正解を求めなすぎない姿勢と仲間の重要性

こんにちは。
コミュニティフリーランスの長田(@SsfRn)です。

先日、僕が3年近く運営していた「コミュニティの教室」をリニューアルし、「コミュニティのカレッジ」をリリースしました。

コンセプトは『コミュニティで生きる人の対話の場』

詳細はぜひwebサイトを見ていただきたいのですが、今回この場に込めた想いを書いてみたいと思います。


正解がないことへどう向き合うのか?

「コミュニティには正解がない」
この言葉の意味は、コミュニティマネジメントに関わる方であれば理解してくれることかと思います。

それは「関係性」に関わる仕事だからこそ、そのすべてをコントロールできないから。ある程度の偶発性を受け入れたうえで、様々なことを設計していく必要があります。

そんな正解のない世界を生業としたとき、僕らはどんな姿勢で向き合っていくことが必要なのでしょうか。

現代はなにかと正解が求められるし、正解っぽいことをすぐにつくりたがりがち。でも、本当に必要なことはそこに飛びつかない胆力なのかもしれません。

ぐっと堪えて、正解がないからこそ感じる不安のなかにあえて身を置き続ける。そうすることで、その人だからこそ見える一筋の光が射し込んでくるんだと思うんです。

もし、すぐ正解に飛びついてしまうと、勝手にわかった気になったり、インスタントな鎧をまとって終わってしまうリスクが生まれてしまう。本質的なものを積み重ねていくためにも、ぐっと堪えていく胆力が大切になるんじゃないかなと。


だからこそ仲間が必要

とはいえ、不安の中で堪え続けることはとてもしんどいことで、辛くなって当たり前です。その状況を脱したいからこそ、「正解」という餌に飛びついてしまうのかもしれません。

そうならないために何が必要なのか?

それこそが、「いっしょに向き合い続ける仲間の存在」なんだと思うんです。

答えのない世界では、答えのない問いに向き合い続ける日々が待っています。その問いをいっしょに向き合える仲間がいることで、堪えることが学びの時間になり、楽しいと思える時間にもなるかもしれない。

まずなによりも、その問いに向き合おうという姿勢になっていくと思うんです。答えのない世界において、この姿勢こそがとても重要なんだろうなと。

コミュニティという世界において、コミュニティと向き合い続けることは簡単なことじゃない。

だからこそ、「コミュニティのカレッジ」といういっしょに学び・対話できる空間を生み出すことで、よりコミュニティの本質に近づいていけるんだと思っています。


最後に

今回リリースした「コミュニティのカレッジ」は、2022年特に力を入れていきたいプロジェクト。

コミュニティマネージャーではなく、コーディネーターという立場で関わる唯一のコミュニティなので、僕自身も全力で向き合っていこうと思います。

ということもあり、サイトの内容に共感してくれた方はぜひ参加してほしいです!いっしょにコミュニティと向き合ってくれる仲間、お待ちしています!

※先着順になるのでご応募はお早めに!

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長田 涼
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