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はじめまして、


はじめまして
お片付けプロ歴10年の防災士
防災備蓄収納アドバイザーのやまぐちまりです。

noteは、はじめまして。
実はさぼりながらもブログ歴10年です。
収納や防災の情報を書くことはまだできる
のですが、どうにも自分のことを書くのが
大の苦手です。

そんなわたしが、54歳にして自分の中のものと
向き合い、昇華させるために書いているもので
コチラの投稿はちょっと長くなります。

ふむふむ、じゃぁ読んでやろうじゃないか
と、感じて下さった方は予めご了承下さいね。

こちらでは、子どもの頃からの夢と仕事について
先に述べてますが超難関だった自身についての
自己開示、訓練かねてお話してみたいと思います。


子どもの頃の夢とペット防災への想い。


9歳の孤独を埋めたのは、シャム猫みーこの存在。

子どもの頃(実母時代)の我が家は家庭内の不協和音が絶えない家でした。家に居ても、いつも「ひとりぼっち」だった私にとって、9歳の誕生日に家にやってきたシャム猫のみーこは特別な存在でした。

家では、幽霊の様に存在感の無いわたしを感じてくれている唯一の存在でした。みーこは気が強く、怒ると怖い猫でしたが、私に本気で向き合ってくれる、いつも冷ややかに感じていた家の中での「温もり」でもありました。家では、両親も祖父母もケンカが絶えず常に苛立ち怖い顔、兄らは表情を失くし、家に居る人間はモノクロ映画の様にしか見えなかったけれど、みーこの周りは子猫たちで賑やかで活気と愛情に溢れていました。そんな環境で育ったおかげで、今の私があります。


夢に、蓋をして深くに沈め
記憶から消していた幼少期の辛い体験。


子どもへの関心も愛情も薄いのに、妻(義母:後妻)と動物は大好きだった父の影響もあり、我が家はご近所からムツゴウさん一家と称されるほどの動物一家でした。動物に囲まれて暮らす内に自然と意思の疎通もできる仲間意識というか、幼少期には感じられなかった『家族』をペット達(猫以外にも、犬、文鳥、ハムスター、うさぎ、カメ、ヤドカリ、金魚)に重ねていたのかもしれません。そんな環境も長くは続かず、29歳で3人の子持ち祖父母付きの家に嫁いできた2番目の母が、過度なストレスからか当時17匹いた猫達(みーこも含む)を捨てにいっていました。帰宅し、その事実を知った時、義母に世話を押し付け、猫達の世話をお手伝いしなかった無責任で怠けものの自分をどれだけ責めたことか。

義母も帰宅してから、正気を取り戻し直ぐに迎えにいったそうなんですが・・・猫達は方々に散り見つけれなかったと言います。後に、みーこらしき猫が犬に襲われてたという話も・・・。もう、悲しくて悲しくて悲しくてみーこにみーこのこども達にただただ謝りたくて・・・


絶対に、二度とこんなことしちゃいけない。家族に、無責任な飼い主になっちゃいけない。世話ができないなら、無責任に連れ帰ったりしない。罪悪感の塊が子供の頃の自分に重く深く沈み、繰り返しちゃいけない!!と心に強く刻みこみました。その後も、自分達の罪をすっかり忘れたように両親は新たな猫達を飼い続けますがわたしにとって、みーこの様に家族になれた猫は、実家には存在しませんでした。

小学校の授業では『将来の夢』について質問されます。
当時は、恥ずかしくて言えなかったけど心の中で『動物達を守れる獣医さんになってみたい』って思ってました。今思うと、この夢はみーこが与えてくれたものだったのかもしれません。


けれど、当時の学力や自己肯定感の低さから、生まれたての夢も諦め蓋をし鍵を掛けて深くに沈めていたため、そんな淡い想いも最近まで思い出せずにいました。

しかし、今は違います。

獣医にはなれなかったけれど、黒猫のはちこにご縁を繋いでもらったペット防災の仕事を通じて、ペット達を守るためにわたしにできることを考え行動に変えています。


わたしにペット防災を教えてくれたはちこさん

この黒猫はちこちゃんについては「わたしと、黒猫と、防災備蓄と」で
出会いについてお話してますが、実はこのはちこちゃん、その気の強さや
本当は優しいのにツンとしてる、甘え下手で自己表現が不器用なところなど、どこかみーこを感じさせるものがあるんです。ひょっとして、みーこの生まれ変わり?なんて都合のよい妄想膨らませてますが・・・この子のお陰でわたしはペット防災と出会い、その重要性を伝えるペット防災の仕事につくまでに至ってます。

