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トラウマに、哀れむ。
今日は特にこれといった言いたいことも無かったので、ほわほわっと書きます。
以前に、パワハラといいますか、御局がいた会社に勤めておりまして。こうして文字にして思い出すだけでまだ軽く苦しくなる程度にはトラウマとなっていることがあります。
私自身の命を脅かす存在がいた訳です。自殺しようかなと考えたこともあったためです。
そうなってくると、似たような雰囲気を持つ人間に接触しそうになるたびに、私は萎縮してしまいます。言葉の強い女性がすごく苦手ってことです。
これ、すごいやめたくて。
単に言葉の強い女性だからといって、以前に私をいじめてきた御局とは違います。もしかしたら同じような基質を持っているかもしれませんが、完全に別人です。仲良くなれるかもしれません。
そもそも、私の記憶にあるこのトラウマを単純に無くしたくもあります。いやですからね、夜たまに思い出して嫌な気持ちになって眠りが浅くなるの。
この対処法でひとつ、その人を哀れむ、つまり、その人は可哀想な状態だったから私に当たるしかなかったんだって考えることです。
そう、考えてみれば、怒りっぽい人って、何かしら問題を抱えてるんですよね。御局様は確か2世帯住宅みたいなもので、嫁姑問題があったようです。特に機嫌が悪い日は、家で何かあったようなのです。
一方、私はそのとき、実家から会社に通っていて、彼氏はいませんでしたが、Twitterに入り浸って楽しい夜を過ごしていたと思います。
そう思うと、ああ、かわいそうな人なんだなと思えそうですよね。
どうして哀れむことがトラウマの解消に繋がるのか、考えてみます。
恐らく、自分自身が悪かったのでは無い、と結論づけるためかなと。なにも、怒られる🟰怒られた人が悪かった、わけではありませんしね。
でも、怒られた側ってすごいつらくて。私は脳みそが止まる感触があるんです。ついでに体も固まって、何も出来なくなります。そんな中でなんかしろって言われてもできる訳ありません。ほんとひどいですよね。
この、哀れむ。何度か記憶が思い返される度にやっていたのですが、夢の中で和解するような動きがあったことがありました。この時はほんとにうれしかったです。
まあ、たまに出社してる夢は見るんですけどね。完全解決はなかなか難しいものです。
ただ、哀れむ行為って、本当に精神衛生上、いいものなのかと思う時があります。
言うなれば、人を見下す行為だと思うのです。仏が人を哀れむことありそうですけど、あれはどういうスタンスなんだろう…?
いや、見下す、は言い過ぎてるのかもしれません。あくまで、私と同じ人間なんだ、と言い聞かせるだけなのかもしれません。
上司とはいえ、年上とはいえ、私と同じ人間なんだ。間違いはあるし、嫌なことがあれば怒ったりする、そういうみみっちい人間なんだ。そう思うためなんだろうかな……。
まだちょっとよく分かりません。
今日、幸せになる勇気を読み始めました。
勉強して、精神安定を保っていきたいですね。
それじゃ、今日はこの辺で。