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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その17 DVD版ディスク2イラストの謎を探るーインタールード2ー
タグ: #読書の秋2021 ,#海がきこえる,#海がきこえるⅡアイがあるから,#氷室冴子,#スタジオジブリ,#アニメ,#小説,#考察,#ネタバレ
感情のミッシングリンクー本編未登場シーンの意味とはー
前回、拓と里伽子の「東京行き」最後のシーンを考察しました。
今回、クライマックスシーンに向かう前に、「インタールード」(幕間劇)その2ということで、作品の中で描かれることのなかった「あるシーン」について考察してみたいと思います。
そのシーンとは、「アニメ版(DVD)」のディスク2の表面の「桂浜(かつらはま)で海に向かって何か(石?)を投げている拓と、砂浜にしゃがみ込んで海を見つめている里伽子」が描かれているシーンのことです。
このイラストのシーンは、「小説版」・「アニメ版」本編において描かれることのなかった未登場のシーンです。このシーンがいつの出来事なのか?このシーンから読み取れるものは何なのか?見ていきたいと思います。
※今回のタイトル画像は、筆者が所有する「ジブリがいっぱい COLLECTION『海がきこえる』」のDVDディスク2を筆者が撮影したものです。
ディスク2のイラストは、具体的に何を意味しているのか?
まずは、ディスク2のイラストを5W1Hで分解してみましょう。
1つ目「いつ」について、拓と里伽子の東京行きのあったゴールデンウィーク(GW)期間中の3日間の出来事だということです。
「アニメ版」では、GW期間中とあるだけで具体的な日付が不明なのですが、「小説版」の記述から、拓が小浜から電話をもらったのが「4月29日」であることがわかります。(「海きこ」第四章 114ページ)
その日を起点にして考えると、拓と里伽子が高知に帰ってきた日付が「5月1日」であると推定できます。
(1日目:自宅→高知空港→羽田空港→浜松町→新宿→成城学園前(里伽子の父親のマンション)→新宿(拓の泊ったホテル)、2日目:新宿(ホテルで岡田と会う)、3日目:新宿→浜松町→羽田空港→高知空港→「桂浜」→自宅という流れです。なお、朝早い時間帯に東京を出れば、お昼ごろには桂浜で散歩することが充分に可能であることを記しておきたいと思います)
つぎに具体的な時間帯を見ていきましょう。「アニメ版」にはないのですが、「小説版」に拓が、自宅に帰ってきたのが「昼すぎ」という記述があることから、拓と里伽子が桂浜に着いたのが少なくともお昼ごろだということが推定できます。(「海きこ」第四章 174ページ)
「小説版」の記述にこだわらないのであれば、少なくとも5月の日の入り「18時50分ごろ」より前の時間帯です。
参考:「日の出・日の入りマップ」(高知県)
https://hinode.pics/state/code/39
参考:「海がきこえるを歩く」
http://akinori-naka.a.la9.jp/
2つ目「どこ」について、場所は「桂浜」です。
高知の有名な観光名所であり、太平洋を眺める「坂本龍馬像」のある場所として知られています。
拓の自宅のモデルとなった「五台山」地区から、浦戸湾をはさんでちょうど真南に位置しています。
(具体的なロケーションについては、過去の考察記事のマップをご覧ください。)
松野「1時間あったら桂浜行って散歩までできるやんか」
「アニメ版」、高知に帰省した拓をクルマで空港に迎えに来た松野が、拓を自宅に送るまでの車内で、「高知・東京・京都」の距離と時間の感覚の違いを話すシーンがあります。松野のセリフから、桂浜は拓や松野たちにとって、気軽に散歩に行くことができる場所だということがわかります。
参考:「高知県の観光情報ガイドよさこいネット」(桂浜)
https://www.attaka.or.jp/kanko/dtl.php?ID=702
3つ目「誰に」ついて、言うまでもなく拓と里伽子です。
2人の服装が東京行きに着ていた衣服と同じことから、「2人の東京行きのシーンのもので、高知に帰ってきた2人がそのまま桂浜に向かった」と推定できることがわかると思います。
4つ目「どのように」について、高知空港からタクシーかバスを利用して桂浜に向かったと推定できます。
5つ目「何を」について、拓は海に石を投げる、里伽子はしゃがんだ姿勢で海を見つめる様子がイラストから読み取ることができます。
筆者としては、里伽子を勢いで桂浜に連れてきたものの、自分から会話の糸口を見つけることができず、苛立ちにまかせて海に石を投げる不器用な拓の姿が描かれているように思えてなりません。
そして、6つ目「なぜ」についてですが、「なぜ拓と里伽子が高知に帰ってきたあと、桂浜に向かったのか?」を考察する上で、まず、本編における前後のシーンについて見ていきたいと思います。
「アニメ版」省略された前後のシーンから桂浜行きの動機を探る
「アニメ版」において、叔母の家に行くといってホテルの部屋の里伽子が出ていったのち、場面はいきなりGW後の学校のシーンになります。しかし、前回の考察で少し触れたように「小説版」において、このシーンの間に、いくつかの短いシーンが(「アニメ版」のように省略されないまま)挟み込まれているのです。