みーこへの恩返し。
みーこに与えてもらったもの、すこしずつでもお返ししたい。
そんな想いもペット防災に重ね活動してます。

現在のわたしの仕事


現在のお仕事は3つあります。
 ①創業100年を迎えるリフォーム専門の工務店 取締役
 ②一般社団法人 わんにゃん防災 代表理事
 ③個人活動:お片付けや防災備蓄収納 の講師業


IKEA鶴浜店でファミリーメンバー様対象:クローゼット収納講座

家業の工務店のお仕事では、収納プランニングやお片付けサポート
防災備蓄収納提案などを中心に経営事務的なお仕事もさせて頂いて
おります。

2020年に同郷出身の同志と起ち上げたわんにゃん防災では、
防災備蓄収納を担当する代表理事としてペット同行避難訓練や
防災備蓄講座を企画提案実行サポートさせていただいてます。




尼崎市商工会議所会報誌:2024年4月号掲載


50代に入った今でこそ、自分の好きなようにお仕事させていただいて
おりますが、過去には様々な職種を経験しました。
アパレルメーカーや広告代理店など、お仕事を通して、人見知りを克服し、緊張しながらも大勢の人前でお話できるまでになりました。これまで点と
点でしかなかった私の職歴でしたが、今はこれまでの経験も現在の仕事に
集約されていく、点と点が繋がり線になっていっているそんな感覚を
感じております。そんな前職について次でお話させていただきます。


『人見知り克服』からはじめる、波乱万丈な前職について


10代の頃の家庭環境も影響してか、自己肯定感が上手く育っておらず
コミュ力も低かったわたし。このままではダメだなと感じ、20代では
『人見知り』を克服すべく超苦手な分野であったアパレルメーカーに就職。

採用され、直ぐに某有名百貨店(従業員への指導が超一級レベル)
の平場に配属。個人売上へのノルマと優秀な同僚達のプレッシャーに
委縮し失敗続きの毎日。ついには左遷されるが、左遷先でひとり店長を
任され復活を果たす。その仕事ぶりに周囲の評価が高まり、当時の
上司の期待を背に神戸の某有名百貨店の平場に店長として栄転配属
されるも数年後、阪神淡路大震災で建物が被災し建て直しの為閉店。
アパレル勤務に限界を感じ、25歳で寿退職。


人見知りを克服するため、同じく苦手なファッション分野の販売業を選ぶ



30代で経験した職業は、学生と管理職。


29歳方向性相違により離婚、30歳で何もしたいことがなく、
またできることもないため、フリーター生活しながら英語力向上を
目指してオーストラリアへ留学。日本、台湾、韓国、トルコ、ポーランド etc の10代~20代に交じらせていただき学び直しの日々。
ホームステイ先ではセクハラ、パワハラ経験し1年程落ち着かない
日々。最終的にはオージーの友人宅を借りて初の独り暮らしを
満喫しただけで大して英語も上達しないまま両親の長期船旅期間の
ペット達のお世話のためだけに強制帰国。

帰国後、派遣社員として広告代理店で主婦モニターの消費行動を
定性調査管理する為に発足した部署に専任担当者として放り込まれる。
上司の無茶ぶりに何度かキレるが、わからないなりに前向きに
取り組む姿勢と行動力がここでも評価され正社員として採用、
後に、同社で唯一の女性管理職に。

同時期に現在の夫と再婚、翌年には38歳の高齢初出産で女の子を授かる。育休取得し、職場復帰するつもりであったが娘があまりにも可愛すぎた。
当時ご時世的に保育園が不足する中、大切なわが子を預けたい保育所が
見つからないことを理由に退社。社では唯一の女性管理職の離職の理由に
社長をはじめ上司や女性社員達の期待を大きく裏切る結果になったが、
娘を優先したことに後悔はしていません。

後に、同社からは管理職として職場復帰のお声も掛けていただくも
お片付けの仕事が忙しくなってきていたのを理由に再度辞退。代わりに
お片付けの講演依頼頂くなど感謝してもしきれない、足を向けて寝れない
程お世話になりました。

・アパレルメーカー
・フリーター
・学生
・広告代理店

と前職では、

アパレルメーカーでは、目を合わせれなかった人見知り度合が薄まり
フリーター、留学では、言葉の壁はあってもなんとかなるという自信をつけ
広告代理店での経験は、大人数の面前で話すという苦行を積み、データの読み込み、資料づくりなどのデスクワークの面白さを得ました。

