comiyu(フリーランス/ライター)

ライター歴18年。フリーランス7年目。

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最近の記事

死んだらどうなるかについて教えてくれた二人の祖母の話

8月は、死についてぼんやり考えることが多い。毎年。戦争に関する情報を目にする機会が増えるからだと思う。戦争の情報に触れるとき、そこには必ず死がある。今年はコロナのこともあって、一層、死が身近にある感じがする。 死について考えるとき、子どもの頃「死んだらどうなるか」について話して聞かせてくれた二人の祖母を思い出す。 父方の祖母は、死ぬと魂が身体から飛び出ると言った。実際に、亡くなった人の家の上をぐるぐる魂がまわっているのを見たこともある、そして、その魂は(どのタイミングでそ

    • フリーランスのモチベーションについてのぼやき。

      ここ数日、モチベーションがあがらずに鬱々としている。 フリーランスの辛さは、こういう時にモチベーションをあげるきっかけが少ないことだよなぁ、と痛感。職場にいると、元気なヒトのパワーをおすそわけしてもらえたり、「モチベーションがあがらない」と隣のヒトにぶつぶつ訴えて、「まぁ、がんばれよ」なんて言ってもらって、いつの間にかエネルギッシュに働けていたりする。が、フリーランスの場合は、自身でモチベーションをあげるきっかけをつくるしかないことが多くって、つくづく自分をコントロールでき

      • 桜の枝をゆすらないでほしい、と伝えられなかった話

        少し前、桜の名所へお花見にいったときのこと。 「きれいだねー」なんて言いながら、ぼんやり桜をながめていると、少し先に、桜をバックに写真をとっている集団が。なにげなく見ていると、その集団、桜の枝を引っ張り、思いきりゆすっている。どうやら、強引に桜の花びらを舞い落として、写真を撮ろうとしているらしい。枝をゆするたび花びらは、どんどん舞い落ちていて、あんなことをされてしまっては、一瞬で桜が散ってしまう。 あまりの衝撃映像に言葉を失いながらも、恐る恐る近づいていくと、その集団は、

        • 春に思いをのせて

          気づけば、すっかり春だなぁ。 満開の桜道を歩いているだけで、心がうきたつ。しあわせな季節。 いちばん春を感じるのは、玄関をあけた瞬間かもしれない。あたたかい陽気と、春のにおいがぶわーっと身体をつつんで、顔がほころぶ。だから、ちょっとにやにやしていると思う。家からでたとき。 春の陽気に呼び覚まされるのは、入学式とか、新学期とか。ぜんぶ今となっては眩しすぎる学生の記憶ばかりで、なんだか胸をぎゅっと掴まれる感じがして、ちょっと困る。 真新しい制服に、履きなれない靴をはいて、一

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        • ライター18年目の棚卸し
          0本
        • フリーランスライターの日常
          5本

        記事

          しみついた会社員という生き方

          朝9時半過ぎに目が覚める。もう世の中は動き出しているんだ、あの人も、あの人もきっと今ごろ働いているだろうなんて思って、なんだかソワソワして起き出し、こんな時間までぐーたら眠っていたことに少しの罪悪感を感じている自分に気がつく。 別に仕事に遅れをだしたわけではない。なんなら、昨晩、会社で働いている多くの人が解き放たれている時間にがんばっていたから、こんな時間まで眠ってしまったのだ(という言い訳も十分)。 だがしかし。「こんな生活でいいのだろうか…」という生真面目すぎる思いは

          しみついた会社員という生き方

          フリーライターの苦悩に早くもぶつかったという話

          会社員生活もあとわずか。 いろいろな縁にめぐまれて、会社に籍をおきつつ、少し早めにフリーライターとしてスタートをきることになった。 そんな、ありがたいこと、このうえない状況でありながら、このところ、早くも苦悩が頭をもたげはじめている。 なにに苦悩を感じているかというと、 “アウトプットしたものへのリアクションがない、もしくは薄い” ということだ。 初稿をメールで送ったあと、なんの音沙汰もないまま数日が過ぎることも少なくなくて、その間、わたしは悶々とした時を過ごすことに

          フリーライターの苦悩に早くもぶつかったという話

          ちょっとリッチな椅子を買う、の巻。

          奮発して、座り心地の素敵な椅子を購入した。 思い立ったが吉日。買い物は直観重視で、えいや!と買ってしまうことの方が多いのだけど、椅子はそうそう買い替えられないだろうな…と思うと、勢いに任せて買う気にはなれず、ネットでかなり調べて、ショールームには3回も足を運んだ。ショールームでは、座れる椅子にはぜんぶ座るという念の入れよう。で、決めた。エルゴヒューマンのENJOY。 アーロンチェア(ハーマンミラー)にも心を奪われそうになったけれど、エルゴヒューマンの倍以上のお値段

          ちょっとリッチな椅子を買う、の巻。

          選ぶべきは青色申告?白色申告?

          フリーになると、避けては通れない確定申告もんだい。 インターネット&タイトル買いした本を斜め読みして得た情報は… ・個人事業主は青色申告か白色申告かを自身で選んで確定申告する ・申請時の提出書類の多さ&大変さでいうと青色申告>白色申告 ・青色申告をすると「青色申告特別控除」なるものが受けられ、課税所得を最大65万円分カットできる といったところ。 青色申告は大変&うまみが多い、白色申告は簡単&うまみが少ないということなのだろう(かなり、ざっくり)。そして、インターネッ

          選ぶべきは青色申告?白色申告?

