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春の海、閉じ込められた季節と暮らす日々。
精神科へ行ってきた。
いつもの様に淡白な診察。
薬の種類も量も会話すらも大して変わらないもんだから、本当に前へ進んでいるのかと不安になってしまう。
まあ結局、指針も、歩き出すタイミングも、歩くスピードも、決めるのは自分なんだけど…。
それでもアドバイスをくれと頼んだら何か言ってくれるのだろうか。それを聞いて何か変わりはしないだろうか。救われないだろうか。
生きる意味とはなんだ?
寝起き一杯の珈琲くらいのもんか。
作詞:秋田ひろむ 『吐きそうだ』より抜粋。
……お腹が弱いから、寝起き一杯の珈琲だって飲めやしない。
小さな子を持つ親が羨ましい。それだけでしばらくの生きる理由になる。
方角も判らず暗闇を彷徨ってる気分だ。同じ所を延々と廻っているんじゃないだろうか。ここは何処だ、どうしてみんなは歩いていけるんだ?どこを見ている?なにが見えている?そもそもみんなは本当に居るのか?みんなって誰だ?
自分の目を両手で塞いで「なにもみえない、こわいなぁ」と歩けない理由を造っているだけかも知れない。
それでも…何も見えない。それに変わりはない。それだけが今、目に見えている問題だ。
暗闇を松明で照らして、見えない問題をわざわざ探り出す勇気はでない。
つまりもう長いこと、思考を放棄している。
人間は、終としてたったひとりで死ぬ。生に孤独なんてないだろう、始めから終わりまでどうせ一人で征くんだから。
……そう思わせてほしい。
他人に意味づけを施せば、巧く自分を騙せれば、そのどうしようもない孤独感も淋しさも多少紛れるのかもしれない。
でも未だにその技術が拙い。
他人と積極的に触れ合うなかで、傷ついてしまうのが怖い。誰かに頼って、弱者の側に立つのが怖い。所謂ガキだ。
こんなにも今、自分は周囲に頼りきっているというのに。なんて清々しくないクズだ。
普通の人が無数の生傷をつくりながらも転び方を学び、成長していくその横で。僕はもう怪我をしたくないんだと家に引き篭もってしまった。
もう死んでしまいたい。そう叫んでは千切れそうなロープを弄ぶ。水底の憂鬱から抜け出した今となっては、そんな毎日を過ごしている気がする。
今日も本当に天気が良い。嫌気が差すほどに。
久しぶりに釣りにでも行きたい。
きっと海の中は、まだ冬なんだろうけど。
※2017年の記事です
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