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お茶目な訪問者

先々週の火曜日、普段あまり鳴ることのない塾の呼び鈴が突然鳴った。
1限(16 :00-17 :20)が終わりかけのところで、いったい誰だろう?と思って下まで降りると僕より少し背が高い男性の姿。
「はじめまして、ですよね?」
「はい。少し見学したいんですけど、いいでしょうか?」
「あ、えぇ、もちろん」

彼は階段を上ると、本棚にある本をじっくりと眺め始めた。机に広げたままのテキストの最後の二行を片付けて、フランス語の授業を終えた僕は彼に話しかける。
「どちらから?何で知ってくださったんですか?」
「国立に行った帰りで、少し寄ってみました。Twitter 拝見しておりまして」
「そうなんですね、ありがとうございます」

すると彼は本棚から、まるで服屋でお目当てのセーターを見つけたときのようなそぶりで “吃音” に関する本を手に取る。
「あっ、吃音の本も置いてあるんですね~」
僕は内心、この人いったい何者なんだろう???と気になっていたので、少しの手がかりも逃さない。
「吃音の研究とか、されてたんですか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけどね~」
(そういうわけじゃないのか、、)

すると彼は屈めていた腰を上げ、塾内を見渡す。やっぱり僕より少しだけ背が高い。
「写真で見ていた感じより広いですねぇ。いや~それにしても、まだお若いのに自分たちでやられていてすごいと思います」
「そうですか?ありがとうございます…(うん、どうやら敵ではないらしい)」
「本当に、こうやって人が実際に集まれる “場” があるっていうのは大事ですよね」
「僕もそう思います」
「こういう場があることで救われる学生さんとかもいるんじゃないでしょうか」
「僕もそう思います」

なんだかよくわからないけどすごく褒めてくれる。逆になんか怪しいぞ、、、という気持ちを抑えて、褒めてくれるので気をよくして、僕たちのこと、生徒さんたちのことを話す。
「いや、本当にいい場所ですよね~」
これは僕のセリフだ。

けれど調子に乗ってばかりもいられない。
「ところで、お仕事は何をなさってるんですか?」
耐え兼ねて尋ねてしまったが、これくらい聞いても罰は当たらないだろう。
「え~~~っっと~~」
このタメはあれだな、言いたくないやつだな。
「フリーです (にこっ)」
やっぱりそう来た!まぁわかります、一言で仕事の説明がしづらかったり面倒だったりするときにフリーと言ってお茶を濁したくなる気持ちは。

結局どこのどなたか全くわからぬまま、それでも僕たちはざっと三十分くらい談笑を続けていた。掴みどころはなくても理知的な印象を与える方で、教育の話がほとんどだった気がするけれど初めてとは思えないくらいリラックスしながら話せた。話すのも聞くのも上手な方だった。
「さて、ではそろそろ次の生徒さんもいらっしゃる頃だと思うので僕はこれで」
と、訪問者は気を遣い、時計に目を遣る。ほんといったい誰なんだろう?ここまで話して、よりいっそう気になってしまう。
どうせ名刺なんて持っていないのだろうし、仮に持っていても渡す気なんてないだろうな…などと考えているうちに彼は背を向けて帰ろうとするので僕はせめて呼び留めて言った。
「あの、お名前だけでも伺ってよろしいですか?」
「えっっっと…」
このタメは、、、
「帰ります~~(にこっ)」
まじか。心の声が漏れる。こもれびにやたらと理解を示してくれた不思議な来客。そのうちまた来てくれるだろうか?でもこんなお茶目な「帰ります~~」は聞いたことがないし、ここで引き留めるような野暮な真似はしたくない。
「一般向けのイベントとかも時々やってるので、もしよかったらまた遊びに来てくださいね」
僕にかろうじて言えるのはこれくらいのことだった。

彼が帰ったあとも謎は余韻を残し、僕はこの出来事を塾の仲間に話した。
「いやぁなんかさ、急に見学に来てくれた人がさ、ここすごい良い場所ですよね、公共の利に資する場所だと思いますし寄付とか募ってみたらどうですか?とか言ってくれてさ、嬉しいよね、まぁ誰だかわかんないけど。預言者なのかな?」

そして一夜を挟み、翌日。

昼頃、家のリビングでいつものように何気なくTwitterを見ているとこんな投稿が目に入った。


「昨日は国分寺の「語学塾こもれび」へ。突然の訪問にもかかわらず塾長の志村さんがたいへん丁寧に対応してくださいました。教室内も写真の印象より広く、整然としたなかにも遊び心が散見されてとても居心地がよさそう。こういう塾なら中学生の僕でもまじめに通えたかも(?)」平野暁人 (@aki_traducteur)

ん?