          つぎのひの、つぎのひ

          実家に帰省していたときのこと。 「つぎ、いつくる?」という甥っ子ちゃんに、「うーん、いつかなー」と答えるともなく答えると、「きょうの、つぎのひの、つぎのひの、つぎのひの、つぎのひの…」と指折り数えはじめて、両手ぜんぶの指を折り曲げたところで「…のつぎのひは、くる?」とのぞき込まれて、キュン死しそうになった。なに、その悶絶級のかわいさ。 「10かご、ってこと?」と尋ねると、小首をかしげて、意味のわからないご様子。「らいしゅうぐらいかな」と重ねてみたけれど、それも、わからない

          ダイエットを決意

          近しいヒトたちに会うと、「元気?」の次に、「太った?」と、もはや挨拶のように言われるので、心情的にも、物理的にも、重たすぎるお尻をあげて、ダイエットをはじめることにした。 ダイエットをはじめるにあたり、改めてダイエットについて、調べてみることに。 薄々わかってはいたものの、「ダイエット」で検索をかけようものなら、処理しきれないぐらい情報が出てくる。あれこれ見てみたけれど、結局どれを選べばよいのか、決め手にかける。見ているうちに、情報量の多さにつかれてきて、どうでもよくなっ

          寝て、忘れて、生きていく。

          そうだ、noteにあれを書こうとぼんやり思った瞬間が何回かあった。が、覚えているのは、そう思ったことだけで、なにを書こうと思ったかは忘れてしまった。 ふっと頭に浮かんだことは、頭のなかにある瞬間に切り出さないと、すぐに流れていってしまう。その瞬間、どんなに強く思っていても、たいていのことは、流れていく。流れていくスピードに差はあれど。 川上から川下へ。川の流れが止まることはないのと同じで、思考の水流もいつもどこかへ流れ出ている。 今日も、きっと、たくさんの思考が流れてい

          寝て、忘れて、生きていく。

          「ちゃんぽんが食べたい」に秘められた、じいちゃんの思い

          なにかさっと食べて帰ろうと、母と実家近くのちゃんぽん屋に入った。 「ここのちゃんぽん屋に、よく、じいちゃんとばあちゃんを連れてきたのよね。じいちゃんに、お昼を外で食べようと言うと、ちゃんぽんって、いつも言うのよ」と母。 「知らなかった、じいちゃんがちゃんぽん好きだったなんて」と言うと、母は「んー、ちゃんぽん好きとは、ちょっと違うと思う」と少し考えてから教えてくれた。 「じいちゃんは、本当はラーメンが食べたかったんだと思う。でも、ばあちゃんがラーメンは脂っぽいから嫌だって

          「ちゃんぽんが食べたい」に秘められた、じいちゃんの思い

          2016年が閉じて、2017年がはじまった。

          人生は一日の連続で、2016年から2017年になっても、それは同じ。昨日から今日になるというだけで、いつもと何ら変わりないのだけれど、1年がきちんと終わりを迎えて、新しい1年がはじまるという区切りのあることに、ずいぶんと救われているような気がする。毎年。 強制的に仕切りなおせるタイミングがやってくることで、引きずらずに済んでいることは多い。やれていないこととか、伝えられていないこととか、うまくいっていないこととか、特に負のことは。 生まれ変わったような心持ちで、目標なんか

          2016年が閉じて、2017年がはじまった。

          FRIENDS

          高校の友人たちと、久々の再開。昼に集まり、夕方までノンストップでしゃべっていた。 考えてみると、たぶん半年ぶりぐらいなのに、空白の時間を感じさせない関係性ってすごいなと思いながら帰ってきた。髪がのびたねー、やせたねーとか、見た目において時間の流れを感じることはあっても、話す間合いとか、気づかうポイントとかは、昨日もその前もずっと会っていたかのような絶妙さで、いつでも高校生にタイムスリップできる。 悩み一つすら打ち明けたわけじゃないけれど、ガハハとどうでもいいことで笑ってい

          当たり前の毎日に思うこと

          このところ、日々なにもしていないような気がして、気持ちばっかり焦っている。 実際、会社にもいっているし、だから当然、朝起きてるし。ごはんだって、食べている。大好きな本もちらほら読んでいる。大好きな人たちにも、会えている。 でも、日が暮れてくると、「あー、今日もなにもしなかったな」という、絶望感というとちょっとオーバーだけど、ちいさく落ち込むというか。心のなかに、なにか小さな黒いものを抱えてしまっている。ような感じがしている。 このまま、なんとなく、どんどん時間が過ぎて、

          当たり前の毎日に思うこと

          女子高生とパンと、若き日への思い

          電車で隣の席にすわっていた女子高生がおもむろにパンをかじりはじめた。チョコレートの甘ったるい匂いがちょっと不快で、咎める視線をおくろうと隣をみやったけれど、一点を見つめたまま一心不乱に食べていて、こちらに気づく隙もない。その様がかなり狂気じみていて、ちょっと見とれてしまいそうになるほどだった。 なんだか「そんなにおなかが減ってるなら、どうぞ、存分にお食べなさい」と、母のような気持ちになり、ケータイをぽつぽついじっていると、右肩に重みが。おなか一杯になって満足したのだろう。見

          女子高生とパンと、若き日への思い