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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その26 武藤 里伽子は杜崎 拓をいつ好きになったのか? パート4
タグ: #読書の秋2021 ,#海がきこえる,#海がきこえるⅡアイがあるから,#氷室冴子,#スタジオジブリ,#アニメ,#小説,#考察,#ネタバレ
前回、ズレが生み出した里伽子の「個性」と、「意地っ張り」な個性が拓と自分に与えた影響、里伽子が拓からお金を借りることを決意したシーンについて考察しました。
今回、里伽子がハワイへの修学旅行で拓を騙してお金を借りるシーンについて考察していきたいと思います。
なお、該当する拓に関する考察記事を合わせて読むと、このシーンへの理解がより深まると思います。
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「あのね 持ってきた全財産 落しちゃったみたいなのよ」ー"嘘"から飛び出た里伽子の"本音"ー
ハワイへの修学旅行4日目、里伽子は拓がひとりになった機会を見計らって拓に近づいていきます。「お金を貸してくれない?」と拓に声をかけたところまでは良かったと思います。しかし、里伽子はここでミスを犯してしまいます。
拓「どうしたがじゃ 金 使いすぎたがか?」
「アニメ版」、拓の言葉を聞いた里伽子は、一瞬目をパチクリさせたのち、拓から顔を背けて何かを考え込むようにうつむきます。
里伽子は、お金を借りる「目的」を優先するあまり、お金を借りるための「うまい口実」を考えていなかったのです。
里伽子「うん いや あの…」
このときの里伽子にとって「東京に行くためにお金を借りる」ということは、「東京の父親」という「居場所」に戻るために何よりも優先すべき「行動」でした。母親はおろか誰ひとりにも打ち明けられない「秘密」を守るため、(誰かに見られることを恐れて)拓との接触を短時間にしたいと思っていたでしょう。(拓からお金を受け取った里伽子がお礼も言わずにサッサとホテルのロビーをあとにしたのが、その証拠です)
里伽子の「お金(大金)を落とした」というセリフは、明らかに「不自然な口実」でした。ですが、里伽子の話を聞いた拓は(里伽子が嘘をついていることも知らずに)事態を深刻にとらえて、心から里伽子(の落としたお金)を心配してしまうのです。(拓の「同情」の根底に拓に母親の影響があったことは、過去に考察したとおりです。)
(アルバイトの体験から)お金の大切さを滔々(とうとう)と語る拓。
拓の土佐弁のおかしさ(と自分のついた嘘に気づかない拓の生真面目さ)に、里伽子は思わず笑ってしまいます。
口元を抑えるほど笑いをこらえようとする里伽子は、拓の「土佐弁」に「時代劇みたい」とつい「本音」を漏らしてしまうのです。
高知に来て以来、里伽子にとって「土佐弁」は、何言っているかわからず、「世間」とのズレを生み出すだけのイヤな「言葉」でしかありませんでした。しかし、心から自分の(お金)を心配してくれる拓の「土佐弁」にあったのは、「おかしみ」と(嘘をついている自分を心配してくれる)「優しさ」でした。
それは、里伽子にとって、はじめて「高知」(この場合、拓によって)という「世間を受け入れた瞬間」だったように筆者は考えます。もちろん、物語の結末を見れば、全面的な「受け入れ」には程遠かったでしょう。
ですが、少なくとも(嘘をついている自分を心から心配してくれる)拓だけは「受け入れる」ことができる、なぜなら、同じクラスでもない以前一度会ったきりの拓がこんなにも自分を「心配」してくれたからーそう感じたゆえに、里伽子は「本音」を拓にだけさらけだすことができたのではないでしょうか?
