第7話「絶望から希望へ」読むだけで人生を照らす物語:第3弾

ここ数日内面が深まっているようで、過去の記憶がふと思い出されます。先日も、メンターからの言葉を思い出していました。生きづらさを抱えた私たちを、「アウシュビッツにいたかのよう」とおっしゃってくれたことを。そういえば、過去にこんなことを書いたっけ・・・


アメブロ過去記事「光の記憶2023.4.12」より引用

「私の人生はほとんど闇でした。光の記憶を思い出せませんでした。その状態はまるで「アウシュビッツ」にいたかのよう。ですが、「アウシュビッツ」のような過酷な体験を乗り越えた先人がいます。ヴィクトール・フランクル氏「夜と霧」の著者です。

フランクル氏は、過酷な体験を「希望」を持ちつづけてきたことで乗り越えてこられました。日本はこれから「絶望」を体験することになるかもしれません。ですが、ひとりひとりに「希望」という「光の記憶」が宿っているとしたら。その記憶が絶望の淵から救ってくれるかもしれません。


引用ここまで


ヴィクター・フランクル「夜と霧」で印象的なエピソードがありました。強制収容所で亡くなった若い女性の物語を述べられています。


要約引用ここから

この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。なのに、じつに晴れやかだった。「運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの」「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした」その彼女が最期の数日、内面性をどんどん深めていったのだ。「あの木が、ひとりぼっちのわたしの、たったひとりのお友だちなんです」「あの木とよくおしゃべりをするんです」「木はこういうんです。わたしはここにいるよ、わたしは、ここに、いるよ、わたしは命、永遠の命だって・・・」

要約引用ここまで


木はマロニエの木で、花の盛りを迎えていたそうです。「木は永遠の命」と捉えた彼女の無意識の凄さに、心からリスペクトを贈ります。人は死を意識すると、こんなにも内面が深まるのでしょうか。無意識が、絶望から希望へつれて行ったのでしょうね。

私もずっと希望を持ちつづけていたから、生きてこられたのかもしれません。これからも、無意識と共にいられる喜びを感じています​​​​​​​💐






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