〇東京行き2日目、里伽子が叔母の家に行くといってホテルの部屋を出る。
〇東京行き3日目、里伽子の待つ羽田空港に行く。空港で里伽子の口から今回の東京行きが里伽子の母親と学校にすでにバレてしまったことを聞く。
〇拓は、学校はともかく、松野に誤解されるとマズイと内心動揺する。
〇(この間に、拓と里伽子は桂浜に向かう。)
〇お昼過ぎに高知の自宅に帰宅する拓。母親から(軽い)説教をされる。
〇GW最終日に、拓と里伽子は、お互いの母親とともに学校に呼び出されて(軽い)説教をされる。
大事なことは、「小説版」において、拓と里伽子が東京から高知に戻る前に、高知において新たな「困難」(東京行きが学校にバレてしまっている)が2人を待ち受けていたということです。
それに加えて、里伽子は東京行きで(立ち直りを見せていたものの)傷つき、拓自身も親友である松野に里伽子との東京行きを誤解されでもしたら困ると動揺していました。
拓と里伽子の桂浜行きは、そのような状況の中行われたと推定されるのです。前後のシーンの状況を踏まえて、拓の桂浜行きの動機を考えてみると、
〇東京行きで傷ついたままの里伽子を励ますため。
〇「小説版」において、東京行きが学校と両親にバレたことで動揺する(拓自身の)気持ちを静めるため。
〇「小説版」において、(高知に馴染めない)里伽子を色々なところに連れていってあげたいという(拓の)ささやかな願望を実現するため。
これら3つの動機が考えられます。拓はこれらの動機に基づき、里伽子を桂浜に連れて行ったと推定されるのですが、果たして意味があったのでしょうか?
桂浜行きの意味ー桂浜行きを忘れる?里伽子
さて、考察の対象とした拓と里伽子の桂浜行きでしたが、「小説版」に驚くべき記載があります。
里伽子「(略)初めてだろうからって、午後中ずっと、車で、あちこち連れまわってくれたの。桂浜とかね。あたし、桂浜もいったことないままだったから」
拓「そうか……」
「海きこ」第六章 287ページから288ページより引用
これは、「小説版」において、大学生になって初めて高知に帰省した里伽子が、松野にクルマであちこち連れて行ってもらったときのことを拓に話すシーンの里伽子のセリフです。
「小説版」の設定を踏まえるなら(松野に連れて行ってもらうまで)驚くことに里伽子は桂浜に行ったことがないことなります。
ただ、「小説版」の里伽子のあと、言葉を濁す拓のセリフから、「(東京行き)の動揺が(あの時点で)まだ残っていた武藤は、桂浜に連れて行ってあげたこと覚えていなかったんだ」と解釈できなくもありませんが。
それでは、今回の考察、無意味だったのでしょうか?
「小説版」の里伽子のセリフを踏まえるなら、拓にとって里伽子を桂浜に連れて行ったことは、あまり意味をなさなかったと言えるかもしれません。
ですが、里伽子にとって、桂浜行きは意味のあった出来事だったと筆者は考えます。
その理由は、桂浜行きの時点で、拓と里伽子で、お互いに対する好意の段階が大きく異なっていること(この時点で拓の方が里伽子に対する好意を強く持っている)にあります。
拓は、東京行きを経て、里伽子のワガママな性格や、里伽子に振り回されることすらも、里伽子という女の子の「個性」として受け入れるまでになりました。ただ、高知に戻ってきた拓は、再び松野のことを思い出し、里伽子への想いよりも松野との友情を優先させようとします。
里伽子の場合はどうでしょう?「インタールード1」で考察したように、東京行きを経て、拓のお節介がただのお節介でないと気づき始めていました。東京での「居場所」をなくした里伽子にとって、拓は唯一の「居場所」になっていたと考えます。
一方で、里伽子は(自分に対して)本音をぶつけてきて、(里伽子自身の)ヘンなところばかり見る拓のことをイヤだと思うー「愛憎入り混じる存在」だと思っていたのです。
東京の父親のことで傷ついていた里伽子にとって、桂浜行きは、(2人で砂浜を散歩するだけだったのかもしれませんが、)お風呂で寝るような不器用な拓の優しさが感じられてうれしかったに違いありません。
それが、里伽子の拓への「愛憎」の「愛」の部分を強めることにつながったのではないかと筆者は考えます。
(なぜなら、次回考察する里伽子の平手打ち(ビンタ)は、拓への「好意」から来る松野に対する「嫉妬」なしには起こりえないと思うからです)
今回、DVDディスク2のイラストについて考察しました。(インタールードに関わらず、また長くなってしまいました)
次回、拓と里伽子が激しい応酬を繰り返す衝撃のシーンを考察したいと思います。
今回のまとめ
DVDディスク2のイラストについて
「小説版」と「アニメ版」に存在しないシーンを描いたイラスト。
「小説版」と「アニメ版」の描写からGW中の5月1日、東京行きから帰ってきた拓と里伽子が桂浜を散歩するシーンだと推定できる。
「小説版」の里伽子のセリフから、このイラストの場面と矛盾するという見方も成り立つ。
桂浜行きは、拓にとって意味をなさなかったが、里伽子にとって不器用な拓への好意を強めることにつながった。
※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。