【第654回】『戦慄の絆』(デヴィッド・クローネンバーグ/2015)
1954年カナダ・トロント、街頭で遊ぶ少年たちを尻目に、透明なメガネをかけ、お揃いの服に身を包んだ双子の兄弟は何故人間がセックスするのかについて話し合っていた。魚は水中で卵を産むが人間は陸上にいるから性行をするのだと言いながら、2人は家の前に住む1人の少女に水中でセックスをしないかと声を掛けるが、激怒した少女にパパに言いつけるからと言われる。それから13年後のマサチューセッツ州にあるケンブリッジ大学、人体模型をサンプルに手術を始めた2人は、お手製の手術器具を勝手に用いたことを教授に怒られる。だが純金で出来たマントル開発器はその後の産婦人科医療を変えるような革命的な器具であり、在学中から2人は巨万の富を得て、産婦人科医への道が開かれる。それから21年後の1988年の生まれ故郷カナダ・トロント、マントル・クリニックを開業しているエリオット・マントルとビヴァリー・マントル(ジェレミー・アイアンズの一人二役)の兄弟は一卵性双生児であり、生まれた時から産婦人科医を開業するまで、まさに一心同体とも呼ぶべき活動を続けていた。2人は容姿こそ瓜二つであるが、性格は兄のエリオットが社交的な野心家であり、弟のビヴァリーはどちらかというと内気で繊細な職人気質と正反対だった。
2人が手掛けた産婦人科は医師としてのテクニックからトロントを代表する人気のクリニックであり、噂を聞きつけた女優クレア・ニヴォー(ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド)がある日、お忍びで診療にやって来る。患者である女優クレアの子宮は驚くことに体内で3つの小部屋に分かれていた。お忍びで不妊の治療に駆け込んだ女の身体は数万人に1人の奇形を有しており、クレアは女失格の烙印を押された気分になり、深く絶望する。奥手で引っ込み思案なビヴァリーの代わりに、彼女への絶望の宣告(不妊)をエリオットが告げるが、ヒロインの女は不安定な気分のまま、エリオットと一夜を共にする。翌日、兄のエリオットにけしかけられ、クレアのもとを訪ねたビヴァリーは突然彼女に抱きつかれる。彼女は兄弟が一卵性双生児であることを知らず、昨日のエリオットと今日のビヴァリーを同一人物と思っている。自分の乱れた過去を懺悔し、奥手なビヴァリーに愛を教えるクレア。このことは幼い頃から何もかも共有し楽しんできた兄弟にとって、初めての2人だけの秘密となる。見た目は瓜二つだが、性格は対照的な2人はセックスもまるで違う。クレアは優しい男の二重性に不安を抱いているが、その不安が的中するような驚きの事実を友人に聞かされる。激怒してビヴァリーのもとを去るクレアだったが、この後彼の精神状態は徐々に蝕まれ、薬に依存する現実逃避が始まる。
今作のモチーフはマルクス兄弟のショッキングな実話を元にしている。スチュワートとシリルのマルクス兄弟はニューヨークの同じ診療所で働く優秀な産婦人科医だったが、ある日、ニューヨークの東63番街のアパートのゴミの山の中から、折り重なった腐乱死体として発見される。死因は麻薬を絶ったことから来るショック死だった。監督であるクローネンバーグはこのパルプ・フィクションに魅了され、一卵性双生児の兄弟と子供を産めない女との三角関係の物語を紡ぐ。ビヴァリーはエリオットの背中を見て育ち、社交的な兄の影になろうと努めて来たが、運命の女優クレア・ニヴォーに出会ってしまったところで、急に彼の抑えていた自我が目覚める。エリオットの医学会の記念式典で酔っ払ったビヴァリーがマイクを奪い、彼の制止を遮り、演説する様子はビヴァリーの隠れていた自我を明らかにする。だがローソン教授に取り入り、飄々と准教授の座を手に入れ、将来安泰の兄を尻目に、弟の精神の均衡は脆くも崩れてゆく。そして皮肉にも弟の顔から生気が消える頃になると、今度は完全無欠だった兄エリオットの神経にも徐々に不安が生じる。肉体の内面へのフェティッシュな侵食という得意なモチーフを扱いつつも、肉体への侵犯ではなく、精神の不均衡を描いた今作を境にして、クローネンバーグの作風は肉体から精神世界へと変容を始める。本来ならば手術医の衣装は水色や白色だが、あえて真っ赤な血の赤色で纏められたオペ室の奇妙な色彩、純金で塗り固められた器具に対し、どこまでも殺風景なマントル・クリニックや自宅のインテリア・デザイン。ラストに折り重なる2人の死をクローネンバーグはムダ死にではなく、実存主義的な真に美しい男同士の死として結んでいる。