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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その22 「アニメ版」同窓会シーンに隠された意図
タグ: #読書の秋2021 ,#海がきこえる,#海がきこえるⅡアイがあるから,#氷室冴子,#スタジオジブリ,#アニメ,#小説,#考察,#ネタバレ
前回、拓の高校時代の回想の最後のシーンである「学園祭の出来事」について考察しました。
今回、「アニメ版」、高知に帰省した拓が出席する同窓会(「小説版」ではクラス会)に隠された意図について考察したいと思います。
いきなり、同窓会の考察に入る前に、「アニメ版」の「第2のターニングポイント」である松野の迎車と散歩のシーンについて少し触れてみたいと思います。
「ちょっと散歩せんかや」ー拓が自分の気持ちに正直になれた瞬間ー
「アニメ版」、高知に向かう飛行機の機内における拓の長い回想がようやく終わりをむかえます。飛行機から降りた拓は、高知空港のロビーを歩きます。空港出入口に向かう中、拓は「画面右手外」に顔を向けます。
拓の視線の先に何があったのか、映像で明確に描かれていません。ただ、このシーンの空港の背景は、拓が里伽子の東京行きにつきそうことを決めたシーンの背景を流用したものです。それを踏まえて考えると、拓は、1年前のゴールデンウィークの東京行き前に里伽子が座っていた「円形の待合ソファー」を見ていたと推定できます。
里伽子との思い出の残る待合ソファーを懐かしさから見たのか、それとも、いまだ拓の心は、高校時代の回想に飛んだままなのか、解釈がわかれるところですが、空港を出た拓を待っていたのは、クルマで拓を空港に迎えに来た松野の姿でした。
松野の運転するクルマに乗って自宅に向かう拓は、車内での松野との会話の中で、「東京と京都の文化圏の違い」に話が及びます。かつての親友同士の何気ない会話ですが、「アニメ版」では、ここに「東京(京都)と高知の違い」についての言及が加わっています。この会話は、同窓会シーンのある会話の「伏線」になっています。
松野のクルマで自宅に着いた拓は、松野から学園祭の時に殴ったことの謝罪を受けます。松野の「無料迎車」の意味をたちどころに理解した拓は、松野を散歩に誘います。
松野「あの時 おれが怒ったがは お前がおれに遠慮しよったのがわかったきぞ」
夕方、海沿いの港を散歩する演出は、「アニメ版」独自のものです。
(「小説版」で、松野のクルマで自宅に着いた拓は、散歩に行かずにクルマの側で松野の謝罪から始まる話を聞いています。)
「アニメ版」でこのような演出に変更になったのは、「アニメ版」の構成上、松野との散歩のシーンが主人公である拓にとって、「重大な決意」をする「第2のターニングポイント」になっているからです。
以前考察したように、「小説版」と「アニメ版」の大きな違いの一つに、大学生となった拓と里伽子が東京で再会を果たしているかという違いがあります。
「小説版」において、大学生の拓が高知に帰省する段階で、すでに里伽子と再会を果たし、2人は「つき合い始めている」段階にあります。そのため、「小説版」のこのシーンは、松野の謝罪を聞き、松野との友人関係を修復するシーンの意味合いが強いのです。
しかし、「アニメ版」において、高知に帰省する段階で拓は里伽子と再会できていません。(アニメ冒頭の駅のホームで見かけてますが)
いまだ里伽子と再会して自分の気持ちを伝えていないゆえに、拓にとっても、「視聴者」にとっても、拓が本当の自分の気持ちを里伽子に伝えたいと決意するシーンが必要になってきます。
松野「あのときまで気がつかんかった…お前が武藤を好きやったこと」
拓は、松野から学園祭で殴ったことへの謝罪とその理由を聞きます。
松野が「拓が里伽子を好きという事実」を受け入れたことを、友情を再開させた松野の口から直接聞いたことで、拓は(ようやく)自分の本当の気持ちに素直に向き合うことができるようになったのです。
「里伽子が大好きだという想いを里伽子に直接会って伝えたい」
「アニメ版」において、拓が”本当”に里伽子を好きになったのは、この瞬間であると筆者は考えます。
そして拓の「重大な決意」を「視聴者」に印象づけるために、「アニメ版」は演出を変更して、(わざわざ)拓と松野が港のコンクリートの堤防の上を散歩しているのです。(夕方といえ、夏の暑い中ご苦労なことですが)
