【第269回】『マグノリア』(ポール・トーマス・アンダーソン/1999)

 余命いくばくもない老人アール・パートリッジ(ジェイソン・ロバーズ)が、ある日突然、献身的な看護人のフィル(フィリップ・シーモア・ホフマン)に、彼がかつて捨てた息子を探してほしいと頼む。真面目なフィルはそのうわ言のようなメッセージを我が事のように受け入れ、息子の行方を必死に探し始める。今作には明らかに場違いな役者が一人だけ出演している。それは大スター、トム・クルーズである。どうやらこの男が、アールの息子なのだと我々が推察したところから、PTAはようやく擬似親子から本当の親子へと変貌を遂げたことを悟るのである。

今作は9名の男女をグランド・ホテル形式で描写する。番組の名司会者ジミー・ゲイター(フィリップ・ベイカー・ホール)はガン宣告されて死期を悟り、彼を憎んで家出した娘クローディア(メローラ・ウォルターズ)の元を訪ねるが、すげなく追い返される。クローディアは行きずりの男とのSEXを重ねるが、そこに警察官であるジム(ジョン・C・ライリー)が現れる。隣家のクレームから尋ねざるを得なかったジムは扉を何度も叩くが、クローディアはコカインを鼻から吸引していてそれどころではない。ここでも実の父娘による愛憎入り混じった家族模様が展開される。ジミー・ゲイターはアール・パートリッジ同様に、家庭を顧みず、浮気を重ねてきた最低な父親であることを自覚している。自分の死期を悟った時、パッと頭に浮かぶのは、愛する母親や子供たちを裏切り続けた良心の呵責である。人間というのは元気な時には、なかなか血縁のある人間に歩み寄ることが出来ない。しかし最後の瞬間は、家族に看取って欲しいという我が儘な願望を持つのである。

『ハードエイト』のインチキ・ギャンブラーや『ブギーナイト』のポルノ監督とポルノ男優も、アメリカ社会における胡散臭い人物だったが、今作におけるトム・クルーズの姿は、これまでの2本以上にイカサマ的な人物として堂々と登場する。彼はカリスマとして大きな支持を受けているが、黒人インタビュアーの厳しい攻めに感情を取り乱す。あまりにもメッキが剥がれるのが早いこのイカサマ詐欺師を、トム・クルーズは熱演している。思えばトムのフィルモグラフィにおいて、ベビーフェイスともヒールとも言えないこのような役柄がかつてあっただろうか?トム側からPTA作品への猛烈なオファーがあり、今作中最もイカサマ的な人物にキャスティングされたトム・クルーズの、別格とも言える華というか存在感というか、スター性には毎度恐れ入る。

ジミー・ゲイターのやっているクイズ番組に出演している天才少年であるスタンリー(ジェレミー・ブラックマン)は本番前にトイレに行けずおしっこを我慢している。大人vs子供の3vs3の対決を、それまで優勢に進めてきたスタンリー少年だったが、漏らしたところから急に無言になる。誤ってボタンを押した際にも、ジミーの問いかけに心ここにあらずなスタンリー少年は、逆に道化師のようなパフォーマンスを恥じて、司会者であるジミーに反抗的な言葉でまくし立てる。子供の予期しない言葉攻めにびっくりしたのか、それとも老齢の身体が悲鳴を上げているのか、ジミーはその場に卒倒し倒れる。スタンリー少年の抱える抑圧の原因が実の父親のものであるとわかった時、ここでも実の父親とその子供との不和は三たび繰り返されるのである。

今作は日本では2000年の春に公開されたが、本国アメリカでは1999年の暮れに公開された。終末思想が漂う世紀末のアメリカにおいて公開された今作は、円環上になった世界の中で、クローディアとジムの愛や、かつて天才少年とうたわれたドニー(ウィリアム・H・メイシー)の物語を挿入することで、多層的な構造をもたらしているのである。人はそれぞれに心に贖罪という名の十字架を背負っている。輝かしい過去だけが支えの冴えない中年男、行きずりの男と寝てはむなしい朝を迎えるジャンキー女、不治の病に冒されたクイズ番組の司会者、TV番組で見世物にされる天才少年、死にゆく夫を看取る年の離れた後妻など、人生の勝利者のように振る舞うカリスマ教祖のトム・クルーズでさえ、心の奥に深い憎しみを秘めているのである。

前作『ブギーナイツ』同様に、PTAはそれぞれの人間の崩壊の瞬間を、ほぼ省略することなく闊達に描写する。鈍重な時間の経過の中で、それぞれの人間が落下していく様子を、アンサンブル・プレイでゆっくりとつないでいく。その崩壊していく様子こそがPTA映画の真骨頂である。まるでスローモーションのように、いつ終わるともわからない時間の中に登場人物たちは身を置く。誰一人として上昇気流に乗らない今作の登場人物たちは、それぞれに極端な挫折や突発的な事故を味わう。だからこそラスト20分の光景に、ファンタジーのようなまさに寓話的宗教的世界を監督は許すのであろう。まったく関係ないバラバラに見えた9人の物語が痛みを共有し、そこから新たな希望の物語が生まれるのである。

クライマックスの演出は、PTAらしい優しさに満ち溢れている。冒頭に戻るが、PTAはここに来て擬似家族ではない本物の家族のあり方を映画の中に登場させている。ただ事ではない状況下に置かれた親子は、最後に家族という共同体を守るのか破り捨てるのかは、3時間強の世界に身を委ねた者だけが体感し得る至福の喜びに満ちている。PTAは程度の差こそあれ、9人の人物たちそれぞれに救済の瞬間をもたらそうとしている。ラストに降り積もったあの物体はいっそう寓話性を強めるが、ラストに感じるそれぞれの現状は決して誇張でも偽りでもない。3時間を超える超尺に関しては議論の余地はあるものの、中盤からクライマックスまでの流れはある意味完璧であり、アメリカ映画における2000年代最初の傑作と言えるだろう。

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