【第334回】『ブリッジ・オブ・スパイ』(スティーヴン・スピルバーグ/2015)

 米ソ冷戦下の1957年、ニューヨーク。ルドルフ・アベル(マーク・ライランス)という男がスパイ容疑で逮捕される。国選弁護人として彼の弁護を引き受けたのは、保険を専門に扱う弁護士ジェームズ・ドノヴァン(トム・ハンクス)。ソ連のスパイを弁護したことでアメリカ国民の非難を一身に浴びるドノヴァンだったが、弁護士としての職責をまっとうし、死刑を回避することに成功する。5年後、アメリカの偵察機がソ連領空で撃墜され、アメリカ人パイロットのパワーズ(オースティン・ストウェル)がスパイとして拘束されてしまう。アメリカ政府はパワーズを救い出すためにアベルとの交換を計画、その大事な交渉役として白羽の矢を立てたのは、軍人でも政治家でもない一民間人のドノヴァンだった。交渉場所は、まさに壁が築かれようとしていた敵地の東ベルリン。身の安全は誰にも保証してもらえない極秘任務に戸惑いつつも、腹をくくって危険な交渉へと臨むドノヴァンだったが…。

スピルバーグが米ソ冷戦下を舞台に、信念に基づいた行動で2人の人質を救い英雄となったジェームズ・ドノヴァンの活躍を描いた実話の映画化。これまでスピルバーグは南北戦争、奴隷貿易、第一次世界大戦、第二次世界大戦、ナチスによるホロコースト、ミュンヘン・オリンピック事件など数多くの史実に基づいた映画を扱ってきたが、今回は1950年代の米ソ冷戦下のアメリカとソ連の思惑に踏み込む。『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』においては赤狩りの暗喩が登場したが今作も例外ではない。当時のアメリカ人にとって一番憎むべきは旧ソ連の諜報部員であり、その彼を弁護するアメリカ人の腕利き弁護士ということになる。列車の中では周囲から睨まれ、夜道を歩けば誰かに付けられているような錯覚を起こし、家には日中砲弾が投げ込まれ、家族が危険に晒される。そこまでのリスクを賭けてまで、ジェームズ・ドノヴァンはこの仕事を遂行する使命感に駆られている。それは「全ての人間には等しく公平な裁判を受ける権利がある」というアメリカ合衆国の自由の権利を尊重するからに他ならない。

方やルドルフ・アベルは実に飄々としたスパイらしからぬ男である。普段は絵描きをしながら悠々自適の生活を送る男は、FBIに風呂に入っているところを捕獲されるが、彼らを出し抜き証拠隠滅を図る。彼の弁護を依頼されたドノヴァンとの初めての出会いの場面でも、ジョークとも皮肉とも取れる諦めに満ちた問答をアメリカ人であるドノヴァンに投げかける。序盤はこの鼻持ちならない男との塀の中での触れ合いと法廷シーンを中心に描く。まるで『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』と『アミスタッド』が融合したかのような落ち着きはらった展開にスピルバーグの刻印が見える。特に素晴らしいのは序盤、強い雨の中外に出たドノヴァンに対し、何者かが彼の後を付ける場面である。漆黒と表現すれば良いのか何とも心もとないが、カミンスキーの陰影を強調した色彩と浮かび上がるシルエットがスピルバーグ×カミンスキーにしかなし得ない存在感を放っている。またこれまでのスピルバーグ作品ならば、序盤からジョン・ウィリアムスのオーケストラが全編に鳴り響いていたが、音楽の使用を極力配した序盤の演出もなかなかに素晴らしい。

通常の法廷ドラマであれば会話の連続で退屈してしまいそうだが、今作は序盤の静かな法廷劇から緊迫感のあるアクション映画へと一瞬で変貌を遂げる。その転調を告げる場面となるのは、事件から5年後、極秘任務を請け負ったパワーズのアメリカの偵察機U-2がソ連領空で撃墜され、スパイとして拘束される場面である。5年前、判事も世論もアベルの極刑を願ったが、唯一ドノヴァンだけは将来のスパイ交換の切り札として生かしておいたほうが得策だと判事を説得する。パワーズの解放のために、一旦は生かしておいたルドルフ・アベルがアメリカ政府にとって重要な駒となるのである。またしても国の一大事を任されたドノヴァンは最初は固辞するものの、愛国心と人命救助のために一路情勢不安な東ドイツへと向かう。一歩でも判断を誤れば即射殺という状況の中、ドノヴァンは巧みなネゴシエーションにより旧ソ連、東ドイツの国家を揺るがす問題へと足を踏み入れることになる。

