ローカルで出会う人がおもしろいと感じる理由
こんにちは。コト暮らしの長田です。
2022年に東京から鞆の浦に移住した僕ら家族ですが、その前からさまざまな地域に足を運ぶ機会がありました。
その先では、本当に多くの方と出会ってきまして。おまけに、ひとりひとりの方がとても魅力的で「おもしろいなぁ」とつぶやくことは珍しくありませんでした。ローカルめちゃおもろいです。
その出会う確率が東京にいた頃よりも高いような気がしていて、それが何故なのか?を考えていたのですが、それがようやく言語化できたのでnoteを書いてみます。ローカルでの活動や暮らしに関心がある方は、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
おもしろさの根源は能動性
まず、当たり前に語られていることですが、ローカルは都会ほど施設やイベントなどの機会の数はかなり少ないです。
そんな環境が物足りないと、若い人が都心を目指したくなる気持ちは、痛いほどよくわかります。「ある」環境と比較してしまうと、そりゃ「ない」環境が劣っている感覚にもなりますよね。(僕も学生の頃は一刻も早く関西を出て、東京にいきたいと思っていました)。
ただ、東京での暮らしをそれなりに経てきて、今ローカルの暮らしを体験している身としては、「ない」ことは余白だったんだと気が付きました。
都心での暮らしは、とにかくモノも施設も機会も溢れに溢れている。「こういうのないかな」とリサーチすれば、だいたいのものが用意されています。それが「ある」環境の最大のメリットでしょう。
一方、「ない」環境だとリサーチしたところで、全然ヒットしません。「ない」のだから当たり前ですが、それは言い換えるとやるひとがいないだけであって、ポジションが空いているということでもあると思います。
そう、まさに余白なんです。
そして、おもしろいのが、人は余白があると自分でやりたくなってしまう性質があるんじゃないかなと個人的には考えています。「こういうカフェがないなぁ、ほしいなぁ。ないなら自分でつくろう!」と、誰しもが持っている「能動性」が引き出されていく。
この能動性が発揮されていることが、僕が各地域で感じてきた「おもしろい」と感じる正体なんじゃないかなと考えています。自らやってしまうひとって、魅力的で、ひとを惹きつける何かを放っていますよね。
能動的っておもしろい。
能動性は環境に左右される
先ほど、「能動性は引き出される」という表現を使いました。僕が実際に移住して感じているのが、「能動性は能力やスキルではなく、環境によって引き出される性質である」ということです。
個人的な体験談で恐縮ですが、実際に僕らは東京にいた頃は、自分でカフェをやろうと動けなかったですし、ましてや「銭湯をやろう!」なんてことは頭によぎりもしませんでした。
それは、すでにそこにあったから。僕らが頑張ってやらなくても、誰かがすでに素敵なカフェや銭湯をやっていて、もう十分事足りていたんです。わざわざ自分たちでやる意味を、その時は見出せませんでした。
でも、鞆の浦みたいなローカルには、「こういうカフェがほしい!」とつい思ってしまうほど、カフェの数は数えるしかありませんし、銭湯なんて一軒も存在していません。文字通り「ない」んです。
まちのみなさんも「銭湯ほしいんですよ〜」と口にするものの、誰も動こうとはしていませんでした。だったら、自分たちでやろうじゃないか!と、そんな心理にさせられたんですよね。
これは、鞆の浦という環境に、僕らの内にあった能動性を引き出してもらったんだろうなと、今は解釈しています。同じような感覚の人は、きっと全国に大勢いらっしゃるんじゃないでしょうか。
意味付けして、言語化すること
このように立ち現れてきた自身の能動性を、しっかりと維持していくためには、意味付けをして自身の言葉で言語化することが大切なんだろうなと思っています。
それは思い込みでもいい。
自分がこのまちにきたことを、ある種の運命のように受け入れて、そこに意味を見出していく。
「自分だからこそ、これをやる意味がある」そう思えることは、立ち現れた能動性を保管し、そのひとの一部にしてくれる力があると思います。
そういうところまでやっているひとと対峙すると、覚悟のようなものが伝わってきて、つい背筋が伸びる思いになります。
外から見たら、客観的に分析したら、不思議に思うこともあるかもしれないけど、そのローカル(鞆の浦)が自分のストーリーの一部になっていく感覚は僕に強いエネルギーをくれるんです。
最後に
与えられることが当たり前の環境にいるのか?
自ら作り出す必要がある環境にいるのか?
それぞれ良し悪しがあると思いつつ、そこには大きな差が生まれてくるんじゃないかなと思っています。
そして、先ほども書かせてもらった通り「自ら作り出す必要がある環境」は、能動性を引き出してくれやすい側面がある。ローカルがおもしろいと感じるのは、その環境を受け入れて、開拓者が多く存在しているからだなと。
何よりも、類は友を呼ぶ現象が起こり、似たようなひとでつながっていくことに大きな差が生まれるように思うんです。
そこまで見据えて、環境を選び取っていきたいなと思う今日この頃です。
それでは!
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