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死んだらどうなるかについて教えてくれた二人の祖母の話
8月は、死についてぼんやり考えることが多い。毎年。戦争に関する情報を目にする機会が増えるからだと思う。戦争の情報に触れるとき、そこには必ず死がある。今年はコロナのこともあって、一層、死が身近にある感じがする。
死について考えるとき、子どもの頃「死んだらどうなるか」について話して聞かせてくれた二人の祖母を思い出す。
父方の祖母は、死ぬと魂が身体から飛び出ると言った。実際に、亡くなった人の家の上をぐるぐる魂がまわっているのを見たこともある、そして、その魂は(どのタイミングでそうなると言っていたのか忘れてしまったけれど、とにかく)、妊娠している誰か女の人のお腹の中に入り、生まれ変わることになる、と。
そして母方の祖母は、死=無だと言った。死んだら土に還る、何も残りはしない。すべて消えてしまう、と。
父方の祖母の死後の話は、子どもには優しかった。どこかで見たマンガの世界みたいで、ちょっぴりワクワクしたような記憶もある。母方の祖母の死後の話は、とても恐ろしく感じられて、子どもの頃に初めて話を聞いたとき、私は少し怒った気がする。「もうやめてよ、そんな話!」と声をあらげた記憶もうすらぼんやりある。消えてしまうなんて土に還ってしまうなんて、想像すらできず、受け入れがたかったのだ。
…というところまで書いて、放置していた。書きはじめたのは8月で、気づけばもう9月。
ふと、祖母たちの話を…薄れていく記憶を書き残しておこうと思って書きはじめたのだけれど、どう結論づければいいのか、わからなくなってしまった。
祖母たちの話は、まるまる祖母たちの生き様のような気がして、安易な言葉でまとめてしまいたくはない感じがする。死後どうなるのか…そう考えるに至った理由があるわけで、人生の機微を感じずにはいられない。
ひとつ確かなことは、死について私が考えるとき、この先もずっと祖母たちを思い出すということだ。それは、とても心強いことのような気がする。