当時のドイツは第二次世界大戦の爪痕残るベルリンの街に155kmもの巨大な壁を建設した。このドイツの東西分断は、戦後西ドイツ側を分割統治したアメリカ、イギリス、フランスと、東側を統治した旧ソ連との代理戦争の様相を呈していたのは言うまでもない。資本主義を標榜する西ドイツに対し、東側は共産主義社会を目指し、ドイツという国は東西に分裂することになる。その1961年のベルリンの壁が作られる正にその時、アメリカ人大学生フレデリック・プライヤー(ウィル・ロジャース)はその壁の抜け穴を懸命に探そうとしていた。彼が行きはまんまと兵士たちを出し抜き、西側から東側にあっさりと入ることが出来たのに、教授の娘を連れて東側から西側へ戻ろうとした時には失敗したのか?それをスピルバーグはあえて説明しようとしないが、その問いの答えとしてベルリンの壁建設の目的は、東ドイツから西ドイツへの市民の流入を防ぐ目的があったと言われている。東側の兵士にとって、パスポートや大学でどんな論文を書いたかが意味をなさないのはこういった理由があったからであろう。

この鉄のカーテンによる東西分断の歴史は89年に自由化が加速し、ベルリンの壁が破壊されるまで続いた。東西分裂により、家族や友人は20数年もの長きに渡り引き裂かれ、冷戦の象徴として祭り上げられる。ドノヴァンは列車の中で、銃声を聞きびっくりして窓の外を振り返ると、東側から西側に亡命しようと壁をよじのぼろうとした市井の人々が、背中を撃ち抜かれ処刑されるのを目の当たりにするのである(実際には逃亡の多くが深夜に行われていたらしいが)。部屋や車の窓を一つ隔てた向こう側で残酷なことが起きるというのはスピルバーグ作品では当たり前の光景であり、冷戦時代には日常にこのような暴力が転がっていたことを伝える重要な場面である。序盤のアメリカ・ロケでは赤・白・青と華やかだったニューヨーカー達の装いから一転し、東ドイツの黒・紺を基調とした暗いファッションは、当時の東ドイツがいかに抑圧されていたかを今に伝える。

クライマックスの電話の呼び鈴が鳴るのをただひたすら待ち続ける主人公たちの描写の緊迫感は、息を呑むようなスリリングな味わいに満ちている。当時、アメリカは東ドイツを国として認めていなかった背景があり、ソ連、東ドイツ両政府はドノヴァンに対し強硬姿勢に打って出るが、ドノヴァンの返事はあくまで2名解放しか認めるつもりはない。『戦火の馬』のクライマックスにおいても、上官の命令を無視して有刺鉄線に絡まった馬を助けに行った一人の歩兵がいたが、ここでもアメリカの総意よりも、アメリカに住む一個人の強固な意思が尊重される。カシミアのコートを奪われ、犯罪歴もないのに警察署で一夜を明かすことを強いられ、ベルリンの壁をよじのぼろうとした市井の人々が撃ち殺されたように、上には銃を構えた兵士が待ち構える中、専門外の人質交換に打って出たドノヴァンの勇気には感服する。アベルとの友情と別れの場面は呆気なく過ぎ去るが、その後何よりも長い数分間の橋の上での地獄のような待機が待ち構える。

じりじりと緊迫したやりとりを経て、ラストのアベルが車に乗せられるまでをじっと見つめる主人公の目線は、『未知との遭遇』のトリュフォー、『E.T.』のエリオット、『オールウェイズ』のピートにダブって見えて仕方ない。違う国に生まれ、違う境遇で育った人間同士が、それぞれの信念でぶつかり、やがて友情を育む。そこには冷戦下の国と国との構図ではなく、個人vs個人の関係性が露わになる。遠くで光が明るく照らす中、ことの推移を見つめるドノヴァンの視線に同化し、自然と目頭が熱くなった。その市井の男の英雄譚を、彼自身の口から直接自慢話として聞くのではなく、テレビの画面から家族が読み取るラストが何とも心地良い。これだけ情報量の多い脚本を、スピルバーグはコーエン兄弟と共にしっかりとバランス良くまとめている。決して鋭いニュアンスを感じる映画ではないが、相当の力量の詰まった傑作である。

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