS、どちらにも属することなく、たった1人でプッシャー(麻薬の売人)として巨万の富を築いたエリック・ライト aka EAZY-Eの物語である。生まれつき小柄な体型、強面には程遠い風貌に反し、エリック・ライトの凌ぎ方は実にエゲツない。生涯6人の女と付き合い、彼女たちに7人の子供を生ませた生粋のドン・コルレオーネ気質が、DR.DREとICE CUBEという稀代の天才たちを引っ張り、N.W.A.(Niggaz Wit Attitudes)を86年に結成する。結成にあたり、DR.DREの引き抜き工作でのWorld Class Wreckin' Cruのボスだったロンゾとの確執、初期メンバーだったArabian PrinceやThe D.O.C.との確執にはフォーカスしていない。今作は5人組グループの実質的舵取りを握っていたEAZY-E、DR.DRE、ICE CUBEの3人のトライアングルの力関係に重きを置く。サウンド面を一手に担うDR.DRE、リリックの殆どを手がけるICE CUBEに対し、EAZY-Eがレコードにどれだけ貢献していたのかは明かされることがない。むしろ記念すべきRuthless Records時代の最初の12inchとなった「The Boyz-N-The Hood」レコーディング時の、まったくリズムに乗れず、上滑りするばかりの若き日のEAZY-Eの苦々しい思い出を切り取る。
美空ひばりを今更例に挙げるまでもなく、音楽業界=ヤクザとの切っても切れないWin-Winなズブズブの関係は枚挙に暇がない。FBIさえも敵に回し、300万枚という記録的なヒットを達成した一方で、N.W.A.の成功の裏には多くの人間の欲望が渦巻く。悪徳プロデューサーである白人ジェリー・ヘラーの庇護の元、89年のツアーまでは不協和音が囁かれることはなかったが、90年代を迎える頃になると、突如トライアングルが音を立てて崩れる。この辺りの人間関係は、映画で描かれているよりももう少し繊細だったはずだが、映画は事実関係を駆け足で報じるより他ない。ICE CUBEとの確執はギャラの取り分による亀裂だったが、ALBUMのほとんどの楽曲のリリックを書いていた彼の不在はあまりにも大きい。その上、単なる用心棒に過ぎなかったシュグ・ナイトの入れ知恵により、サウンド面の殆どを担っていたDR.DREを失ったことで、実質的なN.W.Aのキャリアは終焉へと向かう。かつてEAZY-EがWorld Class Wreckin' CruのリーダーLONZOから力づくでDR.DREを奪ったように、策士シュグ・ナイトの実力行使に押され、サウンド面のキーマンだったDR.DREをあっさりと失うことになる終盤の力学は、どうしようもないエンターテインメントの裏側を見せつけられる。Vanilla Iceの『Ice Ice Baby』の著作権をヤクザな取り立てで強引に奪い、MCハマーさえも一時期傘下に加えたシュグ・ナイトの人たらし理論は、エリック・ライト以上にエゲツなく、かくして悪は巨悪に呑み込まれたのである。実際はEAZY-EとDR.DREの契約は、印税の3分の1がEAZY-Eに振り込まれるというペテンの契約をDR.DREが結ばされていたし、私が知る限りでは、ラストのN.W.A.再結成の話がどこまで具現化していたのかも定かではない。見せかけの美談で大団円となる構図には渋々納得しつつも、トライアングルの結成から崩壊までの辛抱の無さ。何よりEAZY-Eの子供達を一人も出さなかったのはどういう意図なのだろうか?
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