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【連載 Bake-up Britain:舌の上の階級社会 #31】サマー・プディング(1/3)

晩夏の思い出

サマー・プディング、サマー・プディング。ラズベリー、イチゴ、ブルーベリー、ブラックベリー、マルベリー(桑の実)、黒スグリに赤スグリ。イギリスの夏を彩るベリー類を砂糖で煮て、軽めのコンポートを作る。ジュースをたっぷり染み出させて、買ってから少し時間が経ち、乾いて水分を吸いたくて仕方なくなっている食パンをボールの底に並べて貼り付け、その中にベリーのコンポートをジュースごと注ぎ入れる。食パンで蓋をして冷蔵庫で一昼夜。

ジュースを吸ったパンに染み込んだ甘酸っぱいベリーの味と香り。カットしてプディング・ボウルに入れ、そこにクリームを、できればダブルクリームをたっぷり注ぎ入れ、白い海に浮かぶ真っ赤な島となったサマー・プディングを一口ほうばれば、爽やかな酸味がクリームのコクでいい具合に中和され、ベリーの果肉や種も一緒になって多種多様な食感も楽しめる。

シンプルかつ季節感にあふれるこのプディング(デザート)。スティキー・トフィー、スポッティド・ディック、ローリー・ポーリーなど、牛脂や砂糖をたっぷり使い、ネトネトネバネバが主流のイギリスのプディングのラインナップにおいて、ほぼ唯一、おそらくこれだけが、「爽やか」という形容詞が当てはまるプディングかもしれない。これが「サマー」である理由は、夏の果実であるベリーをふんだんに楽しめるからだけではない。爽やかさを際立たせるアクセントとなるハーブである、ミントが欠かせないからだ。本連載フィッシュ&チップスの回(#10 フィッシュ&チップス 4/4)でも紹介した漫画『Masterキートン』がここでも素晴らしいストーリーを提供してくれる。

単行本第1巻最終章として収められた「遥かなるサマープディング」(「完全版」では第1巻第8章)。ある年の晩夏。遅い夏の休暇を過ごすため、幼い頃に訪れていた日本の田舎の古民家へとやってきた平賀太一・キートン。娘の百合子と父の太平、その飼い犬の太助も一緒だ。その家にはかつてキートンの母パトリシアも一緒に滞在していたが、ある夏の日を境に突然当時5歳だったキートンを連れてイギリスに帰ってしまい、太平とはそのまま離婚することになってしまった過去があった。

蕎麦を打つ気満々の太平に対して、キートンはラズベリーと食パンを使ってサマー・プディングを作ってみるのだが、その味には何かが足りない。「ほんのり甘くて、山霧のように清涼な香り・・・」。そこで古い納戸から母の残したレシピノートを掘り出すのだが、そこには当時の母の写真が挟まっていた。と、そこから始まる回想シーンの連続。「夏が来れば思い出す〜」の「夏の思い出」もそう、プルーストの『失われた時を求めて』の「スワン家の方へ」もそう。まあ、枚挙に暇はない。かつて夏を過ごした場所は、他のどの季節にも増してノスタルジーの対象になるようだが、キートンが思い出に追い求めたのは、出来事や事件ではなく、香りだった。

浦沢直樹『Masterキートン(完全版)』第1巻、小学館、2011年、205頁

まるでプルーストのようだが、そこでは主人公の「私」はマドレーヌを食べた瞬間にかつて叔母の家でお茶に浸して食べたマドレーヌを思い出し、その家の調度品や庭も含めた場所全体の経験を語り始めるというもの。だが、そのお茶に浸したマドレーヌの「味」を思い出したと語る「私」は、それがどんな味だったのか、例えばバターの香りはどれだけしたのか、オーヴンで少し焦げた感じの香ばしさはあったのかなど、そういうことには一言も触れないのだ。杜撰である。それでは貴族の荘園館で過ごしたひと夏の「舌の上の階級社会」を語ったことにはならない。別にプルーストの目的はそこにはないのだから、そして後世の読者がやたらこのマドレーヌのエピソードを持ち上げて濫用してきたがゆえに本編を読み切ることなくなんだか知った気になっているだけなのだから、この乳離れできない、読者が苛つくほどに甘えたお坊ちゃんたる「私」にとってマドレーヌの味が本当はどうだったかなどあまり重要ではないのだろう。

マルセル・プルースト『失われた時を求めて1 第一編 スワン家の方へ1』鈴木道彦訳、集英社文庫、2006年

しかしわれわれコモナーズ・キッチンは、そんな貴族的な味覚のディレッタンティズムに与するわけにはいかない。キートンも賛同してくれるに違いない。彼は自分の味付けに足りない何かを必死に考え抜き、納戸で見つけたノートの間からこぼれ落ちた古く乾燥したミントの葉を、普通の犬の数百倍の嗅覚を持つ太助の鼻に近づける。ミントの葉の匂いを嗅いだ太助がキートンを導いたのは、古民家から少しはなれたわかりづらい場所にある枯れかけた池の周囲に広がる、ペニロイヤル・ミントの畑だった。ラズベリーを煮るときに加えられたミントは、母パトリシアの故郷コーンウォール原産のペニロイヤル・ミントだった。母の手控えには、「ここが私の、秘密の故郷」と書いてあった。

ペニロイヤル・ミント(和名:メグサハッカ)

ギリシャ神話の妖精ミンスを語源に持つミント。ミンスは冥界と妖精界を自由に行き来できたのだが、冥界の王プルートの妻で自身も妖精界出身のプロセルピナはミンスの香りを冥界に留めておきたくて彼女を草=ミントに変えてしまった。それでもその香りが放つ望郷の誘惑に打ち勝てず、プロセルピナは妖精界へと戻ってしまう。母パトリシアも、まるでプロセルピナのように故郷コーンウォールに戻った。ミントの思い出は、「母さんの思い出」。

なんだ、結局これもマザコンの話かよとがっかりしてしまう読者諸氏は、浅はかである。ミントには「思い出をより強く保つ不思議な薬効があるとされて」いるのだから、紅茶に浸したマドレーヌの味わいが湧き上がってくるのをただボッーっと待っていたプルーストの「私」とは違い、キートンはミントというサブスタンスを用いてより積極的に能動的に思い出に近づこうとしているのだ。

『Masterキートン(完全版)』第1巻、216頁

そして最後のシーンでは、秋がすぐそこに迫っている晩夏と初秋の端境期の情景を目にして、「美しいだろ、これが日本の秋だよ」、「これが百合子の故郷の秋なんだよなあ・・・」と、ミントの香りがする(娘の百合子にとっての)「おばあちゃんの故郷」を相対化する作業を怠らない。家族で過ごす「現在」の夏から、かつてサマー・プディングを食べさせてもらった5歳の夏へ、さらに遡って母が故郷でミントの香りに包まれて暮らしたはずのさらにその数十年前の夏へ。キートンが再発見したミントの香りには、過去が二重に刻印されている。ただ時間を遡って不都合を削ぎ落とし、甘美な思い出に浸ればいいというものではないのである。ペニロイヤル・ミントの香りのするサマー・プディングは、甘さと同時に酸っぱく苦い野生の果実本来が持つ複雑な味なのだ。

(続く)


次回の配信は8月18日です。
The Commoner's Kitchen(コモナーズ・キッチン)


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