空の輝きの神格ゼウス
中学生だった時、西の空が夕日に染め上げられていくのを見てボーっと立ち尽くしたことがある。夜と昼の境目は紫色に光って、星がちらほらと光っている。センチメンタルな時期だったから立ち止まった、というわけでもないだろう。今でも、そういう空の輝きを見ると、しばらくの間、我を忘れてしまう。
この心の働きは筆者のものだけということではないだろう。読者にもわかってもらえるだろうし、あるいは、古代ギリシア人も理解していた。というのも、「空の輝き」は神格化してゼウスとなったらしいから。
空を支配するものは天上天下、世界のあらゆることを統べるものとして自然と認められるようになったらしい。
「主客の義を守る」というのが少々わかりづらいかもしれない。呉は『イーリアス』を引用してこれを説明していた。
個人のもてなし-もてなされる関係、すなわち主客の義が、戦争よりも上に置かれた。争っていても交友関係は続けようと、その主客の義は守られたのだ。
あるいはそうでなければ安寧な毎日を送れないのかもしれない。古代のことだから交通も法律も整ってはいなかっただろう。そんな時世に人のくらしを秩序づけたのは、ある種の「線」だったのではないか。
戦争から「線」を引き、主客の義を守る。あるいは、神助を求める者には、いくらややこしい理由があったとしても、危害は加えない。「線」を踏み越えないことが、人々の暮らしを穏やかにしたのではないだろうか。
空を輝かせ、さらに、地上においては「線」を守らせる力をもった大神ゼウスが、古代ギリシアには君臨していたのだ。
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