"嘘"から飛び出た"本音"によって、里伽子と拓の「プロローグ」は紡(つむ)ぎ出されることになったのです。
"嘘"をつくことー「うしろめたさ」から拓との間に「好意」のズレが生まれるときー
里伽子の杜撰な(里伽子の嘘なのですが)金銭管理と、里伽子の拓に対する「先入観」と「現実」とのギャップ(差異)が絡(から)み合あった結果、2人は、お互いに「反発」しあい、「感情の応酬」に発展します。
里伽子と拓はお互い「本音」をぶつけ合います。その結果、2人は「本音で話しあえる間柄」になりました。
お金の無心をする里伽子の「ずうずうしさ」と「かわいさ」に触れた拓が、里伽子の個性(魅力)を受け入れてお金を貸すことを決意するのですが、そのへんについては以前考察した通りです。
拓にとってお金の「貸借」は、里伽子に(この時点ではまだ無意識の)「好意」を抱くきっかけとなる出来事でした。(また、お金の「貸借」は、拓が里伽子への「関心を継続」する役割も果たしました。)
では、里伽子にとってお金の「貸借」は、どのよう出来事だったのでしょうか?
筆者は、里伽子が(自分の本来の「居場所」である)「東京」に戻るために、他人(拓)を騙す覚悟を決めたことで、拓への「うしろめたさ」(罪悪感)を抱くきっかけとなった出来事だと考えます。
拓への「うしろめたさ」(罪悪感)が端的に表現されているのは、拓が(腹巻から)お金を取り出すため、ホテルのロビーを離れている間、里伽子が「何かを思いつめたように深刻そうな顔で考え込む」シーンです。なお、「小説版」では、里伽子は、白い椅子に座ったまま、つまらなそうにプールを眺めていたと描写されています。(「海きこ」第三章 96ページ)
このシーンについて、里伽子が「何かを隠しているな」という視聴者への「謎」を補強する「アニメ版」独自の演出であることを、拓の考察で紹介したとおりです。ただ、里伽子の視点で見直してみると違ったものが見えてきます。
先に指摘したように、拓が里伽子に「好意」を抱いたのに対して、里伽子は拓に「うしろめたさ」(罪悪感)を抱きます。
拓に「嘘」をついたことから始まった里伽子の「うしろめたさ」(罪悪感)は、高知空港でのやりとりを経て、東京行きの最後のシーン、里伽子が「ひどい東京旅行になっちゃったわね」と口にするまで続いていきます。
(里伽子の父親が拓にお金を返却したのちも)里伽子の「うしろめたさ」(罪悪感)がなかなか消失しないのは、「嘘」に起因しているからです。
里伽子の「うしろめたさ」(罪悪感)が消えるのは、里伽子が「嘘」をついた「報い」(この場合、里伽子の父親は美香さんとすでに同棲していたことに加えて、元カレの岡田が友人のリョーコとカップルになっていた、救いようのない状況を指す)を受けて、「嘘」をついた拓に対して里伽子が「隠すことも失うものもなにもない」状況になってからです。
それゆえに、拓と比較して、里伽子が拓に好意を抱き始める「時期」が遅くなり、2人の相手に対する「好意」の度合いに大きな「ズレ」が生じてしまうことになるのです。
結局、「好意」のズレは、拓と里伽子の高校時代において解消されることのないまま、終局を迎えることになるのです。2人の(高校時代の)恋物語は、ハワイへの修学旅行での「出来事」で始まり、そして終わることを運命づけられていたのかもしれません。
ママとお節介ー里伽子の秘密に関わる2人の認識のズレー
里伽子「このこと 誰にも言わないでくれる?」
拓から6万円を借りた里伽子は、去り際、拓に対して「秘密の共有」を持ちかけます。里伽子と「本音で話しあえる間柄」になった拓は、里伽子の言葉に違和感を抱きますが、
里伽子「ママに知れたら 叱られるからよ」
という「子供っぽい」言い訳を耳にして、里伽子の「本音」に隠された意図を見逃がしてしまいます。
拓の認識と里伽子の本音の「ズレ」を、「アニメ版」のセリフに手を加えて、筆者なりに書きだしてみるとこうなります。
拓の認識「(大金を落としたあげく、お金を同級生の男の子に借りたことが)ママに知れたら 叱られるからよ」
里伽子の本音「(拓を騙して借りたお金で東京行くのが)ママに知れたら 叱られるからよ」
同じセリフなのに、それぞれまったく違った意味でとらえる2人。拓と里伽子の認識のズレは、拓が里伽子の秘密を松野に打ち明けて、「秘密の共有」を解除するシーンにもあらわれています。
