【第446回】『ステキな彼女』(ホウ・シャオシェン/1980)
台北という台湾屈指の大都市の交通渋滞の中、ヒロインを乗せた黄色い車が悠々と走ってくる。女は時に笑みを見せるものの、どうやらフロントランプの調子が悪いようで、縦列に車が連なる渋滞の中その場に停車し、外へ出てランプの様子を見る。歩道ではその様子をある男が見ており、バイクの警報音を何回も鳴らしながら、自分の存在を気付かせようと手を振るものの、女はそれどころではない。農業中心だった台湾の暮らしも70年代以降は軽工業から重工業へ大規模な転換を図り、積極的な産業政策を打ち出した。80年代にはパソコンのマザーボードのシェアでは世界一になるなど、目覚ましい経済発展を遂げたのである。映画はその農業中心から産業中心へ転換するまさに過渡期の台北を映し出す。とある大会社社長の娘ウェンウェン(鳳飛飛)は経済成長著しい会社に勤めている。一方クー・ターカン(鐘鎭濤)も経済発展の続く台北で測量技師として働いている。弱冠33歳の若さだったホウ・シャオシェンは黄色い車と赤いバイク、仕事中の脚と脚など幾つかのイメージを重ね合わせながら、2人に運命の出会いを用意する。
物語は結婚適齢期の女性の気の迷いと恋愛模様を描いている。いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれると信じているウェンウェンは、父親からの縁談の誘いや政略結婚の類からいつも飄々と逃げている。ある日、同じく財閥の御曹司であるチエン(アンソニー・チェン)との縁談が持ち上がるが、それを嫌って叔母のいる田舎へと逃げ込むのである。右肩上がりの経済発展の進む大都市・台北と、グローバル化に背を向ける自然豊かな田舎町との対照的な構図は、ホウ・シャオシェンにとってデビュー当時からあまりにも重要なモチーフとなる。見渡す限り人工物のない村々、畑から立ち上る湯気、子供達の軽快な笑い声が響く中、泥んこになって子供達の面倒を見るヒロインの元に、クー・ターカンら都会からの測量チームが現れる。大きな幹線道路の建設計画はこの平和な村を呑み込みかねない。道路が出来れば、何世代にも渡り暮らした家々での生活は壊され、近代化した無味乾燥した街並みに整備されてしまう。ここではさながら測量技師側の急進派と村人たち保守派の対立となる。その中で急進派の中心だったクー・ターカンが毒蛇に脚を噛まれ、瀕死の重傷を負う。都会へと運び込むうちに毒が回り死んでしまうターカンは、医者である村人へ血清処置を頼むも、村を潰しかねない危険な男の提案を一度は断ってしまう。だが今作はシリアスな社会派ドラマではなく、人気歌手鐘鎭濤と鳳飛飛を主役に据えたライト・コメディである。毒蛇だと思っていた恐ろしい生物は実はただのムカデであり、壁汁を取って煎じたお茶を飲んで腹をくだすことになる。初期のホウ・シャオシェンが得意としていたトイレの描写がもう既に出て来る。腹を壊して、トイレに駆け込みたい一心の男だったが、5つ並んだトイレの最初の3つには既に先客がおり、4つめでようやくクー・ターカンはトイレにありつけるのだ。
最悪だった2人の出会い、その後徐々に惹かれ合う2人の伝統的なメロドラマに対し、監督は恋のライバルを用意する。クー・ターカンと田舎街で愛を育むウェンウェンの束の間の幸福を掻き消すかのように、父親は強引に台北に呼び戻す。彼女が叔母に連れられ帰る途中、村のはずれにある大きながじゅまるの木に相合傘で彫ったウェンウェンとクー・ターカンの名前が泣かせる。台湾では古くから大きながじゅまるの木に2人の名前を彫れば、永遠に結ばれるという言い伝えがあるらしい。それをクー・ターカンといる時は気恥ずかしくて彫れなかったウェンウェンが、台北に戻る直前にクー・ターカンの名前の隣に自分の名前を密かに彫る場面が素晴らしい。政略結婚を渋々受け入れようと決意した女の前に、その決断を迷わせるように失意のクー・ターカンが何度も現れる。1人のヒロインを取り合う2人の男の構図といえばバチバチの殴り合いにしかならないが、シャオシェンは粋な演出を施す。小高い山の上、背中合わせで立った2人がゆっくりと山を降りていき、やがて平地へ辿り着くと、互いのピストルで打ち合う。まるで西部劇を連想させるようなコミカルなやりとりである。それ以外にも村で帰り道を歩くウェンウェンとクー・ターカンの道中、突然クー・ターカンが日本の『座頭市』の殺陣の真似をしてウェンウェンを喜ばせる。ホウ・シャオシェンはラブ・ロマンスのそこかしこにジャンル映画の影響を忍ばせながら、実に堂々としたアイドル映画を製作している。赤いバイクと黄色い自動車、赤電話と黄電話など原色のイメージを活かしたイメージの羅列はこの手のメロドラマの中でひときわ際立つ。また交わされる言葉も標準語となる北京語の他に、村の描写では既に公共の電波では死に絶えていた台湾語を使用している。もはや死に絶えようとする言葉をフィルムに焼きつけ、確かにあったはずの事象に想いを馳せる。ホウ・シャオシェン33歳の恐るべき処女作である。