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恐ろしいトレンドがあったことは幻であってほしい

わたしの周りで秘かに囁かれていたこと、トレンドのようにステレオタイプな考えが蔓延っていた場所、時期があって、とても怖い、と思っていたことがある。確か数年前のこと。

少しもの忘れや忘れ物をした人のことを「若年性認知症疑惑扱い」をすることだった。様子を見ていると、心配や思いやりではなく、たまたまわたしが出会したケースのいくつかはあくまで「レッテル貼り」であったことに背筋が凍った。

瞬間瞬間でそう判断してしまうスピード感判断の際の情報入力の浅さ視野の狭さ、それが潮流になっているかのような事実に驚きでしかなかった。

それが人材(財)を扱うような立場の人たちであったことに、まるでフィクションドラマや映画の中にいるような気にもなったことがある。

もはや「出会したことがアンラッキー」、では済まされないという感情が湧いたが、その場ではそういう会話には「関わらない」という選択肢しか取れなかったことにとても歯痒く悲しかった

これは本人が「いじめ」や社会やコミュニティーからの「排除」のつもりはなくても、無意識で、「自分がそうで無い」ということを主張するために人にレッテル貼りをすることで安心する、という自然な本能、自己防衛からきているものなのかもしれない、とも思ったが、これは個人個人が十分に意識するべきテーマではないか、怖い、と思った。

恐らくであるが、経験の浅い(本人は浅くないと思っているケースが多いが)、無知な場合に陥りやすい気もする。様々な人種や人に会っているとそう簡単に分類化しないだろう。

そういう意味では、わたしも含めて、『ファーザー』(原題:The Father)から今学ぶべきものはあるのかもしれない。日本で2019年に上映の「Le Père 父」も恥ずかしながら未鑑賞だ。

多様性を受け入れる社会と方々で言われているが、実践できているだろうか?そういう場に遭遇した際、実践できるだろうか?こんな投稿をしているわたし自身が現実に身近に起こる前にもっと心算や準備をしておくべきかもしれない。

やりたいこと、に没頭しすぎて、大切なことを疎かにしていないか、考えるための「敬老の日」Respect-for-the-Aged Dayを迎えたい。

もの忘れについてわたしにも分かり易いように書かれた記事があったのでここに置かせてもらうことにする。


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