【第378回】『パーク・ロウ』(サミュエル・フラー/1952)
サミュエル・フラーの初期の作品では忘れようもない傑作。1880年代のニューヨーク、パワリー街とブルックリン橋に挟まれたロウワー・マンハッタンに「パーク・ロウ」と呼ばれる場所があった。そこでアメリカのジャーナリズムは産声を上げたのである。10代初頭から新聞記者としてキャリアをスタートさせたフラーにとって、この「パーク・ロウ」に誕生したジャーナリズムの起源を描くことは、戦争体験を描くことよりも身近だった。冒頭、無数に浮かぶ活字のアップに始まり、玉石敷きの通りをカメラはゆっくりと平行移動し撮影する。そこにはフラーが敬愛するベンジャミン・フランクリンの銅像が建っているのである。彼は言うまでもなく、印刷業者から政治家へと転身した歴史的な人物である。ヨハネス・グーテンベルクの活版印刷業に端を発した活字文化の誕生は、アメリカにジャーナリズムをもたらし、人々は新聞で読む新しい事件や示唆に富む記事を心待ちにしていた。記者たちは剣をペンに置き換え、血の滲むような思いをインクに込め、新しいジャーナリズムを日進月歩で成長させた。
とにかくセットが素晴らしい。パーク・ロウにあったニューヨーク・タイムズ社、イヴニング・ポスト社、ヘラルド社などの大手新聞社の建物を通り過ぎたところに、スター紙のオフィスがある。スター紙の新聞記者だったフィニアス・ミッチェルという男は横柄な女社長チャリティ・ハケットの元を去り、酒場でうらぶれて呑んでいたところに、印刷業者が声をかける。ミッチェルはアメリカ最大の新聞を作ろうと、一念発起してグロープ社を立ち上げるのである。このグローブ社のオフィスはスター社の目の前にあり、それぞれの部数伸ばしのための熾烈な競争が幕を開ける。スター社のハケットには潤沢な資金があるものの、肝心のジャーナリストとしての気骨や書きたい理念がない。対してグローブ社のミッチェルには書きたいことは山のようにあるが、先立つ資金がないのである。それでも馬車馬のように働き続け、徐々に発行部数を伸ばしていくグローブ社の躍進に対し、スター社はあの手この手の作戦を繰り広げる。
このなりふりかまわない部数戦争は、徐々に記事の内容での勝負ではなく、まるでヤクザのような報復合戦になるのがフラーのB級たる所以であろう。グローブ社は正々堂々ペンで戦おうとするのだが、スター社はチンピラを雇って、馬を殺したり、社員をひき殺したり、新聞販売用の台座を破壊したりと、実にやりたい放題である。おまけにミッチェルと元上司であるハケットとの骨肉の争いは、互いの好意を隠して行われるから厄介である。途中、祝賀パーティを抜けて、白いドレスに正装したメアリー・ウェルチの堂々たる美しさは50年代ハリウッド屈指の絢爛豪華な美を誇る。残念ながらこの翌年、出産時の事故により短い生涯を終えることになるのだが、彼女の美しさはこのフィルムに永遠に刻まれている。また今作はマーゲンターラーとライノタイプ機に特別な敬意を表している。この印刷機の技術革新が、ジャーナリズムの成長に大きく関与したのは間違いない。まず志があって、そこに技術革新が応え、今日の新聞各社による言論ジャーナリズムは誕生した。その起源に元ジャーナリストであったサミュエル・フラーは敬意を表しているのである。今作の映画化を社長に伝えたフラーは、グレゴリー・ペック主演で、シネスコサイズでカラー・フィルムを要請されたようだが、フラーはその申し出を断った。誰にもコントロールされないフラーの反骨精神は、このあたりから始まったと見て間違いない。脚本はいかにも低予算作品の稚拙なものだが、折に触れて観直したくなる作品である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?