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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その28 武藤 里伽子は杜崎 拓をいつ好きになったのか? パート5
タグ: #読書の秋2021 ,#海がきこえる,#海がきこえるⅡアイがあるから,#氷室冴子,#スタジオジブリ,#アニメ,#小説,#考察,#ネタバレ
前回、『海がきこえる』シリーズにおける小浜の「役割」の違いについて考察しました。
今回、里伽子の「東京行き」について考察していきたいと思います。
なお、該当する拓に関する考察記事を合わせて読むと、このシーンへの理解がより深まると思います。
〇関連記事:『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その13
「里伽子は あのお金を返さなかった まるで忘れてしまったみたいに…」ー里伽子の東京行き計画の思惑とアヤマチを探るー
「アニメ版」、3月のハワイへの修学旅行(「小説版」では、1月の末の出来事となっています。「海きこ」第一章 24ページ)のあと、3年生となった里伽子は拓と同じクラスとなります。里伽子は、拓から借りたお金を一向に返そうとしません。
里伽子が(東京にいる父親の元に帰るための)東京行きの準備を着々と進めるていたからなのですが、拓の「お金返せ」という視線を(拓に嘘をついてお金を借りた)里伽子はどのような目で拓を見ていたのでしょうか。
「(略) おなじクラスになってから、いっつも、金返せって顔であたしを睨んでてさ。杜崎くんて、根に持つタイプよね。おまけにすごいおせっかいで」
(「海きこ」第四章 125ページより引用)
拓が(お金を貸したことで)里伽子を意識していたと同様に、里伽子本人も(拓を騙してお金を借りたことで)拓のことを意識していたことがうかがえるセリフです。
以前、拓の考察でも書いたように、ハワイへの修学旅行での金銭の「貸借」(たいしゃく)にともなう「関心の継続」が里伽子にも当てはまることが、これでわかると思います。
里伽子は、拓のようにいまだ相手への「好意」を持ち合わせていなくても、拓のことを意識し続けていたのです。
(里伽子がこの時点で、拓に対して「好意」よりも「うしろめたさ」を意識していたのは、以前考察したとおりです。)
拓(の視線)が気になりつつも、里伽子はゴールデンウィーク(GW)の初日、かねてより計画していた東京行きを実行にうつします。そんな里伽子の隣にいたのは、3年生のクラス替えで友人となったばかりの小浜でした。
(居場所の獲得)
高知という「世間」において、小浜という「居場所」を見つけた里伽子でしたが、東京に帰りたいという自らの「意地」を貫き通したがために、せっかく見つけたばかりの「居場所」を壊してしまいます。
里伽子が「居場所」を壊してしまった原因ーそれは、里伽子が小浜を騙して東京行きの(飛行機の)チケットを2枚購入したことにありました。
里伽子は、「造り酒屋の娘でお嬢さん育ち」(「海きこ」第四章 128ページ)の小浜を隠れ蓑(みの)に、母親に内緒で東京の父親の元に行くため、東京行きのチケットを小浜に黙って購入します。
それは、ハワイへの修学旅行で拓にお金を借りた時のように、里伽子にとって小浜に対する「秘密の共有」であったと筆者は考えます。
拓が里伽子と小浜を「女王さまと侍女」(「海きこ」第四章 113ページ)と評していたように、2人の友情には、「微妙な上下関係」が自然と生成されていました。かりに小浜が東京行きに反対しても、いざとなれば「有無を言わせず」小浜を説得できる(だろう)計算が里伽子にあったと思います。
(里伽子の行動は、小浜の個性を持ち前の鋭い「観察眼」で見抜いたうえでの行動であったと思います。事実「小説版」(「海きこ」第四章127ページ)において、小浜が東京行きを取り止めた際に、小浜の東京行きのチケットを「有無を言わせず」拓に譲るように、言いくるめてしまっているのですから。)
小浜の個性を利用した計算の上での行動ーしかし、里伽子はミスを犯してしまいます。それまで「秘密」にしていた、拓から(東京行きの)お金を借りていたことを、土壇場で小浜に打ち明けてしまったのです。
(里伽子が「秘密」を打ち明けたのは、小浜が里伽子の「居場所」であるという「安心感」や「信頼」が多少なりともあったからこそだと思いますが)
もちろん、それは、東京行きを突如告げられた小浜を説得して安心させるためのものでもありました。しかし、小浜は両親と里伽子の母親へ「嘘」をつくことへの葛藤からパニックに陥り、拓に電話で里伽子の東京行きを打ち明けてしまったのです(「秘密の共有」の解除)
(里伽子は、鋭い「観察眼」で小浜の個性を見抜き利用しました。一方で、持ち前のヘッポコな「想像力」のおかげで、小浜の地方特有の濃密なネットワーク(つながり)を見逃がしてしまっていたとも言えます。)
里伽子は、東京行きのために友人である小浜の個性や微妙な上下関係を利用しました。ですが、東京に行きたいという「意地」を貫いたばかりに、せっかく築いた「居場所」を破壊し、東京行きの「秘密」を小浜によって暴露されてしまったのです。
里伽子は最初から小浜との東京行きを計画していたのか?ーチケットの手配と資金の工面から見えてくるいくつかの可能性ー
東京の父親に会うための里伽子の思惑と過ちについてここまで考察してきましたが、里伽子の視点に立って、里伽子の東京行き計画を見てみるとある疑問を抱きます。
それは、里伽子がいつ東京行きの(飛行機の)チケット2枚を確保したかという「謎」です。
「アニメ版」において、ハワイへの修学旅行があったのは、高校2年の 3月 6~10日。里伽子が拓からお金を借りたのは、3月9日の最終日前日でした。翌月の4月上旬に新学期が始まって小浜と仲良しになりましたが、それから4月29日のGWに東京に行くまで約3週間しかありません。オフシーズンならともかく、GWの東京⇔高知の往復航空券2人分を3週間前に確保できるものでしょうか?
