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発達障害と診断されるまで。ーそのいちー

こんにちは!こみみです。
今日は私がADHDと診断されるまでの生い立ちについて書こうと思います。

もしかしたら私のnoteを読んでくださっている方の中にも自分が発達障害じゃないかと悩んでいる方もいらっしゃると思います。そんな方の参考になればいいなと考えながら書いています。



幼少期~小学生時代


小さい頃の私は一言でいえばよく迷子になっている子供でした。
家の近所のショッピングセンターに行くと、わき目もふらずにおもちゃコーナーなどの自分の興味のあるコーナーへ走り出してしまうため、母は大変だったと思います。笑

また、同い年の子たちと一緒に遊ぶのが苦手で、幼稚園では一人で遊ぶか、仲良くしてくれていた一つ年上の女の子と二人で遊ぶことが多かったです。

小学校に上がると友達はできるものの、同年代の子とコミュニケーションをとるのは苦手なままでした。
その一方で、学習面では特に遅れをとることはありませんでした。また小学校高学年から塾に行き始めたおかげか、成績は上がっていきました。

小学生の時にいちばんやらかしたことは、学校にランドセルを忘れて帰ったことです。笑
下校途中に一輪車に乗ろうと思いたち、グランドでひとしきり遊んだ後に、あー楽しかった!と満足して帰るのですが、途中で自分の体が軽いことに気づきます。ランドセルをグラウンドに置いたまま帰っていることに気づいて、慌てて取りに戻りました。
ADHDの人にはあるあるかもしれませんね。笑

それ以外にも、親から大事な学校からのプリントなどを渡さず放置して叱られることが多かったです。



中学時代


そんなこんなで中学校へ進学し、部活動が忙しくなったせいで塾はやめてしまったのですが、成績は20位以内をキープすることができ、順調でした。

人間関係では仲の良かった友達に、なぜか無視されるようになり一人でいることも多く、この頃もコミュニケーションに難ありという感じでした。

休み時間は読書をしてなんとかやり過ごしていました。
今でも読書は好きなので小さい頃から本を読んでいてよかったなとは思っています。


高校時代


高校へ進学すると、学習面で躓くようになりました。というのも、中学まではたいして勉強しなくてもいい成績が取れていたのに、高校の勉強は難しくついていくのが大変になりました。
勉強するより部活が楽しかったというのもあるのですが、高校時代は部活に熱中する3年間を過ごして、勉強はほとんどせずに卒業します。


大学時代


高校を卒業すると私は県外の大学へ進学し、大学の寮で新生活をスタートさせます。
…が、親元を離れての生活に慣れずに生活のリズムを崩し、大学へも行かずふさぎがちになります。
また、進学先が私の行きたかったところではなく、妥協して決めたこともあり自分の夢があきらめきれなかったので1年の3月で大学を辞めてしまいます。


東京時代


大学を辞めた私は、自分のなりたい職業になるためにアルバイトをしてお金を貯めます。
そして2年後上京し、一人暮らしをスタートさせます。

…が、ここでも上手くいかずに体調を崩し抑うつ状態になります。落ち込み激しかったり、やる気がなかったり症状があったのでここで初めて心療内科を受診します。
診断名は適応障害でした。その原因が仕事だということだったので仕事を辞めましたが、次の仕事もすぐやめたりなど長続きしなかったです。


そんなときにネットの記事で発達障害のことを知りました。
集中力が続かなかったり、いろんなことに気が散ったり、物は無くすしミスもたくさんする。マルチタスクが苦手、小さい頃から人とコミュニケーションを取るのが苦手。
調べれば調べるほど当てはまることばかりで私のことだ…と確信しました。
これはちゃんと診断してもらいたいと思い病院を調べ始めました。


すぐここに行きたいと思える病院を見つけるのですが、人気があり予約が取りづらいとのこと。
初診の受付は毎月決まった日に電話でしか受け付けないとのことでその日に電話をかけてみますが中々繋がらず…やっと繋がってもキャンセル待ちでの案内で一応申し込みましたが、内心諦めていました。

しかし、数日後病院から電話がかかってきてキャンセルが出て予約ができるとのことで無事に予約できることができました。

適応障害で通っていた病院に発達障害を疑ってて診断を受けたいから紹介状を書いて欲しいとお願いして転院をしました。そして1ヶ月後、いよいよ病院を受診します。

この続きは次回書こうと思います。
読んでくださりありがとうございました。

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