【第598回】『いとこ同志』(クロード・シャブロル/1959)

 トランクケース片手に意気揚々と駅の改札を出る若者の姿、都会の石畳と喧騒に若者の心は騒めく。田舎町で温和な母親に育てられた23歳のシャルル(ジェラール・ブラン)は、大学で法学を学ぶため、田舎から一路、パリに住む従兄のポール(ジャン=クロード・ブリアリ)のアパルトマンで同居生活を始めようとしていた。彼の部屋は駅から程近いシコモル通りにあり、アパルトマンの1階では陽気な家政婦(ジャンヌ・ペレ)がシャルルを呼び止める。「あんた、ポールの従兄弟だろ?」いつもお客の絶えないポールの部屋はアパルトマンの8階にあった。少し懐かしいポールとの再会の席には先客クロビスがいる。久々の再会の高揚感を引き裂くように鳴り響く1本の電話。彼の子を宿したと泣きついてきた元カノを、ポールはクロビスに金をやって卑怯にも始末する。ポールとシャルルは何もかも対照的ないとこ同志に他ならない。都会と田舎、ブルジョワジーと貧困、女ったらしと朴訥とした真面目さ、生まれながらのサボり屋と努力家。ポールが手切れ金を渡して元カノと別れている間に、シャルルは田舎に住む母親に手紙をしたためる。1958年8月13日パリ、最初の手紙は従兄弟のポールに会えた喜びと、初めての大都会パリでの新生活に胸を弾ませたシャルルの喜びが文面に満ち溢れている。

翌朝、セーヌ左岸にあったカルチェ・ラタンの売春宿「結座」でポールは仲間たちにシャルルを紹介する。地下では軽快なJAZZが流れ、タバコの煙は逃げ場もなく屋根にたまり、幾つかの男女のグループが昼間から愛し合う。別室では賭けポーカーに興じる4人の若い男性たちの姿。シャルルは心許ない素振りを見せながら、ポーカー・ゲームに代打要員で入るが、友達と話すためにやって来た1人の女に一瞬で心を奪われる。初めて会ったフロランス(ジュリエット・メニエル)の美しい瞳、洗練された表情、明らかに恋愛経験豊富な若い女にシャルルの気持ちは靡く。退廃的な乱痴気騒ぎの夜、シャルルはフロランスに愛の告白をする。パーティの喧噪から抜け出した夜の舗道のシーン。吸い込まれるようなパリの夜の闇の中で、なかなか思うことを口に出せないシャルルと、彼の勇気を待つフロランスの表情を、アンリ・ドカエのカメラワークが完璧な構図で切り取る。一緒にドライブしようと約束した2人の重なり合う想いは、あろうことか従兄弟のポールによって阻まれてしまう。実の兄弟では近過ぎ、無二の親友では遠過ぎる。この従兄弟という微妙な距離感の中で、ポールとシャルルは互いに同じ女フロランスを愛してしまう。贅沢でゴージャスな部屋、豊富な人脈、パリの名士として羽ばたこうとするポールは、たった一つだけの希望だったフロランスさえも、シャルルから強引に奪おうとする。

かくしてうさぎと亀の寓話は、クロード・シャブロルらしい悲劇的な結末を迎えることになる。モーツァルトやワーグナーがかかる乱痴気騒ぎの喧騒を抜け出したシャルルは、売春宿の隣にある本屋で、彼にとってこの街でただ一人のメンター(ギイ・ドコンブル)に出会う。バルザックが好きだというシャルルに敬意を表し、何でもいいから本を持って行けという店主の言葉。隣の奴らにドストエフスキーを読むように言ったが、悩みたくないからと断られたと店主は嘆く。無邪気だったシャルルは結局、もらった本を店主に返すことになるが、失恋の痛みをこらえて助言をもらいに来たシャルルに、店主は法学の試験で見返したらいいと浅はかな助言をする。この助言が破滅への始まりとなる。クロード・シャブロルの演出は、まるでジキルとハイドのような人間の二面性を極めて老獪に据える。ラモーやイタリア人実業家ら退廃的な人間が集まるパーティにおいて、ただ一人フィリップだけがこの空間での良心(アンチテーゼ)となるが、彼にはシャルルよりも一足早く、残酷な結末が訪れる。処女作『美しきセルジュ』と善悪を司る2人の俳優(ジェラール・ブラン、ジャン=クロード・ブリアリ)が逆さまにした構造も、シャブロルらしい陰惨極まりないクライマックスと、ブルジョワジーへの憎悪が早くも見て取れる。ワーグナーの美しい調べが一転して血に染まる演出は、若者たちの無軌道な青春群像劇の崩壊を強く印象付ける。トリュフォー激怒の後、リヴェットに空フィルムを回し続けたシャブロルの男気は、今作の収益を盟友であるロメールの処女長編『獅子座』の製作費に充てる。ヌーヴェルヴァーグとは「カイエ・ドュ・シネマ」一派の友情と地続きだったことを物語る印象的な美談である。

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