里伽子の認識「杜崎くんて 男のくせにけっこうおしゃべりなのね」
拓の本音「おしゃべりではない(松野との友情の危機だから仕方なく秘密を打ち明けただけ)」
拓は、里伽子への「好意」と松野の「友情」を共存させるために、「友情」を優先します。
以前考察したように、拓にとって松野との「友情」を優先させることは、拓にとって最も大切な「行動原理」でした。(松野の話から)「里伽子と松野が恋人同士でない」ことを知った拓にとって「秘密の共有」の解除は、里伽子に対する芽生え始めたばかりの「好意」と、松野への「友情」を共存させるために「やむにやまれぬ」行為であったのです。
ですが、この時点で拓の「愛情より友情」を優先する「行動原理」を知らない(のちに最悪の形で知ることになる)里伽子は、拓の行動に対して「お節介」という感情を抱きます。
(松野についての考察でも指摘したように、里伽子はこの時にお金を貸してくれた松野に対しても同じように「お節介」という感情を抱きます。ただ、拓と違い、松野はこの後、里伽子との接点がなくなったことに加え、拓のような「感情の応酬」を里伽子と持つ機会がなかったこともあり、失恋という悲劇を迎えることになります。)
里伽子の拓に対する「お節介」という思いは、拓を騙したことへの「うしろめたさ」(罪悪感)とともに、里伽子が拓に好意を抱き始める「時期」を遅らせてしまうのです。
里伽子の秘密に関わる2人の認識のズレーそれは、里伽子と拓の「好意」のズレにつながっていくのです。
最後に、ハワイへの修学旅行でのディナーパーティーにおいて、拓を非難したあとの里伽子の心の内をのぞいてみましょう。
なによ。杜崎くんって。(「東京行き」を知られたらママに叱られるから)誰にも言わないでって言ったのに、もう松野くんにしゃべっちゃうなんて。あたしが「嘘」をついて騙そうとしているのに、あたしのことを心から心配してくれて、とってもいい人だと思ったのに。ほんと、がっかりだわ。杜崎くんも松野くんも「お節介」もいいとこよ。
でも、杜崎くんとホテルのロビーで話していたとき、なんだかあたし、とても素直な気持ちになれた気がする。あんな気持ちになるの、こっち(高知)に来てからはじめてだったな。杜崎くんと話をした時のようにクラスのみんなと話ができたらよかったのに。
そんな杜崎くん(と松野くん)をあたしは騙してしまった。
あたしは、たとえ他人を騙しても、どんなヒドイことをしても、東京にいるパパのところに帰りたいって、あのとき決心したんだ。だから、もう振り返らない。(でも、心に刺さったトゲのように、杜崎くんのことが引っかかるのはどうしてなんだろう?)
ママに内緒で東京に行くための"口実"、どうにかして見つけないと…
今回、里伽子が拓に嘘をついてお金を借りるシーンにおける里伽子の3つの感情である「嘘から飛び出た本音」・「うしろめたさ」(罪悪感)・「お節介」について考察しました。
次回、「アニメ版」の山場である東京行きのシーンを考察する前に、里伽子にまつわる「ある女の子」について考察してみたいと思います。
今回のまとめ
ハワイへの修学旅行で里伽子がお金を借りるシーンについて
里伽子は、拓からお金を借りる口実を考えていなかった。とっさに「不自然な口実」(嘘)を口にしたことがきっかけで、里伽子は拓に「本音」をさらけだすことになった。
里伽子にとって、拓に嘘をついてお金を借りたことで、拓への「うしろめたさ」(罪悪感)を抱くきっかけとなった。里伽子の「うしろめたさ」は、なかなか解消されず、2人の相手に対する「好意」の度合いに大きな「ズレ」が生じてしまった。「好意」のズレは、拓と里伽子の高校時代において解消されることなく、のちに終局を迎えることにつながってしまった。
里伽子は、拓からお金を借りる際、拓に「秘密の共有」を求めたが、拓は松野との「友情」を優先するために、「秘密の共有」を解除してしまった。
拓の行動原理を知らない里伽子は、拓の行動を「お節介」だと感じた。
「お節介」という思いは、「うしろめたさ」とともに、里伽子が拓に好意を抱き始める「時期」を遅らせたうえに、里伽子と拓の「好意」のズレにつながった。
※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。