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コミュニティマネージャーとして「働く」のではなく、コミュニティマネージャーとして「生きる」。

こんにちは。
コミュニティフリーランスの長田(@SsfRn)です。

昨日、こんなツイートをしました。

「コミュニティマネージャー」と聞くと、仕事や職種のひとつだと理解するひとが多いと思います。僕自身もこれまではそう理解していました。

しかし、仕事のひとつでは収まらない感覚を感じていて、コミュニティマネージャーを仕事の側面だけで語ることに違和感を覚えはじめました。

本日はそんなお話を。


「コミュニティマネージャーという生き方をされているんですね」

先日、コミュニティメンバーからこんなことを言ってもらいました。

「長田さんと直接会って感じたのは、”この人はコミュニティマネージャーという生き方をしている人なんだ“ということでした。表面的にコミュニティマネージャーをやれる方は多いと思うんですけど、素でやっている印象を受けたんですよね。」

僕自身もハッとしたというか。
確かに、コミュニティマネージャーという仮面をかぶって、コミュニティマネージャーっぽく振る舞うことってそこまで難しくありません。おそらく誰でもできてしまう。

そうではなく、より本質に近い部分でコミュニティマネージャーをしているということなんだと理解しました。

コミュニティマネージャーとして働いているのではなく、コミュニティマネージャーとして生きている。あえて対比に出しましたが、そんな表現が合っているのかもしれません。

もちろん、「コミュニティマネージャーとして働く」を選ぶことがダメといっているわけではないし、最初は誰しもがそこがスタートだと思っています。(僕自身もそうだった気がする)

結果として、「コミュニティマネージャーとして生きていた」のかもなぁとも思うんです。コミュニティマネージャーとして振る舞う時間が増えていくにつれて、それが染み込んでいって、気がついたらコミュニティマネージャーとして生きているだろうなと。


生き方になると、世界の見え方が変わる

これは個人的な感覚になるのですが、コミュニティマネージャーとして活動する時間が増えて生き方にまで入ってくると、日常の見える景色が変わってきます。

カフェやお店もコミュニティとして見えてくるし
この地域にどういう関係性があるのかと観察しちゃうし
他者視点に立つことも圧倒的に増えたし
気がつけばコミュニティについて内省しているし。

そんな感覚になったとき、コミュニティマネージャーとして生きているとなるのかもしれません。

時々このnoteでも話に出している、ハーバード大学が研究した「幸福になるために必要なこと」で、『良好な人間関係やコミュニティ』と話しています。

だとすると、コミュニティマネージャーの視点を持って社会に触れることってとても大事な意味を成してくると思うんです。

世の中にはどんなコミュニティがあるのか?
自分にとっていいコミュニティとは何か?
良好な関係性を育むには何が必要なのか?

そんな視点を持って日頃を過ごすことができれば、抱えている悩みや辛いことが軽減するかもしれませんし、自分自身の幸福につながるヒントを拾うことができるかもしれません。かの有名なアドラーも『対人関係は悩みの源泉ではあるが、生きる喜びや幸せも、対人関係のなかにある』と話しています。

だからこそ、「コミュニティマネージャーという体験を一度でいいからしてみてほしいな」と思うんですよね。それは仕事でもいいし、プライベートの活動でもいいし、地域活動でもいい。

生き方にまでいかずとも、少し触れてみるだけで何かしらの気づきがあるはずだと。

なので、コミュニティマネージャーと名乗る人が増えている現代の傾向はとてもいいなと感じています。今後もどんどん増えてほしい。


最後に

この「コミュニティマネージャーとしての生き方」を選んでいるひととは、かなり話が合う気がしています。

そんな自分に合う人のひとつの基準が見えたので、個人的に嬉しい発見だったなと。今回の気づきがあって本当によかった。

僕自身も、コミュニティマネージャーとしての生き方について、もっと探求していきたいと思います。

それでは!

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長田 涼
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