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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その31 「アニメ版」清水 明子についてーインタールードその5ー

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 前回、里伽子の東京行きにおける岡田との再会と、「居場所」喪失に伴う里伽子の心境の変化について考察しました。

 今回、東京から高知に戻ってきてからの里伽子について見ていく前に、高校時代の里伽子と接点のあった「清水 明子(あきこ)」について考察していきたいと思います。「インタールード(幕間劇)」その5です。


清水明子という存在ー「小説版」の脇役から「アニメ版」で重要な役割を果たす脇役へー


 『海がきこえる』アニメ化によって、もっとも恩恵を受けた登場人物は誰か?と問われれば、「清水 明子」であると筆者は断定できます。
 まずは、清水がどんな女の子であったか見ていきましょう。

 「小説版」において、拓が清水について言及するくだりがあります。

 とりたてて化粧しているわけでもないのに、唇に塗った真っ赤なルージュが、一目をひく鮮やかさだった。
 もともと顔立ちのくっきりしたコであったけれど、口紅ひとつで、これだけ目立つというのは、やっぱり素(もと)がいいんだろう。
「海きこ」第六章 272ページより引用
 どこの世界にも、いくつになっても、クラス委員タイプの人間というのはいるものだ。清水明子なんかは、典型的な委員長タイプだ。悪い意味じゃなくて、いい意味で。
「海きこ」第六章 273ページより引用

 清水が里伽子や拓と同じクラスになった高校3年時にクラス委員の地位にあったか、「小説版」の記述にないため定かでありません。
 ただ、地位のあるなしに関わらずクラスの女子から一目置かれており、清水は、「知らず知らずリーダー格になる」ような女の子でした。(「海きこ」第六章 277ページ)
 学園祭での里伽子つるし上げメンバーの中心にいたことからもそのことがうかがえます。(「海きこ」第六章 260ページ~263ページ)

 クラス委員というと、眼鏡をかけた、いかにも真面目な女の子というイメージ(あくまで小説や漫画、アニメなどにおけるイメージ像です)が浮かんでくるものですが、清水は真面目一辺倒な女の子ではありませんでした。
 「小説版」、東京組の幹事にも関わらず、寝坊が原因でクラス会に遅刻した拓に対して「笑いながら文句を言ったり」「クラス会の告白タイムの裏テーマを(ご丁寧にも)拓に解説したり」と、男女の別なく他人と打ち解けやすい女の子であることがうかがえます。
(「海きこ」第六章 273ページ~275ページ)

 「小説版」の清水は、「海きこ」第六章、高校時代の学園祭における里伽子つるし上げシーンと、大学生となった拓のクラス会のシーンにだけ登場する存在でした。里伽子や拓との会話があるものの、『海がきこえる』のストーリーにさほど絡んでこない脇役であったといえます。

 しかし、「アニメ版」の清水は違います。アニメ化に伴うストーリー構成の変更に伴い、「小説版」でいえば第三章という比較的早い時期から物語に登場しているのです。
 そればかりでありません。記事タイトル画像にあるように、清水がお手洗いで里伽子に話しかけるという(短いながらも)「アニメ版」独自のシーンまで設けられています。

清水が「アニメ版」で果たした役割とは一体なんだったのでしょうか?


「アニメ版」独自シーンにおける清水の役割ー視聴者への「可能性」と「疑問」の提示ー


 「アニメ版」において清水が最初に登場するシーンは、里伽子が高知に転校してきた高校2年の夏休み明けの実力テストで、里伽子が注目を集めたシーンです。
 以前考察したように、実力テストで好成績をおさめた里伽子に対して、拓や山尾をはじめとした同級生たちが口々に感想をつぶやきます。

女子生徒「なんにあの態度」
女子生徒「えばっちゅうねー」(教室に向かう里伽子を見て陰口を言う)
清水「やめや そんなこと 言われん」(女子生徒の背後から声をかける)
清水「授業始まるぞね」(同級生をたしなめたのち、階段を昇っていく)

 2人の女子生徒が実力テストの結果に関心を示そうとしない里伽子の姿に「反感」を口にするのですが、背後からやってきた清水は、毅然とした口調で陰口を言う2人を窘(たしな)めています。
 「典型的なクラス委員タイプ」である清水の個性をうまく活かした「アニメ版」独自の清水の活躍シーンですが、単に清水のキャラクターを強調するためだけに清水をはやくから登場させたのでしょうか?

