僕らは友達をどうつくるのか?
こんにちは。コミュニティフリーランスの長田(@SsfRn)です。
先日、僕がコーディネーターをしている「コミュニティのカレッジ」にて、『大人になってからの友達のつくりかた』について対話をしました。
その時に話したこと・考えたことを、noteにも記録として残しておきたいと思います。
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「大人になってから友達ができない」
そう話す友人は珍しくありません。これを読んでくれている方も、きっと一度か二度はそう考えたことがあるのではないでしょうか。
実際、利害関係が主になっていく社会人という世界で、利害を取り除いた関係性を育むことって容易ではないですよね。自分でも気づかないうちに、損得勘定で捉え、その延長上のコミュニケーションをしてしまいがちです。
そんな世界に身を置きすぎると、そもそもコミュニケーションの始め方がわからない感覚にすらなってくる。接点がないひとと、どうやって会話をはじめればいいんだろう?
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先日、たまたま入ったカフェに置いてあった本に面白いことが書かれていました。
ざっくり要約すると『恋愛には、はじめるスキル(出会うスキル)と継続させるスキルが分かれている。それを国別で見ていくと、日本人は「はじめるスキル」が圧倒的に低い。』といった内容でした。
とても共感したと同時に、これは恋愛に限らずあらゆることに通ずることだなとも思ったんです。言い換えると、「日本人はきっかけをつくるのが下手な人種」と言えるかもしれません。
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話は変わり、たまたまTwitterのタイムラインに、こんな内容が流れてきました。
僕の解釈が含まれてしまっていますが、きっかけをつくることにチャレンジしている方のつぶやきです。
こちらの発信を見て、「きっかけを待つ人・きっかけをつくる人どちらが日々を豊かにするんだろう?」という問いが降ってきて。それを比較するならきっと後者だろうと。
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話を戻すと、僕は社会人になってから「友達がいない」という感覚になったことはあまりありませんでした。
というのも、社会人になってからは、基本会社以外のコミュニティを自分でつくるか所属するかを必ずしていて、そこで出会い、友達と呼べる関係性を育んでいたからです。
これって、僕自身頑張ってきっかけをつくったというよりも、自然ときっかけが生まれる環境に身を置いただけなんです。
「きっかけを待つ人・きっかけをつくる人」と二項対立的な表現をしてしまいましたが、きっかけが生まれる環境に身を置けば、どちらの人なのかはあまり関係ないような気がしています。
僕自身、間違いなく「きっかけを待つ人」だと思いますし、そんな僕にでも友達と呼べるひとはいるので、きっと間違っていないかと思います。
行動に目を向けがちな部分こそ、環境に目を向けること。PUSHな世界があるのであれば、PULLな部分も存在すること。少し視点をずらすだけで、きっと見える世界が変わってくる。
なによりも、自分にあうやり方を見つけるということが、豊かな日々を実現するために大切なことだと思います。
そんなことをつらつらと考えられた、よき対話の時間でした。
それでは!
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