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「みんな」と、「everyone」 言葉の成り立ちって面白い

「ディストピア禍の新・幸福論」から興味深いところをかいつまんで少しづつ自分なりにまとめてみたい。
※勝手にまとめているので、是非本書をお読みいただければと思います。

日本人が使う「みんな」という言葉を、英語に訳すと「everyone」ですが、意味合いが違うのではないかと、書いてありました。

集団主義と個人主義どちらがいいとか悪いとかの話ではないが、そこに現れているのではないかと。

欧米は、神との契約である人間としての文化、
他国と領土や民族を交えて、争ってきた文化、
その上で、契約の上で成り立っている社会、
相手と自分が違うことを意識して、ディベートだとか、意見を戦わせることになれている。
そんな欧米から見ると、日本人は消極的で何も考えていないようにみえるのも無理はない。

そんな感覚を 個人主義と集団主義として分けたりもする。
まあ、古来は、集団主義一辺倒だった日本人も、明治維新以降の欧米文化の輸入により多少個人主義の傾向も出てきてはいるが世界全体からするとやはり集団主義の傾向は強いだろう。

日本人の利他的な精神がそれを表しているのではないかと。全員があるわけでもないし、過去の日本人からすると薄れてきたとも思われるが、依然として欧米諸国と比べると、明らかに違うらしい。

つまり、日本人は、人様のことを考えて行動しているのかもしれない。欧米では、神が行動を見ており、神との契約に従って、個人で判断して行動しているのです。

人を日本人は「みんな」と、考えているのではないかと。

その流れで、このタイトルの本題『「みんな」と、「everyone」』という話である。

everyone 単語を分けると、 every(すべての) と one(ひとり・ひとつ)
一人ひとりの 個人の集合体が、みんなということになる。日本語のみんなと意味が大分違うと思わないだろうか。

欧米では、個人の行動が、ドアを押さえたり、寄付をしたりと、自発的で主体的な利他行動を取ろうとしている。だから、レディーファーストだったり、献金や募金にも積極的なのだと思う。

しかし人=みんなと考えている日本では、自分でも意識せずに優しい行動や、無意識に助け合ったりできるのでは、と、
強い個が自発的に利他行動を取る個人主義的な優しさとみんなに迷惑をかけないといった無意識的な利他行動とは、構造的に違うのでしょうと。

だから「あなたは利他的ですかという」アンケートをとると、欧米のほうが自覚している分自分は利他的だと答える。傾向にあり、日本は評価が低くなってしまう。
しかし、よく日本に来ている外国人たちに言わせると、こんな利他的な国民はいないということになるのだろう。

規則やルールで縛り違反すると罰則という制度を作ることで、成り立つ集団と、
無意識のうちにそれがなされている集団との違いかもしれない。

つまり根底に、個人(ONE)の集合体(every)がみんな(everyone)と考えている。ということなのだろう。

個人が中心か、みんなが中心か、今の世の中、欧米も集団主義によりつつあるらしいし、日本人も、個人主義により始めているらしい。どちらが正しいとかではなく、どんな考え方でみんなが動いているかを見ると面白いと思う。

言葉の成り立ちは、いろんなことを考えさせられる。

どちらにしても、利他的な行動は、幸せにつながるということです。
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