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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その21 杜崎 拓は武藤 里伽子をいつ好きになったのか? パート13(終)
タグ: #読書の秋2021 ,#海がきこえる,#海がきこえるⅡアイがあるから,#氷室冴子,#スタジオジブリ,#アニメ,#小説,#考察,#ネタバレ
前回、アニメ版DVDパッケージイラストについて考察しました。
今回、「アニメ版」において「第2のターニングポイント」へと続いていく学園祭シーンについて考察したいと思います。
(「第1のターニングポイント」は、ハワイへの修学旅行のシーンでした)
まずは、このシーンにおける、「拓の里伽子(と松野)に対する気持ち」について見ていきましょう。
〇里伽子がクラスの女子たちにつるし上げされているところに出くわす。
〇女子たちが立ち去ったあと、里伽子と遭遇する。
〇里伽子が一歩も引かなかったことを感心してみせる。(里伽子への信頼)
〇里伽子から平手打ちをくらう。(里伽子の好意の喪失)
〇涙を流しながら走り去っていく里伽子を見送る。
〇やってきた松野に里伽子のつるし上げの様子を話す。(気持ちを偽る)
〇松野にも殴られてバカだと言われる。松野と絶交になる。(友情の喪失)
※シーン説明のあとの( )は、拓が里伽子(と松野)に抱く感情をあらわしています。
学園祭ー拓がすべてを失う瞬間ー
「平手打ち」事件ののち、里伽子だけが拓や学園祭の準備をするクラスの女子たちから背を向け、孤独を深めていきます。
「アニメ版」は、拓と里伽子の東京行きが学校にバレて呼び出されるシーン(拓と里伽子が「噂」になる発端のシーン)が省略されていました。
反対に、学園祭で里伽子がクラスの女子たちの反感の末に「つるし上げ」にあう過程は、丁寧に描写されています。
(一方、「小説版」のこのシーンの前半部分は、里伽子でなく、学園祭の状況に焦点が当たっています)
つるし上げを丁寧に描く理由ーそれは、この学園祭のシーンの「主人公」が里伽子であることを視聴者に印象づけるためです。
(いうまでもなく『海がきこえる』の主人公は拓ですが、ここでの「主人公」という語句は、「誰にスポットライトが当たっているか?」という意味で用いています。)
なぜ、里伽子を印象づける(キャラクターを起てる)のかといえば、視聴者に拓がこれから「失うもの(里伽子)」の大きさを印象づけるためであることに加えて、「アニメ版」でこのあと里伽子がストーリーに(ほとんど)登場しなくなるためです。
高校最後の学園祭ー拓にとって、好意を抱き続けてきた里伽子の「想い」と親友だと思っていた松野の「友情」を一度に喪失する瞬間だったのです。
「杜崎くん…いつからいたのよ」ー「生意気」だという想いと里伽子への「信頼」が招いたものー
「アニメ版」、拓は、焼却炉へゴミ捨てに行く途中、建物の裏で同級生女子数人につるし上げあう里伽子に遭遇します。
(「小説版」は、トイレに向かう途中という、情けない理由だったりするのですが。)
「小説版」の学園祭シーンの特徴として、主人公である拓の「2つの視点(ものの見方)」で述懐されていることが挙げられます。
2つの視点ーそれは、「高校時代の学園祭当時の拓の視点」と「学園祭当時の出来事を振り返っている"今"の拓の視点」です。
なぜ、学園祭のシーンは、拓の「2つの視点」で述懐されているのでしょうか?