「カフェの片隅でレッスンするのは忙しないし、オンライン授業だけでは味気ないし、地域にこういう手づくりの「場」が脈づいているのはとても大切でありがたいことだと思います。フランス語を始めたいけど学校選びに迷っている方、信頼できる補習塾を探している方はぜひ一度見学されては如何でしょうか。」

平野さん?

「単発の一般講座もあるほか、週末には本屋さんとしての営業もなさっているそうです。言語が好きな人ならかなり読み応えのありそうな本が揃っていました。こちらもお勧めです。いろんな地域で独自色ある語学環境が豊かに発展してゆくといいな、と思いながら帰途に着きました。」

僕はいまいち状況が呑み込めないまま、とりあえず椅子から立ってお湯を沸かした…

…そういうことか!

実は平野さんとは以前、少しだけTwitterのDMを通してやり取りをしていたことがあって、僕がフォローしたら「ありがとうございます。ただ、僕はフォローを直接の知人にのみ止めておりまして」と、フォローを返さない旨わざわざ断ってくださっていた。
それが “その日” の夜、「平野暁人さんがあなたをフォローしました」との通知が来て、あれ?まだお会いしたことないのにいいのかな?などと呑気に思っていたのだ。

なるほど昨日の訪問によって、まんまと僕は彼の「直接の知人」になっていた…

平野暁人さんは主にフランス語を使った舞台芸術の通訳、翻訳などで活躍されている方で、その傍ら、note 上に「語学」をテーマにした大変面白いテキストを多数掲載されてもいる。それで実は、昨年11月に僕が書いたブログの中でも平野さんの書かれたnoteをご紹介させていただいていた。

そしてつい先日公開されていたこちらのnoteも強烈に面白くて、微力ながらTwitter上で拡散し、多くの人に読んでもらえたらなぁと思っていたところだった。

というわけなので。

「平野さんってわかってたらもっとお話ししたいことあったのに!」

…というのをもう少し落ち着いた感じでご本人にお伝えしたところ、それではぜひ今度一緒に食事でも、という運びになり、善は急げとさっそく先日、二人でタイ料理を楽しんで参りました。

会う前に少し気がかりだったのは、お互いの素性を知ってから会ったのでは、フランス語の話ばかりになってしまわないかな、ということ。
というのも急な来訪のその日は、あちらは僕だとわかっていたわけだけれど(ずるい…)僕はそうではなく、だからこそ完全に初対面同士(のつもり)で、特定のテーマに囚われることなくお話しすることができたから。
平野さんにもその後のDMで「通りすがりの一般客としてお話をうかがえてよかったです」と言っていただき、多少の悔しさはありつつも僕も同感、というか、お互いのプロフィールに縛られずひとりの人間同士で会話ができたことを嬉しく思っていたのでした。

ただ、それは幸いにも杞憂に終わった。せっかくだからとシンハービールを注文し、生春巻きをつまみながら僕は先日不意打ちをされたことへの非難を込めてこう言った。
「あの時もし僕が頼んでも、きっと名刺なんて渡してくれなかったですよね?」
「あ、名刺ですか?僕ね~実は持ってないんですよ」
これは意外な反応だった。
「なくしちゃうんです」
え?
「作ったことはあるんですけどね、決まってなくすんです」
「でもどこでなくすんですか?家に置いてあるんですよね?」
「それはね~」
ほんと名刺なんて一体どうやってなくすというんだ?
「僕が聞きたいよね」
いや、聞かれても困ります笑
「僕ね」
「はい」
「名刺には羽が生えていると思ってて (!!)」
と、規格外の持論を展開されたところで、最初の話題は ”なくしもの” になった。

生春巻きと、それから「鶏の蒸し鶏」というトートロジカルな名前の料理を平らげ、塩気の効いたガパオに紛れた唐辛子に口の中をやられたりしつつ、もちろんフランス語の話もたくさんした。語学の話や共通の知人の話など、フランス語の世界は狭いので、話題になりそうなことはいくらでもある。けれど互いに互いを「フランス語の人」ではなく、ひとりの人間として、最初にお話ししたときのような温度感で話せたのでよかった。

ただ、少しだけ、フランス語について個人的な感想を言えば、平野さんは僕にないもの、常に自分を疑ったり、チャレンジ精神を失わない心を持った人で、それがすごくいい刺激になった。まだまだ上を向いていられると思えたし、うさぎと亀のうさぎになっちゃいけないな、と自分を戒める機会にもなった。改めて、平野さん、ありがとうございました。

(志村)

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