鞆の浦×キャリアブレイクの可能性から、暮らし観光を探究してみる。
僕がこのnoteで探究していきたいテーマのひとつ「暮らし観光」について、本日も考えていきたいと思います。
鞆の浦というまちに初めて足を運んだ時から感じていた、このまちにおけるキャリアブレイクの可能性。
今回はそれを切り口に思考していきます。
キャリアブレイクとは?
僕の周囲では、よく聞くキーワードになってきた「キャリアブレイク」。でも、まだ触れたことがない方へ向けて、簡単にこの概念について説明していこうと思います。
これまでは、仕事をしていない人のことを「無職」と呼んでいました。確かに事実ではあるものの、無職という言葉にまとわりつくネガティブなイメージ。
きっと、自分が無職になったら人にその事実を伝えるのは、かなり躊躇していたことでしょう。場合によっては隠しているかもしれません。
その点、「キャリアブレイク」は、”人生と社会を見つめ直す期間“とあるように、どこか能動性を感じさせてくれる捉え方です。実際に、キャリアブレイクを経て、前向きに人生を歩めている人は大勢いると聞きます。
キャリアブレイクには、いくつかのタイプがいるそうです。
もっとキャリアブレイクのことを知りたい方は、ぜひ下記の本も読んでみてください。
鞆の浦とキャリアブレイクの相性
はじめて鞆の浦に足を運んだ時に「このまちに流れる空気は、人生の転換期のひとにこそ味わってほしい」と感じました。
一面に広がる瀬戸内海。
波がなく、凪のようにスンとしているその表情は、なぜかずっと見ていられます。
港町のオープンさと高いシビックプライド。
このまちの町民性として感じているのは、港町特有のオープンなコミュニケーションと、まちのことを愛している帰属意識の高さです。ここに触れると、普段感じられない何かを感じさせてくれます。
ゆったりと歩けるまち。
鞆の浦は基本徒歩で完結するまち。シンプルに歩くのが楽しい。風情が残るまち歩きやここにある暮らしを感じる散歩体験は、なかなかないものです。
それらは、いい塩梅の非日常感と現実とリンクする問いを与えてくれる。僕は実際にこのまちを歩くと、不思議と内省が捗ります。
鞆の浦のまちを知っていくと、鞆の浦が「潮待ちの港」と呼ばれていることに辿り着きました。
鞆の浦は、ちょうど瀬戸内海の真ん中に位置しており、潮がぶつかる場所です。船での移動は潮の流れに沿って進むので、潮の変わり目を待つために鞆の浦に上陸していたそう。
そんなところから、「潮待ちの港」と呼ばれるようになったんですね。
その歴史に触れた時、キャリアブレイクは人生における潮待ちの時期なんだなと思ったんです。
「自分はこっちだ!」という人生における潮の流れを見極めて、その蓄えをするようだなと。そう思うと、鞆の浦とキャリアブレイクの相性の良さを感じずにはいられませんでした。
「暮らし観光」とは「関わる人をいかすあり方」
こういったキャリアブレイク期間で得る体験は、かけがえのないものになると思っています。
問いを持ち、何かを手探りしている時期に感じたことは、大事な宝物になると考えているからです。
だからこそ、ディープな体験ができるといいよなぁと思っていて、それを「暮らし観光」によって実現できるのではないか?と。
「消費」ではなく「関わり」を大切にしている暮らし観光では、どうしても体験が深度の深いものになっていきます。その深さが問いを持つ人にとっては、とても有意義なものになるんですよね。
その体験をきっかけに生まれる変容や、その後の選択を僕らとして見守っていけるといいよなぁと思っています。
そう考えていくと、「暮らし観光」とは「関わる人をいかすあり方」な気がしてきました。まちのことを中心としているので、まちのことをいかす意識があり、その日だけまちに来てくれた人のこともいかす。
そうやって生まれた関係性は、とても尊いものになっていくんだろうなぁと思うんです。
そして、観光の語源である「国の光を観る」に帰っていくと、「暮らし観光」とは「国の光は人である」ことを示すあり方としても捉えることができるかもしれません。
最後に
「暮らし観光」の探究がおもしろい。
最近そう思う瞬間が増えてきました。
暮らし観光を深堀りしていくと、何度も何度も他の概念と接続する瞬間があります。僕が今感じているおもしろさは、おそらく今回のキャリアブレイクのように、今社会に必要とされていることと繋がるものがあるからかもしれません。
その実現方法も含めて、今後も探究を続けていこうと思います。
それでは!