筆者は、学園祭のシーン、特に里伽子がつるし上げにあっている場面において、拓が「2つの感情」を抱いて里伽子と接していたからだと考えます。
「2つの感情」ーそれは、里伽子を「生意気」だという想いと、里伽子と接してきた中で抱くようになった里伽子への(無意識の)「信頼」です。
(高校生だった当時)拓は、つるし上げにあう里伽子を(「平手打ち」事件以降、「絶交状態」にあったこともあり)「生意気」だと思っていた。
しかし、(”今”から学園祭の出来事を振り返ってみると)拓は、孤独を深める里伽子の淋しさや、逃げずにクラスの女子たちに向き合う里伽子の誠実さを(当時は気づかなかったが、)これまでの里伽子とのやり取りを通して心のどこかで気づいていた。
拓がつるし上げにあう里伽子を助けるのを最後までためらったのは、里伽子が(本当に)「生意気」だったからでありません。
「里伽子ならきっと大丈夫、クラスの女子なんかに負けない!」という里伽子への(無意識の)「信頼」があったからこそ、拓は寸前まで里伽子を助けることを留まったのではないでしょうか?(里伽子への信頼)
「おまえは立派だよ。あれだけに囲まれても、一歩も引かんかったもんな」
「海きこ」第六章 263ページより引用
「アニメ版」においても同じです。物陰から見守る拓に、里伽子への(無意識の)「信頼」があったからこそ、「立派だよ」・「エライ」・「たいしたもんじゃ」という言葉を里伽子にかけたのだと思います。
(もし拓が本当に里伽子を「生意気」とだけ思っていたなら、続く松野に言い訳するように「いいクスリだよ」・「ちっとはコリたろうよ」と里伽子に言っていたはずです)
拓「お前はエライ あれだけみんなに囲まれたち 一歩も引かんもんにゃあ つるし上げよった方が涙ぐんじょったもんにゃあ たいしたもんじゃ」
つるし上げのシーンにおいて、拓の心には、これまで里伽子と接してきたことを通して、(無意識のうちに)里伽子への「信頼」がありました。
しかし、「平手打ち」事件や前回の考察で見てきたように、この時の拓の心には、里伽子に対する「憎」の感情が刻みつけられたままでした。
それゆえ、拓は里伽子の窮地に対して「行動」を起こすことがなかったのです。
「行動」を起こさなかった拓は、つるし上げが終わったのち、「うしろめたさ」を抱えながら里伽子の前にあらわれます。
果たして、拓の「うしろめたさ」は里伽子に対する「うしろめたさ」だけだったのでしょうか?
「バカッ!あんたなんか最低よっ!」ー「里伽子」と「自分の本心」に「嘘」つく拓ー
里伽子「杜崎くん…」
里伽子「いつからいたのよ」
拓は、焼却炉に学園祭のゴミを捨てるという目的を果たすため、(無関心を装いつつ)里伽子の前にあらわれます。
「アニメ版」において、拓は焼却炉にゴミを置きながら、「うしろめたさ」から里伽子の顔を見ようとせず、里伽子に話し続けます。
「嘘」をついているとき、相手を直視しようとしないーかつて里伽子が「ハワイで拓からお金を借りるとき」と「学校で拓から呼び出されたとき」に、本心を隠すため拓から顔を背けながら会話していました。
今回は、どうやら拓が里伽子に対して「嘘」をついているようです。拓の「嘘」とは何でしょうか?
筆者はそれが、拓自身の「純粋な気持ち」に対しての「嘘」であったと考えます。
さきほど引用した拓のセリフには、確かに里伽子に対する拓の「信頼」がありました。ですが、拓は里伽子への「憎」の感情から、里伽子を助けるという「行動」を起こしませんでした。
厭味っぽい口ぶりだったのはたぶん、ぼくの中に、うしろめたさがあったからだ。
あの場に、助けにでるべきだったのに、10人ちかい女子のなかに、ひとりでとびこむには腰が引けていた。それに里伽子だって、仲裁してもらっても感謝もせず、それどころか、
(よけいなことしないでよ、でしゃばり!)