 筆者は、「アニメ版」における清水を、(里伽子がズレてしまった)「高知」という世間を「ある意味」で代表する存在として登場させたかったのではないかと考えます。
 他の同級生は、里伽子の「スーパーウーマンぶり」「羨望」「反感」を抱いていました。しかし、拓のように(松野、のちに里伽子の友人となる小浜以外にも)、里伽子という女の子を受け入れる「可能性」「環境」が高知という世間にもあったことを、清水という女の子を通して視聴者に伝えたかったと筆者には思えるのです。

 もし、里伽子が清水と転校してきたはやい段階から友人になることができたらー「アニメ版」の清水は、高知に来て世間からズレてしまった里伽子の「もう一つの可能性」となる存在であったと筆者に思えてならないのですー高知で友人に恵まれて充実した幸せな高知での生活を送ることができた、里伽子のもう一つの未来を。


 「アニメ版」において、清水が再登場するのは、ゴールデンウィークにおける里伽子と拓の東京行きののち、里伽子が拓を再び無視し始めるようになったシーンにおいてです。

清水「誤解せんと聞いてや あんたのこと心配しゆうわけじゃないけんど このままじゃひとりぼっちになってしまうきね まあ わけはあるろうけんど もうちっと…」
里伽子「放っといて!」(強い口調で否定し、その場をあとにする里伽子)

 先に書いたように「アニメ版」独自のシーンですが、ここでも清水は、学校で孤立しようとする里伽子を案じて声をかけています。清水本人は、セリフの中で、「心配しゆうわけじゃないけんど」と否定していますが、(高校3年で里伽子と同じクラスになったことで)クラス委員タイプの清水として、小浜以外のクラスメイトと関わろうとしない里伽子の「不自然さ」が気になって仕方なかったと思われます。

 この時期の里伽子は、東京行きでの一連の出来事で「東京の居場所」を喪失したのち、拓との「東京行き」に対する同級生たちの心ない噂に晒されて、非常に神経質になっていました。

 拓や松野たちと同様に、中学高校の6年間ずっと同じ同級生たちと過ごしてきた清水にとって、依然として周りと打ち解けようとしない里伽子の行動は、「疑問」「謎」以外の何物でもなかったでしょう。
 それは、清水のみならず、東京行きでの里伽子と拓の感情の交流を見てみた視聴者が感じる「疑問」でもあります。

 秋になり、高校最後の学園祭の準備をする清水やクラスの女子たち。そんな清水たちを尻目に里伽子はひとり帰宅の途につきます。
 クラスの女子たちが身勝手な里伽子の行動に「怒り」をあらわにする中、清水だけが「なぜ里伽子は、ここまで周囲に対して無関心な態度を取り続けるのだろう?」と、怪訝(けげん)そうな表情で遠ざかっていく里伽子の後姿を見つめます。

 「アニメ版」独自のシーンにおける清水の役割が、里伽子が世間からズレなかったかもしれない「可能性」と、東京行きののち世間から背を向ける里伽子に対する「疑問」とを視聴者に提示することにあったと、筆者は考えます。


里伽子つるし上げ事件における清水の想いー制止役と好奇心とのはざまでー


 里伽子に対する、クラスの女子たちの「怒り」と清水の「疑問」は、学園祭における「つるし上げ事件」に発展していきます。
 学園祭、ひいてはクラスに関心を示そうとしない里伽子に対して、クラスの女子たちは、ついに里伽子への怒りを爆発させます。

 そこで、里伽子は6人か7人ーつまりクラスの女子の半数近くに囲まれていた。(※筆者注「アニメ版」は清水を入れて7人)
「海きこ」第六章 260ページより引用

 「小説版」同様に、「アニメ版」においても、清水は里伽子をつるし上げるメンバーです。当の清水本人は他のクラスの女子のように、里伽子への「怒り」によって、つるし上げに加わったのでしょうか?

 筆者は、清水がつるし上げに加わった動機が2つあると考えます。
 1つが、クラス委員的立場から「クラスの女子が暴走するのを制止するため」と、もう1つが、「清水が里伽子に感じていたーなぜ里伽子は、クラスや学校に無関心の振る舞いを続けて、(清水から見て)独りぼっちになろうとしているのか?ーという「疑問」を解消するため」です。
 あえて、クラスの女子と里伽子を対立させて、里伽子を感情的にすることで、「感情の応酬」を通して里伽子の本心に迫りたかった(そして高校生の当時は、それしか方法がわからなかった)のではないかと、筆者には思えるのです。

 「アニメ版」のつるし上げのシーンをよく見ると、クラスの女子たちが思い思いに里伽子への反感を口にするのに対して、清水は里伽子を取り囲む「輪」の外側で腕組みをしながら、里伽子の反論をしっかり聞こうという意思が表情から感じられます。
 清水が(最後まで)口をはさまない理由ーそれは清水自身がクラスの女子たちの制止役としての立場を認識していたからだと考えますが、一方で、清水が里伽子に問いただしたいことをクラスの女子たちがかわりに喋ってくれていたからだとも考えられるのです。

 頭に血が上ったクラスの女子たちの言葉は、辛辣な里伽子の反論に次々と論破されていきます。防戦一方になりかけたころ、あるクラスの女子が里伽子に対する「私怨私恨」を口にします。

