【第635回】『続・深夜食堂』(松岡錠司/2016)
1日を終え、人々が家路に着く頃、マスターの仕事は始まる。交通量の多い靖国通りを抜け、足早に歩く人々を横目に眺めながら歌舞伎町へ。シネコンの壁には『DEADPOOL』の看板も見える。繁華街の路地裏にある小さな食堂「めしや」では今日も紺色の暖簾が掛けられ、深夜0時前に提灯にあかりが灯る。店主は大根の桂剥きをし、こんにゃくを適当な大きさに千切り、こねる。深夜に店が開くことから、「深夜食堂」とも呼ばれる隠れた名店は謎の多いマスター(小林薫)が1人で切り盛りする。カウンター9席だけの小さな店、営業時間は深夜0時から朝の7時頃まで。メニューは「酒」と「豚汁定食」のみだが、常連客のリクエストには出来るだけ応える。こじんまりとしたお店にはいつも客の笑顔が絶えない。人気漫画を原作とし、2009年10月より放映されたドラマ版「深夜食堂」シリーズの劇場版続編。7年間40話にも及ぶドラマ版の常連メンバー総勢25人が総出演する様子は、さながら同窓会のように「めしや」の夜を静かに盛り上げる。更に今回は前作でマスターを助けた新橋の老舗料亭「ほおずき」の料理人・栗山みちる(多部未華子)と女将の千恵子(余貴美子)のその後が描かれ、新レギュラーとなったタクシー運転手の木内晴美(片岡礼子)も彩りを添える。前作同様、「焼肉定食」「焼うどん」「豚汁定食」の3つのエピソードが物語を構成するが、テロップは入らない。3話のレイヤーは溶け合いながら、春先に始まった物語は夏を迎え、やがて秋になり新年を迎える。
「焼肉定食」「焼うどん」「豚汁定食」という3つの料理が主人公のお腹を満たしながらも、常連たちの食す料理が季節感を彩る。夏に出て来た「鶏ささみの梅酢焼き」「キスの天ぷら」、秋を彩った「秋刀魚の塩焼き」「きのこのホイル焼き」などのアイデアが食欲をそそる。まるで伊丹十三の後継者のような松岡錠司の手腕と、是枝裕和の『海町Diary』でも幾つもの料理で物語を彩ったフード・スタイリストの飯島奈美の丁寧な仕事ぶりが光る。3話目の「豚汁定食」の挿話だけが監督である松岡錠司のアイデアで残りの2つは原作のエピソードを基調にしているが、印象的なのは全てのエピソードが「喪」で始まる事である。「焼肉定食」では店の常連たちが葬式の帰りに深夜食堂に立ち寄り、場の空気は湿っぽくなる。新宿二丁目でゲイバーを営む小寿々(綾田俊樹)はコウちゃん(吉見幸洋)と互いの背中に清目の塩を掛け合い、地面を清めるために撒いた後、店の暖簾をくぐる。そこに喪服コスプレの女性・赤塚範子(河井青葉)が現れる。「焼うどん」では父の亡くなったそば清を必死で切り盛りする母と息子が出て来る。高木 清太(池松壮亮)は偉大だった父と自分を比べ、何をやってもとろい自分を卑下するが、マスターは黙ってその姿を見守る。「豚汁定食」では法事を終えた喪服姿のみちると千恵子が深夜食堂を尋ねるところから物語は始まる。そう言えば前作でも最初に唐突に店に置き忘れた骨壺が発見されたところから、人間の死をめぐる物語が始まった。今作も人間の死から始まった物語は、様々な人々の善意という名の絆を襷にしながら、やがてゲストたちの生への歩みを大らかに促す。
監督である松岡錠司の中にあるドラマ版7年間のノウハウの蓄積と、前作の劇場版の成功で得た自信は今作でなおも揺るがない。凡庸な監督ならば映画版の気負いから、マスター(小林薫)を「めしや」の外にあれこれ連れ出したくなるが、物語を駆動する遠心力の部分は、ただひたすらよもぎ町交番勤務の小暮(オダギリジョー)やみちる(多部未華子)に任せ、マスターは常に告解室のような深夜食堂の調理場に留まる。シナリオの設計は厳密に言えば、前作ほど成功しているようには思えないが、一番肝心な原理原則の部分が松岡監督も小林薫の中でもまったくブレていない。前作で高岡早紀や筒井道隆が演じたキャラクターには監督の処女作である『バタアシ金魚』から続く俳優の生理が描かれていたと述べたが、渡辺美佐子の認知症を思わせるような憂いに、『アカシアの道』でアルツハイマーを患った夏川結衣の母親の姿を思わず想起せずにはいられない。これまでドラマ版で霧島れいか、安田成美、東風万智子、黒谷友香、劇場版で高岡早紀や菊池亜希子を抜擢した女優再生工場としての松岡錠司の手腕は、今作では小島聖をいま再びスクリーンの中で輝かせる。大森立嗣の『セトウツミ』の内海想を想起せずにはいられない池松壮亮のキャラクター造形に助けられながらも、一回りも年下の男を愛してしまった平凡な町工場のOLが、息子に泣き夫の姿を重ねる聖子(キムラ緑子)と対峙する様の素晴らしさ。今となっては珍しい役どころを嬉々として演じる佐藤浩市と対峙する範子の表情、野口と張り込みをするいずみ(篠原ゆき子)の表情、小暮に腕組みしながら迫るかすみ(谷村美月)やつたえ(野嵜好美)の殺気、果てはマスターと対峙した千恵子の表情など、ここには印象的な女優の表情が幾つも見出せる。
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