くらいは確実にいうはずで、とても出ていく気にはなれなかった。それでも、やっぱり後ろめたかった。
「海きこ」第六章 263~264ページより引用
東京行きにおいて、拓は、(たとえ、里伽子から拒絶されようと)純粋な気持ちで里伽子のために何かをしてあげたいと思い、里伽子のかなしみに寄り添いました。
ですが、つるし上げのシーンにおいて、里伽子から「でしゃばり」と拒絶されることを恐れた拓は、「純粋な気持ち(自分の本心)」に「嘘」をついてしまったのですー里伽子を助けてあげたいという想いに。
自分の「純粋な気持ち」に対する拓の「嘘」は、里伽子への「うしろめたさ」であるとともに、拓自身への「うしろめたさ」でもありました。
筆者の想像でありますが、もし拓がつるし上げにあっている里伽子の前に出ていって仲裁しないにしても、そのあとで里伽子の顔を見ながら、
拓「お前はエライ あれだけみんなに囲まれたち 一歩も引かんもんにゃあ つるし上げよった方が涙ぐんじょったもんにゃあ たいしたもんじゃ」
と里伽子への「信頼」を口にしていたなら、また違った結末を迎えていたように思います。
里伽子「バカッ!あんたなんか最低よっ!」
(里伽子を助けたいという)自分の気持ちに「嘘」をつく「うしろめたさ」から、拓は、里伽子に背を向けてしまいました。
それゆえに「かなしみ」から「怒り」へと揺れ動く里伽子の気持ちの変化に気づくことができなかったのです。(里伽子の好意の喪失)
「小説版」おいて、大学生となった里伽子はこのときの(ものと思しき拓への)想いを拓に打ち明けています。
里伽子はすこし黙って、違うことをいった。
「でも、きっと会ったら、あたしはそんなに悪くない、なによ、こいつ、だれにでもいい顔して、とか思ったりするのよ、きっと。みんなに悪い顔してもいいから、あたしが悪いときでも、あたしだけの味方になってほしかったとか、すごく我が儘なこと思っちゃうのよ」
むちゃくちゃな話で、なんとも返事のしようがなかった。
「海きこ2」第四章 163ページより引用
里伽子にとって、拓が「最低」だといったのは、
「居場所」だと思っていた拓が、自分の好意(里伽子の拓に対する好意)に全然気づいてくれないうえに、肝心の時に無関心を装って自分の味方になって助けてくれなかったことに「かなしさと怒り」を覚えたから。
(「アニメ版」においてこのシーンに登場する「焼却炉」は、「アニメ版」平手打ち事件の時の「消火栓」と”対”になっているように思います。ここは、「感情」を燃やすシーンだということを視聴者に伝えるために。)
「アニメ版」、里伽子が立ち去ったのち、拓を映したカメラはやや引き気味になり、拓の後姿を映した映像に変わります。
ぼうぜんと立ち尽くす拓の心に去来したものとは果たしてなんだったのでしょうか?
すべてをうしなってー拓に残されたものー
里伽子と入れ替わるように拓の前にあらわれたのは、親友の松野でした。松野は、「涙を流し走り去っていった里伽子」と、「本心を隠そうとして自分を直視しようとしない拓」の状況から、「拓が親友である自分に隠していた気持ち」を悟ります。(気持ちを偽る)
松野は、親友である自分に遠慮して、里伽子の力になろうとしなかった拓を怒りのまま殴ります。(友情の喪失)
松野「お前…バカや」
拓が、里伽子の「好意」と松野の「友情」を喪失した瞬間でした。
里伽子の想いに気づくことなく、松野とも断交した拓。
すべてを失った拓でありましたが、松野と関係を途絶したことで、それまで里伽子への想いにフタをする大きな要因になっていた「親友のくびき」からようやく自由になり、里伽子に向き合うことができるようになったのではないでしょうか?
(正確には、高校生時代の回想終了後、高知に帰省した大学生の拓が松野と港を散歩するシーンを経て、拓はようやく「自分は里伽子が好きだ」という気持ちにきちんと向き合うことができるようになります)
ただ、時すでに遅く、拓と里伽子は関係修復をはかるきっかけをつかめず、卒業で離れ離れになってしまいます。互いの存在を心のどこかに抱きながら。
すべてをうしなった拓に残されたものーそれは、出会ってから絶交するまでの「里伽子との思い出」と、(心の底から)「里伽子が好きだという想い」だったのです。
今回、拓の高校時代最後の学園祭シーンについて考察しました。
「アニメ版」における、「杜崎 拓は武藤 里伽子をいつ好きになったのか?」についての考察は今回で終了となります。
次回、高知へ帰省した拓が出席する同窓会シーンに隠された意図を「アニメ版」から読み解いていきたいと思います。
今回のまとめ
拓にとっての学園祭シーンの意味とは
学園祭は、拓が里伽子の「想い」と松野の「友情」を喪失する瞬間。
つるし上げを見守る拓の心には、里伽子に対する「生意気」という想いと、里伽子への「信頼」が根底にあった。
拓の里伽子に対する「憎」の感情が、拓の「行動」にブレーキをかけ、自分と里伽子に対する「うしろめたさ」につながってしまった。
「うしろめたさ」を拓が抱いたのは、里伽子から拒絶されることを恐れた拓が「自分の本心」に「嘘」をついてしまったから。
里伽子が拓を「最低」だと言ったのは、拓が、自分の好意に気づかず、自分を助けてくれなかったことに「かなしさと怒り」を覚えたから。
拓は、松野に殴られて断交したことで、ようやく「自分は里伽子が好きだ」という気持ちにきちんとむきあえるようになった。
※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。