関わりは、コミュニティの出発点である
こんにちは。コト暮らしの長田です。
先日、僕が理事として関わらせていただいている、NPO法人CRファクトリーの理事合宿を鞆の浦で開催しました。
法人のビジョンを考えることを一番の目的に起きつつ、僕が日々感じている鞆の浦の魅力を伝える機会になり、とても充実した時間を過ごさせていただきました。
コミュニティをテーマに活動している法人なので、ビジョンを考えるにあたり、終始コミュニティの議論になります。理事メンバーそれぞれが体感したコミュニティの話や、コミュニティの価値の話など、コミュニティ観を交わし合う内容でとても没頭できました。
僕もいろんな話を場に出したのですが、ふと気がついたのが、鞆の浦の話ばかりしているということ。きっと、少し前の僕だったら、オンラインコミュニティの話やコミュニティの概念的な話ばかりしていたような気がして、自身の変化にびっくりする機会にもなりました。
そんな理事会をきっかけに、僕のなかで考えたことをnoteにまとめてみようと思います。
日常的な関わり
鞆の浦では、外へ出れば、何かと友人に会います。家から徒歩7分ぐらいのところにまちで唯一のコンビニがあるのですが、そこまでの往復で5人ぐらいの友人と会うこともあるんです。
そうなると、日常の挨拶だらけになります。おはようからこんばんはまで、何気ない挨拶で溢れているまちです。
そんな何気ない挨拶で溢れていることについて、移住してからずっと考えていました。東京ではなかなかなかった世界。どちらも体験している身として、挨拶が多い世界の豊かさを実感しており、それをどう伝えればいいのか?がわからなかったからです。
「関わる」とはなんなのか?
「関わり」から生まれることは何か?
そんな問いを持って、鞆の浦暮らしを全うしている気がします。
これは直感ですが、この部分にこそ、僕らがこのまちに惹きつけられた大事な要素がある気がしています。その直感があったからこそ、僕の中でどうでもいい問いにできなかったんだと思います。
東京時代、高円寺に暮らす拠点を移して、高円寺アパートメントに住んで、身近なリアルコミュニケーションが生まれました。それはとても新鮮な体験で、高円寺の体験があったからこそ僕らは移住へ踏み出せました。今との違いをあげるとするなら、関わりの総数が桁違いであり、起こる範囲がまち全体へと拡大している感覚です。
日常的な関与・関わり・コミュニケーションが増えることの意味ってなんだろう?その問いが頭から離れません。
関わりが生まれる意味
少し前に、こんなつぶやきをしました。
鞆の浦にきてまず感じたのが、ここで暮らす皆さんのシビックプライドの高さです。自分たちのまちを誇らしげに語る姿は、とても輝いて見えました。地元愛が薄い僕に撮っては、羨ましさすら感じていた気がします。
その正体を突き止めるという好奇心を持ちながら暮らしているのですが、もしかしたら「関わり」がそれを醸成している側面があるのかもしれないなと思うんです。
少し調べてみると、心理学的に「関わる」ということは、存在認識をとるという行為でもあるそうです。挨拶でも、会釈でも、ちょっとしたコミュニケーションがあることで、僕らは他者の存在を確かめているし、自分自身の存在も確かめている。つまり、「関わり」を通じて、僕らは存在を確かめ合っているということ。
存在を認識するということは、このまちの一員であることを感じる瞬間でもあります。挨拶をして、それが返ってくる。そんな些細な交換作業が、コミュニティ意識を強め、シビックプライドを育む一因になっているんだろうなと。
そんなコミュニティにおいて肝とも言える場面が、自然と日常に溶け込んでいれば、シビックプライドが高くなるのも合点がいきます。オンラインコミュニティの場合、その接点をいかに生むか?を運営は考え続けていますし、苦戦しているオンラインコミュニティが多い印象です。
それが自然と生まれているのが、リアル・ローカルの強みであると言えるかもしれません。特に、コミュニティ意識が強いまちほど、強くそれは現れます。
都心にいけばいくほど、「関わり」の出発点は警戒であり、可能な限り関わらないという選択を取るひとが多数を占めます。それでは、シビックプライドを醸成するのは、なかなかに困難だと言えるでしょう。
関わりは、コミュニティの出発点である
冷静に考えてみれば、関係性の集合体であるコミュニティは、関わることでしかはじまりません。
とても基本的かつ、土台となる部分。
便利な世の中になることで、関わりが減り、それによってコミュニティが衰退していくのは自然な摂理です。「だからこそ、めんどくさいことが大事なんだ」という主張はまさにその通りだと思います。
とはいえ、僕自身もそうですが、関わることは怖い。
傷つけられるかもしれないと思うと、自ら関わりに行くことは勇気のいる行為です。
でも、その一方で、あらゆることを与えてくれる源泉でもある。
その両面を受け入れたうえで、「関わり」を捉えることが大切だと思いますし、自分にとってほどよい「関わり」を模索することは、結果として心地いコミュニティとの出会いにもつながるんだろうなと。
少し話が変わりますが、僕らは移住してから、100人近くの方を鞆の浦まち歩きをアテンドしています。その際に意識しているのが、いかにまちの人たちとの「関わり」を生み出せるか?という点です。
それを起点にまち歩きをしている人はまちの解像度があがり、自分という存在とまちの存在の「関わり」を意識することへつながる。もしかしたら、そこから関係人口になったり、移住したりする人が現れるかもしれません。勝手にそんな期待も抱いています。
そう考えると、「関わり」をデザインすることは、コミュニティマネジメントそのものなんだなぁと思うんです。
関わりしろを生み出すこと
その先にある関係性を育むこと
それも押し付けではなく、心地よさを大事にすること
関係性をまちへ広げていくこと
新しい循環や流れを生み出すこと
そんなところまで見据えて、「関わり」について実践していきたいなと考える今日この頃です。
それでは!
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