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小さくはじめて、淡々と耕し続ける。そのために必要な安心感

こんにちは。
コト暮らしの長田(@SsfRn)です。

僕らが運営する古民家カフェ「ありそろう」では、最近古道具の販売をはじめました。

鞆の浦というまちに眠っている食器やアイテムは、数えきれないほど存在します。家具もそのままで放置された空き家は年々増えており、まちの課題として「空き家問題」は住民の皆さんが揃って認識しているほどです。

そんな実情を移住する前から知っていたこともあったので、僕ら夫婦の会話で「いつか古道具屋さんができたらいいよね!」と話していました。

一年半前に移住をして、「ありそろう」をはじめて半年。

最初は飲食の機能を回すのに精一杯でしたが、今ではたくさんの機能がこの場に宿りはじめています。

〈ありそろうの機能〉
・飲食
・コミュニティ
・移住相談
・雑貨販売
・古道具販売
・イベントスペース
・コワーキングスペース
・観光場所 etc,

ひとつひとつの機能力はそこまで大きくないけど、僕らがありそろうをはじめる前に描いていた絵に、少しずつ近づいてきました。とても嬉しい。(そのおかげか、また雑誌の掲載が決まりました!万歳!)

きっと、最初からこれら機能すべてをやろうとしていたら、何もかもが実現できていなかったように思うんです。僕らはカフェ営業の素人。それもあって、いきなり100点を目指すことを諦めていました。

まずやれることから小さくはじめてみる。
うちの場合、まず店に立つ。
コーヒーを淹れる。
ジュースを出す。
これらはできること。

肉付けはそれからでいい。
「あ、お菓子出した方がいいかも」と思ったからレモンケーキを提供して、「空いているスペースがもったいないなぁ」と思ったからレンタルスペースをはじめて、「そろそろ雑貨販売できるかも」と感じたから雑貨屋をはじめました。

そんな道を歩いて、今のありそろうになっています。

何でもかんでも手を出せばいいものではないことは重々承知の上で、僕らが実現したい「目的地となり、地域の新しい循環を生み出していくコミュニティの場」となるために、この複合性が大事になるんだと思っています。


「まずやってみよう」ができる強さ

ありそろうのように「小さくはじめて、淡々と耕し続ける」ことは、小さな組織である僕らができる生存戦略のようなものだと思っています。大きな組織だと、どうしても収益性や公平性などを気にせざるを得ないですもんね。

その戦略を実行するためにも、「まずやってみよう」ができることはかなり大切な話だと思っています。

先ほどお話した「完璧なんてものは存在しない」という前提もあり、やってみなきゃわからないことだらけの世の中です。

そんな社会を生きている僕らは、それなりのスピードでアクションを取ることが求められていると思います。やれることから着手し、足を止めないこと。同時に仮説も持ち、思考を止めないこと。

ただ、同時に気をつけないといけないなと思うのが、アクションに執着しすぎることの怖さです。やらなきゃやらなきゃで走りすぎると、どこかで必ず息切れしてしまう。その時に、ちゃんと足を止める勇気も大切なんだと思います。

いつか必ず休むときは来るからこそ、走れる時に走っておく。そのバランスはいつでも意識しておきたいなと、何かに向けて動く時考えるようにしています。


「やってみる」に必要なこと

このような行動ファースト的な話をすると、「やるか、やらないか、あとはあなたの意思次第だ!」的な自己責任論になりがちなところがあると思います。

確かに、そういう側面はゼロじゃないと思うのですが、その考え方はかなり乱暴だなとも思う。

これは僕自身の話ですが、小さなアクションを取っていく際には、いつも近くに信頼できる他者やコミュニティの存在がありました。それはアドバイスをくれるからとかそういうことではなくて、「ただただ見てくれている」存在がいるという安心感です。

そう、一歩を踏み出していくには、どこかで安心感を感じている必要があるんだと思います。

よくある例えですが、一歩を踏み出していくには足場が整っている必要がある。この足場こそが、安心感であり、その人にとって帰ってこれる場所なんだろうなと。

僕はずっとコミュニティは一歩を踏み出していく場としては、とても適していると思っています。それについては、先日noteに書かせてもらった通りです。

その適している理由の一つこそが、コミュニティは安心感が担保されている環境だから。何かあれば、ここに帰ってこればいい。そう思えると、自然と足を踏み出していられるから不思議です。

そして、小さくはじめたことに少しずつ肉付けしていく段階においても、他者やコミュニティという存在は大切で。そこから得られる安心感が、ゆくゆくは自己理解やアイデアの着想へつながっていき、自分だけでやっていたら着地しなかったところに、連れて行ってくれると思います。続けることって、思っている以上に”孤独“なことだったりもしますしね。

ありそろうを僕ら2人だけで運営しようとするのではなく、周囲にいる信頼できるみなさんに力を借りて今があるからこそ、身をもって感じていることです。

頼るためにも、「安心感」は外せないんだと思います。


最後に

最近、ようやく「ありそろう」の手応えを感じる瞬間が増えてきました。正直「このままやっていていいのだろうか…?」と思う時は何度もあったのですが、その度にグッと堪えられたおかげで今感じていることに触れられているなと。

そこにある価値が、”自分にだけ見えている状態“だとやはりしんどくなってしまう。なんでみんなは気づかないんだ!そう心の中で叫ぶこともあるでしょう。

だからこそ、隣に誰かがいることが大切になると思います。自分のことを理解してくれていると、自分自身が信じられることが、ある種のしなやかさを生み出すなと。

何かに挑戦すると同時に、自分が本当に安心できる空間やコミュニティ、人間関係を見つけていけるといいのかもしれないですね。

僕らも引き続き、淡々と「ありそろう」を耕していきたいと思います。

それでは!


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長田 涼
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