【第384回】『ヘイトフル・エイト』(クエンティン・タランティーノ/2015)

 深い雪に覆われた一面銀世界の中を一台の馬車が走っている。鳥の一群は一目散に北へ北へと向かい、天候は南から次第に悪くなりかけている。馬は雪のぬかるみに足を取られかけているが、白黒あわせて4頭の馬力が台車を支えている。馬車に乗るのは互いに手錠を片輪づつはめた1組の男と女。男は初老の域に達しており、4人乗りの馬車を貸し切っている。女の目はパンダのように青く腫れ、痛々しいアザを作っている。その進路に1人の男が立ち尽くし待ち構えている。紺色の騎兵隊用の防寒着にベージュのマフラー、その傍に3人の死体、この男の正体はいったい何者なのか?貸切の馬車に乗りたいと懇願する体格の良い黒人の男と御者との会話を聞き、馬車内の初老の男は黒人男性に銃口を向け、手を高く挙げて、銃を下ろせと命令するのだった。初老の男が訪問者を過剰に警戒するのは無理もない。片輪に手錠をくくりつけた女は1万ドルの賞金首であり、相当な罪を重ねてきたことが想像出来るのだ。男はこの女の移送中ゆえ、神経を過敏に尖らせている。だが偶然にも初老の男にとって、目の前に現れた黒人男性とは旧知の間柄だった。こうしてデイジー・ドメルグ(ジェニファー・ジェイソン・リー)を輸送するジョン・ルース(カート・ラッセル)の貸切馬車に、マーキス・ウォーレン(サミュエル・L・ジャクソン)という賞金稼ぎの男が乗り合わせる。

何も重罪犯の輸送ならば、わざわざ馬車を使わず汽車でと思わないでもないが 笑、レッドロックへの輸送手段はおそらく馬車しかないのだろう。そのうえ運悪く猛烈な雪嵐が行き先を塞ぎ、4頭の馬を持ってしてもこの難所を今日中に越えることは難しい。道中ジョンはマーキスに対し、「むかし見せてくれたアレをいまも持っているか」と親しげに問いかける。今作の時代背景はほとんど明記されていないものの、この一連の描写で南北戦争後のアメリカを題材にした作品であるとわかる。マーキスはかつての北軍の黒人少尉であり、リンカーン大統領と文通相手(ペンパル)だったことにジョンは尊敬の念を禁じ得ない。この手紙の描写は後々に至るまで、あまりにも重要な意味を持つ。南北戦争に行っていない、あるいは行きたくても行けなかった、それとも愚かな戦争などに最初から加担したくなかった女が、文面を読むことなくリンカーンの名前だけで吐きかけたツバが、マーキスの逆鱗に触れたのは言うまでもない。緊迫する局面の中、今度はクリス・マニックス(ウォルトン・ゴギンズ)という男が現れ、またしても懇願するように相席をねだるのである。

セルジオ・コルブッチの『殺しが静かにやって来る』でも印象的だった馬車の内部における物言わぬジャン=ルイ・トランティニャンとほくそ笑むかのように薄ら笑いを浮かべるクラウス・キンスキーの正対した構図にオマージュを捧げるかのように、馬車の内部という狭い空間を逆手に取り、シネスコ・サイズのフレームの中で大写しにされる役者たちのクローズ・アップがあまりにも素晴らしい。カート・ラッセルのすっかり年老いた白い髭面、サミュエル・L・ジャクソンの自信ありげな表情、ジェニファー・ジェイソン・リーのどこか悲壮感のない含み笑い、それら1人1人の表情を大胆にクローズ・アップで一通り据えた後、マーキスとクリスの言い合いの場面ではどこまでも皮肉な言い合いをする2ショットを映し出している。肝心の70mmのフレーム・サイズだが、広大な自然を映したスケール感のあるショットは前半部分にほんのちょっと出てくるのみで、あとは中盤の紳士服飾店と馬小屋の間を縄で縛る場面でかろうじて活かされるのみである。タランティーノは自然の風景よりもむしろ室内背景の「抜け」を気にしてショットを設定しているのである。種田陽平が製作した全面板張りのロッジの内部では、手前で大写しになる人物の裏で誰かが怪しい行動を取っていることが示される。

