【第535回】『シン・ゴジラ』(庵野秀明/2016)

 国内製作の『ゴジラ』シリーズとしては通算29作目、何と12年ぶりの『ゴジラ』シリーズ最新作。各所で流れ続けた1分ほどの予告編で、POVによる揺れる映像と逃げ惑う人々の絶叫を観て、マット・リーヴスの『クローバーフィールド/HAKAISHA』を模したパニック映画だろうとタカをくくっていたが、ふたを開けてみたら大ハズレ、実に見事な災害シュミレーション映画だった。導入部分、東京アクアライン天井が突如崩落し、赤い液体が降ってくるショッキングな映像が流れた後、政府は海底噴火に断定し話を進めるが、ただ一人内閣官房副長官・矢口蘭堂(長谷川博己)だけは「巨大生物」による可能性を指摘する。内閣総理大臣・大河内清次(大杉漣)は矢口の発言を議事録に載るんだぞと激しく罵倒するが、次の瞬間、テレビ・モニターには巨大生物の尻尾のようなものが映り込み、首相は唖然とする。このように政府の動きをあざ笑うかのようなゴジラの動きは、虚構と現実との境目をいとも簡単に越えていく。巨大生物だと認めた後も、政府は上陸することはないと楽観視しているが、環境省自然環境局野生生物課課長補佐・尾頭ヒロミ(市川実日子)はその甘い考えを根底から打ち砕く。事実、ゴジラは東京に上陸し、次々に建物をなぎ倒しながらゆっくりと進んで行く。街が次々に破壊され、人々が逃げまどう中、政治は会議と判子の何重にも渡る厳格な手続きに手間取り、なかなか動かない。この段取りの一部始終を、庵野秀明は実に丁寧に緻密に描写していく。政府は国家を左右する事態に対処する時、まず官邸連絡室を設置し、続いて対策室、対策本部を作る。内閣総理大臣は決断の前に、閣僚、有識者、防衛省幹部に広く話を聞き、経験を集め、自らの判断材料にする、その間、警察庁長官や東京都知事らも独自に事実を集め、総理大臣の号令を待つ。大杉漣、柄本明、余貴美子、矢島健一、浜田晃、手塚とおるらの苦み走ったやりとりは、1984年版の『ゴジラ』の三田村清輝首相(小林桂樹)と閣僚たちとのやりとりを真っ先に想起させる。

だが今作は84年版の『ゴジラ』の極めて演劇的なやりとりとは対照的に、首相、閣僚たち、有識者、防衛省幹部らが口々に発する言葉は性急で、あまりにも長い。そして綿密に調査・研究された各人の台詞回しはリアリティに溢れる。それら役者たちのクローズ・アップ・ショットを現代的な道具立て(LINE、Twitter、各種SNS)などを駆使しながら、矢継ぎ早に積み重ねていく手法は、ゴジラという虚構に対し、徹底的に事実を積み上げ現実感を演出する。クレーンで撮影された会議室の光景、同じ種類のコピー機が理路整然と並んだ対策室内のドリー・ショット、小刻みなショットの下に書かれた明朝体の役職説明、『新世紀エヴァンゲリオン』の音楽の流用などに、庵野秀明の作家性が滲む。厚顔無恥な政治家や自衛隊がゴジラに対し、まったく手も足も出ない中、外見は冴えない各部署のお荷物の集まりが、頭脳と不眠不休により全能感溢れるゴジラに対処していく様子は、オタクの代弁者である庵野の面目躍如であろう。家族や恋愛といった人間ドラマを極端に排除し、専らゴジラとの社会的・軍事的関係を明らかにしていく庵野の作法は極めて斬新であり、『ゴジラ』シリーズに新風を吹き込む。ゴジラの造形はCGだが、着ぐるみ時代の円谷演出を踏襲している。決して端整とは言えないゴワついたゴジラの肉感、彼が破壊するのはミニチュア・セットではなくCGだが、今作の造形は着ぐるみ原理主義のハリウッド否定派を黙らせるだけの鈍重な動きを持つ。ゴジラの造形の当初上陸した際のガッカリ感も、あえてローランド・エメリッヒ版の『GODZILLA』の失敗を踏まえてのメタ解釈にも思える。黒光りする体の内面で静かに発光するマグマのようなレッド、異様なまでに短い腕もハリウッド・リメイクの失敗を踏まえてのものだろうが、この12年のCG/SFX技術の進化の中、あえてゴジラに性急な動きをさせず、鈍重に動かす英断が素晴らしい。まるで不動明王のように仁王立ちし、自衛隊やアメリカ軍の攻撃を一手に引き受けるゴジラのただひたすら耐え忍ぶ姿に、「もののあはれ」を感じずにはいられない。だからこそ、激しい動きはなくても、ただターンしただけで怖いと思わせるモンスター像は醸成される。それは政府官邸の人々の性急な台詞回し/ショット運びとも実に対照的なメリハリを作る。

日本製作の前作『ゴジラ FINAL WARS』との最大の分岐点は、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故に他ならない。第二次世界大戦後の反核の象徴としてスクリーンに登場したゴジラは、未曾有の災害とされた東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の後に現れた恐るべき天災となる。いまの日本の防災システムや政治体制が、想定外の出来事が起きた時にあまり役に立たないことは明らかだが、今作は危機が訪れた時に、人々がどのように対処したかを的確に描写する。淡々とした事実の積み上げは、岡本喜八の『日本のいちばん長い日』や『ブルークリスマス』の愚直なディスカッション描写を真っ先に想起せずにはいられない。その状況は原爆投下、集団疎開、敗戦から10年も経たない時期に公開された初代『ゴジラ』とも無縁ではない。根室沖や大戸島ではなく、あえて東京湾から上陸したゴジラは、3.11に苦悩した関東・東北地方の人々に再びあの悪夢を思い起こさせる。畳み掛けるような前半の怒涛の素晴らしさから、一旦呼吸を置いて飛び出して来るアイデアは、庵野フリーク的には、『帰ってきたウルトラマン/マットアロー1号発進命令』や『新世紀エヴァンゲリオン 第六話 決戦、第3新東京市』の影響は決して遠からずだが、全能感を持った神話的存在=ゴジラという虚構に対し、一貫して細部の描写にこだわり抜き、政治ディスカッションとしてのリアリティ=現実を紡いでいく庵野秀明の静謐で緻密な描写にはただただ恐れ入る。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の内に篭ろうとしたいわゆるセカイ系のメタ総括(前衛性)の失敗を踏まえ、今作は逆に虚構を動かす動線にリアリティだけで挑む。監督が石原さとみよりも市川実日子に心惹かれたのは明らかだが、滲み出る作家性を抑え、ヒットメイカーに徹しようとするバランス感覚の良さ。『新世紀エヴァンゲリオン』しか作れないと思われていた庵野秀明の新たな代表作に位置付けられるに違いない。

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