【第662回】『透明人間』(ジョン・カーペンター/1992)

 夜のサンフランシスコ、美しいゴールデン・ゲート・ブリッジの夜景が彼方に見える海の上を、ヘリコプターが飛んでいる。地上では「Instant Rooster」のトラックにカメラが仕込まれ、夜の街をくまなく捜索している。やがて誰もいないデスクからニック・ハロウェイ(チェヴィ・チェイス)の声がする。しかし、ピンク色のチューインガムを膨らますと、当時の最新VFX技術を駆使した人影が浮かび上がる。やり手のビジネスマンとして、土地の買収や株取引でも儲けていたニックは3月のとある火曜日、会社の帰りに会員制パーティの「アカデミー・クラブ」に立ち寄る。その日はすぐに帰るつもりだったが、友人ジョージ(マイケル・マッキーン)に紹介された女の姿を見て視線が釘付けになる。ブラジル帰りのアリス・モンロー(ダリル・ハンナ)はスミソニアン博物館の研究員であり、ドキュメンタリー映画を製作しようとしていたインテリ美女だった。その夜、互いの価値観に共鳴した2人は化粧室の脇でドラマチックなキスをする。金曜日に会う約束をし、その場は別れたものの、運命の出会いがニックの人生を決定的に狂わせる。多幸感に満ちた二日酔いの翌朝、訪れたマグナ・スコピク社の研究所でセミナーに退屈したニックはトイレを探し、休憩室で仮眠を取るが、研究所で待機中に放射線の事故に巻き込まれて着用しているスーツごと体が透明になってしまう。

 これまでの透明人間の誕生はほとんど全て薬物の不正投与により、人体が透明になったが、今作では研究室のキーボードにコーヒーがこぼれたことが元で 笑、巨大なビルディング全てが放射能に覆われてしまう。人々が逃げ惑う中、前日に運命の人アリス・モンローに出会った幸福感に包まれた男は二日酔いで全館避難に気付かず、被爆し、透明な身体になり果てる。四角四面のビルディングも放射能を浴びたところだけが透明化し、まるで戦前のドイツ・ウーファ社のフリッツ・ラングの美術造形のようなアヴァンギャルドさを誇る。その中で階上では、ニックの被ったソフトハットの部分だけが怪しく動き回る。それを秘密警察のジェンキンズ(サム・ニール)一向に見つかり、透明化した男は一躍、裏の政府に追われるはめになる。ジョン・カーペンターは『ゼイリブ』でも貧富の差が拡大し、巨大な政府の前に対峙する個人を登場させていたが、今作でも不運にも被爆し、透明化してしまった男は本来ならば、国や会社に対して賠償請求出来るはずだが、個人の当然の権利さえも剥奪され、暗殺者としての利用を企む秘密警察により生け捕りされようとし、命の危機に晒される。

 中盤、海辺にあるジョージの別荘に逃げ込み、身を潜めたのも束の間、ジョージと恋人エレン(パトリシア・ヒートン)がアリスと友人を連れ、のこのことやって来る。この一件で、愛し合うはずだったアリスの前に姿を晒す透明人間になったニックの描写は悲哀に満ちている。これまでの大抵の「透明人間モノ」の場合、女の裸や万引き、悪戯などおよそ男性が想像しそうな欲望の描写が次々に出てくるのが関の山だったが、今作でニックは、せいぜいアリスをベッドに押し倒そうとしたジョージの背中を払いのけることくらいしか出来ない。車や自転車にあわや轢かれそうになり、ただただ大衆の目から逃れ、アリスを守ろうとする健気なニックの描写は、スティーヴン・スピルバーグの『オールウェイズ』において、飛行士事故で死にながら、愛するヒロインのドリンダ・ダーストン(ホリー・ハンター)を見守ったリチャード・ドレイファスの健気な愛情とコインの裏表にある。金曜日に会えていれば、恋が始まる確信があったニックは残念ながら透明人間になり、彼女を誘惑する男たちを次々に払いのける。当時は最先端だったインダストリアル・ライト&マジック社のCG/VFX技術も今観るとだいぶショボいが、ヒロインが透明になったニックの顔らしきものに直接、着色していく様子に漂う哀愁は未だに忘れられない。

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