今作の売り文句である「密室劇」という情報も、タランティーノ映画を見慣れた者からすればことさら強調するまでもない。これまでもタランティーノ作品での惨劇は、白昼堂々や衆人環視の前、太陽が燦々と輝く下で行われたことはほとんどない。『レザボア・ドッグス』では宝石店襲撃の後、一味が落ち合う手筈になっていた倉庫でシリアスな人間ドラマが幕を開けた。『パルプ・フィクション』でのホテルの一室でのハンバーガー話に始まり、怪しい地下室、クライマックスのファミレス、『ジャッキー・ブラウン』における深夜の停車場、ショッピング・モールのアパレル売り場の更衣室、『キル・ビル』における教会、宴会場、トレーラー・ハウス、『イングロリアス・バスターズ』における映画館、『ジャンゴ』におけるレオ様所有の豪邸など、タランティーノは極めて密室的な空間を好む監督と言える。唯一例外的に『デス・プルーフ in グラインドハウス』という映画があるが、あれも最初の殺人は狭い車内で起きる。今作でも雪嵐に塞がれ、これ以上先には行けないと判断した一行は、世界一うまいコーヒーに絶品シチュー、装飾品から武器まで何でも揃う気立ての良いミニーという女が主人を務める地元の名店で夜を明かそうとする。だが彼らを迎えるはずだった気立ての良いミニー店主はここにはいない。ボブ(デミアン・ビチル)と名乗る見知らぬメキシコ人が彼らを迎い入れ、母親に会いに行ったミニーの代わりに店番をしていると優しい笑顔で話しかける。店には絞首刑執行人であるオズワルド・モブレー(ティム・ロス)、日記をつけるカウボーイのジョー・ゲージ(マイケル・マドセン)、そして南部の元将軍であるサンディ・スミザーズ(ブルース・ダーン)という先客がいて、思い思いに暖を取っている。こうして8人の男女が入り乱れるシリアスな密室劇が幕を開ける。

今作は5章に分かれた筋立てながら、第1章から3章まではタランティーノお得意の時系列シャッフルは鳴りを潜めており、拍子抜けするくらいに落ち着いている。その真骨頂を我々が見ることになるのは第4章からであろう。前半のコルブッチの『殺しが静かにやって来る』のような雪山の西部劇のルックとは打って変わり、ルメットの『オリエント急行殺人事件』やジョン・カーペンター『遊星からの物体X』を彷彿とさせるシリアスな心理戦による密室劇へと急速に舵を切る後半の流れは見事というより他ない。ここでも南北戦争の時代を生きながらえた男たちの会話は自然と当時を回想し、熱を帯びていく。かつてMadonnaの『Like a Virgin』の不毛で過剰なバカ話に終始したタランティーノが、『イングロリアス・バスターズ』や『ジャンゴ』ではその会話が生きるか死ぬかの駆け引きに使われていた。今作でも南北戦争の会話は男たちにとって、引くに引けない死線を彷徨う決定的な一言になる。クライマックスの密室での惨劇の暴力描写には、久しぶりに全盛期のペキンパーや北野武を思い出すようなまさに血、また血、そしておびただしい血とでも言うようなとぐろ巻くようなバイオレンスのオンパレードを見た。前半の白と黒の抑制の効いたトーン(それは馬や衣装に至るまで徹底している)、中盤の種田陽平による温かいログ・ハウスの茶色がかった柔らかな色味、ベッドの奥の小窓から微かに吹き込む柔らかな雪に対し、鮮血にまみれ、真っ赤に染まっていく後半の過激なトーンはショッキングなまでに観る者の心拍数を上げていく。

思えばタランティーノ作品ではそう簡単に人は死んでくれないのだ 笑。至近距離で弾が身体にめり込み、血液が少しずつ染み出しても、過剰なまでに人々は生き永らえる。『レザボア・ドッグス』ではティム・ロス扮するMR.オレンジが腹を撃たれたにもかかわらず、ハーヴェイ・カイテルが運び込んだ倉庫で数時間経ってもまだ生きている。『キル・ビル』でも至近距離から何十発の砲弾を浴びても、主人公はやがて蘇り、数年後にはじっと復讐のチャンスを伺っているのである。今作においても登場人物たちは至近距離から致命的な一発を浴びようが、キン○マを撃ち抜かれようが、それでも残酷なまでに生き永らえてしまう。考えてみればマイケル・マドセンとティム・ロス両名は『レザボア・ドッグス』同様に惨劇の現場にまたも居合わせることになるのだ。風船並みの緩さを持った頭(脳みそ)に対し、身体にあたった銃弾では簡単には死なせてくれないのである。西部劇の撃ち合いが地面に両脚しっかり地面につけた腕利きのガンマン同士のものだとすれば、今作の密室での撃ち合いはまさに邪道以外の何者でもない。ベッドに横たわりながら撃つ者、あるいは床下から撃つ者、挙げ句の果てには銃を握るまでもなく、あるものを握りしめたまま生き絶える男たちの嘔吐や出血。それでも人は即死に至らず、ゆっくりと残酷に生の時間の終わりを敵味方問わず共有するのである。裏切りと復讐に彩られた物語ながら、その清々しいまでの壮絶さ、敵味方の極の曖昧さが胸を打つ。ラスト・シーンはまるでジョン・カーペンター『遊星からの物体X』のラストのようだった。そこにふいに流れてきたRoy Orbison『There Won't Be Many Coming Home』という最高の皮肉が我々の映画脳をぐいぐい刺激してやまない。

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