(「小説版」において、大学生となった拓が8月高知に帰省するための航空券を確保するのに、バイト先の知り合いのツテを頼ってようやく確保したほどです。「海きこ」第六章 244ページ。)
筆者は、4月に里伽子が小浜と仲良くなる以前(3月に拓からお金を借りてまもなく)に東京行きの往復航空券を2枚確保していたと考えます。なぜなら、早めに確保しなければ入手できなくなる性質のものだからです。
では、もし里伽子が小浜と出会わなければ、誰と一緒に東京に行こうとしていたのでしょうか?
第一候補は、里伽子の弟である「貢」(みつぐ)であったと考えます。なぜなら、里伽子と同様に「東京の父親に会いたい」という動機が(潜在的に)あるからです。「アニメージュ版」において、里伽子は弟を「貢ちゃん」と呼び、一緒に買い物にでかけるほど仲の良い「姉弟」でした(「連載第20回」)。
弟と一緒に父親に会いに行くのは、一番自然な成り行きでしょう。ですが、物語上そうなりませんでした。弟が高知という新しい「世間」に馴染んでしまっていたからです。
里伽子が弟に東京行きの計画を打ち明けたか微妙なところですが、弟に「東京に戻りたくない?」とそれとなく話を持ち掛けたものの、色よい返事が得られなかったのではないかと推定できます。
里伽子は、母親に東京行きが発覚してしまうことを何よりも恐れていました。弟とふたりでコッソリと東京に行くのであれば、適当な「口実」を用意さえすれば、母親も怪(あや)しまないかもしれません。しかし、里伽子ひとりとなれば話は別です。(年頃の)女の子の一人旅となれば、間違いなく母親は気になるでしょう。
拓「落ち着けや なにも一緖に行くことないやろ 行かんちゅうて武藤ひとりほっちょったらええんじゃ」
小浜「けんど 里伽子のお母さんも あたしが一緖やきOKしたがやと だから絶対一緖に行ってくれて(略)」
小浜と一緒だからこそGWの大阪のコンサート行き(実は東京行きでしたが)を許したという小浜のセリフからも、そのことがわかります。
それゆえ、どうしても東京の父親に会いたい里伽子にとって、「誰かと一緒に」・「誰かを隠れ蓑に」、うまい「口実」を作って東京に行く必要があったのです。
その第二候補が「拓」(もしくは松野)であっただろうと筆者は考えます。なぜなら、彼らは、里伽子にお金を貸したという点ですでに「共犯者」(という表現もおかしいですが)であったからです。
ただし、里伽子にとって、拓が松野に「秘密」を打ち明けたこともあって、お節介な拓(と松野)への信頼度はかなり低いものだったと思います。「適当な相手が見つからなければ、最悪こいつ(拓)とでも」と考えていたかもしれません。
そんな中、4月のクラス替えで友人となった「小浜」が第三候補(本命)として浮上してくるのです。里伽子にとって、「同性」でしかも「利用しやすい」小浜は、母親を欺くための格好の存在だったと思われます。
しかし、里伽子の唯一の誤算は、小浜が(拓に事情を打ち明けたあげく)東京行きを取り止めてしまったことです。
「ほんと? ほんとうにそうしてくれるの?」ー拓が里伽子の「居場所」となったときー
小浜が電話で拓を頼ったことで、拓が高知空港に駆けつけるくだりは、以前の考察で見てきたとおりです。(秘密の共有の解除)
里伽子は、東京行きのその日、体調を崩していました。空港のトイレから戻ってみると、小浜のいる待合スペースに拓がいました。里伽子は、目の前に突如現れた拓を罵ったのち、小浜を睨みつけます。
小浜「ねえ里伽子 こんなウソついて行くのやめよう ちゃんとお母さんに言うてから」
里伽子「ママは絶対に行かせてくれないわよ」
里伽子「だから ずっと前から準備してたのに」(右目をこする里伽子)
小浜は、(自分が呼び出した)拓の助言を受けて東京行きを中止するよう説得するのですが、2人が見たものは、東京に行こうと強烈な「意地を張ろうとする」痛々しい里伽子の姿でした。
里伽子は、「父親に会うために東京へ行く」という目的を果たすために、小浜への「怒り」を押し殺し、シブシブ拓の提案を受け入れます。
高知に来てからようやく里伽子にできた「居場所」であった小浜が拓に「秘密」を打ち明けたことは、里伽子にとって裏切り以外の何物でもなかったのです。(居場所の喪失)
小浜が電話をするために待合スペースを立ち去ったのち、里伽子は拓を睨みつけます。
