進撃の巨人 考察番外編2 その言葉は真実か?

良い考察とはなんだろうか?
正解を示すことだろうか?
私は、論拠を示した上で自分の考え方を示すことだと思う。
その考え方が、作者の考えを見抜くことでも、自分だけの解釈を示すことでも、どんなぶっ飛んだものでも、きちんと論拠があれば語るに足る考察だと思う。

ということで、考察記事を書くために論拠をちゃんと示さないといけないのだが、進撃の巨人はちょっと厄介だ。
以前の記事にも書いたが、キャラがいうセリフなどのテキスト情報が真実として信用できないのだ。逆に、何を真実だと思うかによって解釈が分かれるので、作品に深みを生んでいるのだと思う。

さて、本稿ではなんで信用できないか、というところを語っていきたい。

注!)以下、ネタバレを含みます。

1. キャラのセリフ

まずはキャラクターのセリフだ。
エレン・クルーガーが明確に「現実に真実などない、誰かがそう言えばそれが真実になる」と述べている。その後では、ダイナ・フリッツが王家であることは「事実だ」と述べている。真実と事実の違いは、主観的か客観的かと言える。言い換えれば、真実は解釈なのだ。だから持っている情報や知識によって真実が異なってくる。

2. 作品の構造

この作品は、主人公達が問題を解決すると新たな真実が明らかになり選択をせまられる、というかたちで物語が進んでいく。選択をする際には不完全な情報の中で道を決めていかなければならない。だからキャラ同士で話したり、闘ったり、葛藤したりしてそれぞれが道を選んでいく。
こうした構造であるから、キャラが言ったり思ったりしたことは、事実とは限らないのだ。

3. 状況との不整合

これは言葉と状況があってない場合だ。現実世界でもよくあることだが、言ってる言葉と含まれている意味は違うということだ。
例えば、最終話でエレンが「始祖ユミルは王を愛していた(と感じた)」と言っているのだが、それまでエレンは恋愛感情には疎いキャラとして描かれている。初期の頃はミカサの愛情を感じていないような書き方であるし、マルロがヒッチの愛情に気づいていないとイジられている時もマルロに同調していた。そんなやつが愛していたと感じたというのはなんとも不自然だ。

また、始祖ユミルの伝説についてマーレでは悪魔的に、エルディア復刻派では神的に解釈されている。支配者マーレがかつての敵を悪魔的だと教育するのは当然だと思うし、虐げられているエルディア復刻派が狂信的に始祖ユミルを神のような位置付けで解釈するのも当然と思う。どちらも事実とするには偏った見方過ぎるので、信じるには足りない。

以上のように、テキストで説明があったからと言ってそれが事実であると簡単に受け入れることはできない。
考察を行っていくには論拠の補強が必要だと思う。

論拠の補強方法〜描写とルール〜

では、何で補強しようか。
マンガの良いところは「絵」があるところだ。
状況やキャラの表情などが豊かに表現できる。だから、描写を補強の材料の一つとしたい。
専門ではないので詳しくはないが、描き方にはルールがあるので、そこからヒントが得られることもあるだろう。また、作者が0から生み出すものだから、当然作者の意図が入り込んでくる。必要なものは描くし、不要なものは描かないはずだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?