そしてこれらが、後の仕事に生かされることになります。


っと、ここまでで家づくりに関わることなど全く経験の無いわたくしですが
出産後、育休中に経験した片付かない家のストレスとイライラや不安を
経験し、専業主婦なのに片付かない暮らしへの疑問を募らせます。



片づけても片づけてもすぐ散らかり不要なものは増えるを繰り返してました


家づくりに興味の無かったのに、家づくりを無茶ぶりされた結果

建築素人が家を建てると収納問題に詰まる。

娘が4歳、育児専念中に今の家を建てることに。建築経験ゼロの
ド素人のわたしに工務店経営者で建築士2級の夫による無茶ぶり
『好きなん考えたらいいよ。』の一言で、レポート用紙に物差しと
鉛筆もって理想の家のデザインに向き合う。


方眼紙でも縮尺スケールでもないところが、建築素人ならでは。


当時、ネット環境にもテレビ情報にも疎くモデルハウスを何軒か見学
した中で得た情報だけで『My 理想の家』をデザイン構築。夫には
建築的に無理なことだけ指摘され、再度悩みの沼にハマルの繰り返しで
気がつけばストレス白髪が出たほど家づくりに悩んだ日々でした。

建築後も、天井までの収納をつくり、絶対全部きれいに入る
と思ってたのに入居1年半は5畳の和室に未開封の段ボールが
山積み状態。

引っ越し後の我が家の状態

あれ、おかしい?
なにかが、おかしい?
でも、なんではいらないんだ???

そんな疑問を抱えながら、整理収納アドバイザー2級認定講座を受講
疑問が次々と解決していく。


受講2年後には、2級認定講師となり教える立場に。


これはリフォームの仕事に生かせる資格と信じ1級取得しながら
自力で整理収納することに。実はこの時も世の中に先人のお片付け
ブログが存在することを知らず、それらから得る情報の恩恵を全く
受けずテキストだけを頼りに自力で試行錯誤していたため無駄に
時間を要しました。

そうこうする内に、1年もすればなんとか形にはなってきます。
リビングや子ども部屋の収納写真をBlogに投稿。
編集者の目に留まり、雑誌の取材を頂いたり
収納コンテストで入賞したりと今までの人生にはなかった
自宅収納公開講座やお片付けサポートなど整理収納のお仕事に
繋がっていきました。

片付かない家問題は、収納を大きくするだけでは解決しない。


これまでの設計や自力片づけによる家づくりの経験により、

・ 収納を大きくつくれば片づけ問題は解決する

という幻想は、現実的ではないことを実感。
建築のハードと、片付けのソフトこれら両輪のバランス
が肝要と考えます。そして、お片付けの仕事はこれらの
バランスを調整できる家づくりにとって大切な役割を担う
お仕事なのだと気づけました。

これまでに、お片付けと建築の関係を学びを深めるべく
お片付けのパイオニア 近藤典子先生の門下生として
住まい方アドバイザーメソッドを習得。快適な暮らしだけに
終始せず、安心安全な家づくりを+プラス。
大切な防災備蓄収納をご家庭に普及する提案サポートをしています。



2023年の自作イラスト:防災備蓄収納キャラクター 

理想は、週3働いて、週4休み家での暮らしごとに専念するほどほどな暮らし。


ここまでお仕事についてお話させていただきましたが
根っこは仕事好きの怠け者。基本的には家に居ることが
大好きなもので、料理や仕込み仕事家、庭菜園、自家製の
お茶いただきながら読書やイラスト描いたり、好きなことを
しながらのんびりとねこや家族、友人達と自然に囲まれた家で
過ごすことが理想の暮らしのわたくしです。


いたって内向的で地味な人間です。


2024年の味噌づくり 仕込み仕事が好きです。



が、この度 noteにて『書くお仕事』と向き合うと決め
苦手な自己開示もしつつ、54歳のチャレンジとします。

こちらでは、安心安全で快適な家づくりに必要な

お片づけ
防 災
ねことの暮らし

について綴って参ろうとおります。

世間では、リスキルという言葉が流行ってますが
わたしの場合は一度駆け足で通った路の『二巡目』クリア
を目指す仕切り直しのリスタート(再出発)といった感じです。

あなたの暮らしにお役に立てれる情報を発信しようと
思っています。共感いただけることがあれば、
コメントを通して交流いただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。



投稿日時宣言をして、継続力育成ちゅう。



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