 思わぬ主張に呆れ果てた里伽子は、松野を振ったときに匹敵する辛辣な言葉で反論するのですが(間違っても筆者はあんなコト言われたくないです)、堪忍袋の緒が切れた女子がついに里伽子に「手を出して」しまいます。一触即発の危機を制止したのは、制止役である清水の一言でした。

清水「もうやめちょきや!」
清水「あんたの内申にキズがつくで」(冷静な表情で里伽子に掴みかかった女子生徒をなだめる)
清水「こんな奴(里伽子)のためにあんたが泣くことないちゃ」(やや眉をつり上げて、里伽子に反論する)

 引用した清水のセリフですが、3つ目のセリフをのぞいて、里伽子と里伽子に掴みかかった女子の双方に向けたものです。
 里伽子に掴みかかった女子が泣き出したこともあり、つるし上げは、双方痛み分けのまま終わりを迎えます。里伽子を取り囲んでいたクラスの女子たちがその場をあとにする中、清水は里伽子に向き直り、次のような「アニメ版」独自のセリフを言い残しその場をあとにします。

清水「あたし あんたのこと買いかぶっちょったがかも知れんちや」

 多少なりとも里伽子のことを気にかけて心配していた清水が、相手に嫌悪感を抱かせるような台詞を口にする背景に何があるのでしょうか?
 筆者は、里伽子が相手の(的外れな)主張に対して、わざと相手を傷つけるような反論をしたことに清水が反感を覚えたからであると考えます。
 里伽子が学校やクラスに無関心なだけならまだしも、(理由はどうであれ)他人を傷つける言動をとったことが、クラス委員的性格の清水には許しがたいことに思えたのではないでしょうか?

 のちに清水は拓に対して、里伽子のことが「ものすごー嫌いやった」と打ち明けているのですが、筆者には、清水が里伽子を嫌いになったのが(他のクラスの女子たちと異なり)、この「買いかぶっていた」発言に端を発するように思えてならないのです。


「アニメ版」同窓会における清水ー拓と松野の和解の理由を解き明かすー


 「アニメ版」、高校時代にお互い相手を嫌ったまま卒業した清水と里伽子。大学生となった清水は、高知に帰省した里伽子と偶然再会したことで、過去のわだかまりを捨てて、高校時代に叶うことのなかった里伽子との仲直りに成功します。
 以前考察したように、清水が拓と松野に対して里伽子と仲直り出来た理由(お互い世界が狭かったと実感したから)を打ち明けたことで、拓と松野も自分たちが仲直り出来た本当の理由に気づきます。

 清水も「高知」を離れて「大阪の」大学に進学したことで、「絶対的」だった「高知」を「相対的」な視点で見ることができるようになりました。それによって、かつての里伽子への反発が、大学生の清水にとって大したことでないと思えるようになったのではないでしょうか。

 「アニメ版」の清水は、同窓会シーンにおいて、アニメ化に伴う制限の中で出番のなくなった里伽子のセリフを担当し、拓と松野の和解の理由を解き明かしました。
 ここまで、「アニメ版」で出番の増えた清水の様々な役割について考察してきましたが、「アニメ版」のスタッフにとって、松野や小浜のようにストーリーに密接に関係していない分、清水は、ストーリー構成上、非常に動かしやすいキャラクターだったのではないかと思えます。
(山尾にも当てはまることですが)

 「アニメ版」同窓会で、拓が山尾を介抱する間に清水が倒れた山尾の席に座り、松野と話をするシーンがあります。
 短いながらも(同じ京阪神で大学生活を送る)松野に清水が打ち明け話をするのですが、情感に満ちた口調で里伽子のことを話題にする清水と松野が「良い雰囲気」に見えて仕方ないのは、筆者だけでしょうか?

 今回、「アニメ版」で出番の増えた清水の役割について考察しました。

 次回、高知に戻ってきた里伽子が直面した(だろう)出来事について考察していきたいと思います。


今回のまとめ

「アニメ版」における清水の役割について

 清水は、クラス委員タイプの女の子。アニメ化に伴い比較的早い時期から登場するようになり、「小説版」と比較して出番が増えた。
 「アニメ版」独自のシーンにおいて清水は、里伽子の「可能性」と、里伽子に対する「疑問」とを視聴者に提示する役割を果たした。
 つるし上げに清水が参加したのは、クラスの女子たちの「制止」と、里伽子に対する「疑問」の解消の2つの理由が考えられる。
 つるし上げののち、里伽子を嫌うようになったのは、里伽子が他人を傷つける言動をとったことが、清水には許しがたいことに思えたから。
 清水が里伽子と仲直り出来た理由を打ち明けたことで、拓が松野と仲直り出来た本当の理由に気づく。清水が「絶対的」だった「高知」を「相対的」な視点で見ることができるようになったことにあった。
 清水は、物語に密接に関わりあっていないことで、「アニメ版」において動かしやすいキャラクターであったといえる。

※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。 


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