この時、里伽子は、拓に対して「ある言葉」をかけるのですが、作者である氷室冴子先生によれば、良く思われたい男には女の子が言わないセリフであり、「こいつなんてなにさ」って思ってる男の子に言うセリフだということです。(『氷室冴子読本』47ページ)
(つまり、「ある言葉」を拓にかけた時点では、いまだ里伽子は拓に対して好意を抱いていないことになります。)
ハワイで貸したお金を回収するために、小浜の呼び出しに応えて空港までやってきたばかりか、里伽子と両親の間で葛藤する小浜を手助けするお節介な拓ー里伽子の心の中には、体調の悪さも手伝って「いらだち」があったと筆者は考えます。
拓「おまえ どうしても行くがか」
里伽子「借りたお金はパパからもらうわよ ちゃんと返すから心配ないでよね」
目の前で体調の悪さと「居場所」を喪失した失意に暮れる自分よりも、貸したお金の心配ばかりする(ように里伽子には見える)拓への「憎しみ」はいざ増すばかりでした。
そんな里伽子は拓から「思いがけない」言葉をかけられます。
(拓の心にあったのが、拓の母親の一言からうまれた里伽子への「同情」と「ヤキモキ」であったことは、以前の考察で言及したとおりです。)
拓「おまえ 一人で行くんが不安じゃったらぼくも一緖にいっちゃろか?」
友人として信頼を寄せつつあった小浜という「居場所」を喪失したばかりの里伽子にとって、(お金を借りる際に嘘をついて騙したはずの)拓の(「同情」と「ヤキモキ」からくる)優しさは「思いがけない」ものでした。
それゆえに、里伽子は、拓の「お節介」がただの身勝手な「お節介」でなく、自分を心配する優しさからの「お節介」であることに気づいたのです。
拓の「お節介」な一言に、里伽子は「思いがけない」笑顔を向けます。
それは、「体調不良」と「居場所」喪失による「不安」に押しつぶされそうな里伽子にとって(もっと広い視点でみれば、高知に転校してきて以来、「居場所」のなかった里伽子にとって)、拓が新しい「居場所」になった瞬間だったのです。
最後に、東京行きの飛行機に拓と一緒に登場した里伽子の心の内をのぞいてみましょう。
杜崎くん、あなたは「あたし」よりも「お金」の心配をしていたんじゃなかったの?ハワイへの修学旅行のときから、あたしのやることを台無しにするお節介な人だと思っていたのに、本当はあたしのことを「心配」してくれていたのね。
あたし、高知に来てからずっと「世間」からズレっぱなしでつらかった。誰もあたしの「不安」や「孤独」に手を差し伸べてくれなかったけど、いまの杜崎くんの一言は、うれしかったな。
こんな日々も、もうすぐ終わる。東京に行ったらパパと一緒に暮らすんだ。そして、元の「居場所」に戻って、ズレる前の元の「あたし」に戻るんだ。
きっと、もうすぐ…
(東京で待ち受ける"モノ"が何であるか里伽子はいまだ気づいていない)
今回、里伽子の「東京行き」計画の舞台裏と、拓が里伽子の「居場所」になったときについて考察しました。
次回、里伽子と拓の(踏んだり蹴ったりな)東京旅行を考察していきたいと思います。
今回のまとめ
里伽子が拓との東京行きを決意するまで
里伽子は友人となった小浜の個性と微妙な上下関係を利用して、東京行きを計画した。東京行きに対する「意地」を貫いたばかりに、小浜という「居場所」を自ら破壊し、東京行きの「秘密」を小浜に暴露されてしまう。
里伽子は、東京行きの往復航空券を、小浜と友人になる前から確保していた可能性がある。当初は、弟の貢と一緒に東京に行くことを計画していたが、貢が高知に馴染んでしまったことから、姉弟ふたりでの東京行きを断念する。母にあやしまれないためにも、最悪、拓(や松野)と東京に行くことも想定したが、小浜と仲良くなったことがきっかけとなり、小浜と東京に行くことを決意する。
小浜が拓に東京行きを告げたのは、里伽子にとって裏切りであった。小浜という「居場所」喪失した里伽子は、拓の「思いがけない」言葉に、「お節介」の裏にある拓の「優しさ」に気づく。
それは、高知に来て以来、ズレっぱなしで不安に押しつぶされそうだった里伽子にとって、拓が「居場所」になった瞬間であった。
※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。