「遅いにゃ…」ー同級生たちの”告白”タイムが「視聴者」に伝えたかったものー
松野と散歩した翌日夜(夕方)、拓は同窓会に出席します。
「小説版」も「アニメ版」も、松野と和解した次のシーンがこの同窓会(「小説版」はクラス会)のシーンになるのですが、同じ同窓会のシーンでもよく見るといくつかの微妙な違いがあります。
「アニメ版」の同窓会は、山尾(アサシオ)の"活躍"と、里伽子が東京に帰ったことが判明して、「視聴者」をガッカリさせる(エンディングの驚きのための伏線なのですが)印象を持ちます。
ですが、「アニメ版」の構成や演出の変更の影響から、「小説版」にない、いくつかの隠された意図がこの同窓会のシーンに込められているのです。
まず、同窓会の開催日が「アニメ版」において、拓の帰省した日の「翌日」に変更されています。(「小説版」で、クラス会は、帰省したその日の開催で、寝坊した拓はクラス会に遅刻しています。)
言うまでもなく同窓会の日付が変更されたのは、拓と里伽子をすれ違いを演出し、エンディングで再会させる(ことで「視聴者」をより感動させる)ためです。
ついで、「アニメ版」において、"なぜか"クラスが違うはずの松野が同窓会に参加していることを挙げることができます。(拓と松野は中学・高校の6年間一度も同じクラスになったことがない設定です。)
「小説版」のクラス会の名称が同窓会に変更されたのはこれが理由です。クライマックスシーンに松野を登場させるための変更だと推定できるのですが、実は、同窓会で「松野が山尾の席をはさんで拓と一つ隣の席に座っている」ことから、もう一つの理由が隠されていることがわかります。(それはつぎに考察します)
そして、「アニメ版」同窓会の隠された意図の1つが、同窓会に参加した同級生たちが次々に告白している場面に、「小説版」になかった意図が加えられている点です。
そうか、告白タイムはアテ馬で、みんなの本心は、だれが自分のエリアの子か見極めておいて秋からに備えるわけか。そりゃあ、関西組の男が東京組の女を好きになっても、いろいろ障害があるだろう。学生で、新幹線の恋愛をやるわけにもいかないし。
「海きこ」第六章 275~276ページより引用
「小説版」で拓は、同級生の清水(学園祭で里伽子をつるし上げていたリーダー格の女子)から、クラス会の裏テーマと告白タイムがある種の「遊び」であることを教わります。
ですが、「アニメ版」において、同級生たちは「小説版」と同じように告白タイムを迎えるのですが、「遊び」でなく「本気」で相手に告白し、(なんと)カップルが誕生しているのです。
清水「今な 山本くんが突然告白したんよ 実は西村さんが好きやったちゅうて」
拓「へえ やるじゃん」
清水「どうやら カップル成立のようやね」
同級生たちの告白でカップルが成立した勢い(と飲み物の勢い)をかりて、山尾が告白相手である小浜が同窓会に来ていないにも関わらず、小浜への想いを周囲に告白します。
(「小説版」では、拓がクラス会に来た時点ですでに小浜はクラス会に出席しており、山尾といい雰囲気になっています)
山尾「よーし おれも思い切って言うちゃおう」
山尾「じ、実はおれ 小浜裕美がずーっと好きじゃった」
「アニメ版」で、拓の同級生たちはなぜ本気で告白しているのでしょうか?山尾に至っては、なぜ告白相手である小浜がいないにも関わらず想いを告白しているのでしょうか?
それは、同級生が告白しカップルが成立したことで、(クライマックスシーンで)拓が里伽子に告白してカップルになることという「期待」を(無意識のうちに)「視聴者」に持ってほしいからです。
そして、山尾がまだ同窓会に来てもいない小浜への想いを告白したのは、たとえ相手が目の前にいなくても、自分の本当の気持ちを伝えることの「意味」を(いまだ里伽子に好きだと伝えずにいる・結果として高知で里伽子と再会できなかった)拓と「視聴者」に気づかせるためです。
また、一方で目の前にいない相手への想いを山尾が告白したことは、「ひょっとして里伽子も同窓会に参加しないかもしれない」という「謎」を(無意識のうちに)「視聴者」に提示する意図もあります。
里伽子は果たして同窓会に参加するのか?ー「アニメ版」同窓会の告白タイムは、拓の告白を後押しするかの印象を「視聴者」に与えようとしています。ただ、山尾が"倒れてしまった"ことで、その意図がやや隠されてしまったようにも筆者は思えるのです。
空席になった山尾の席に座ったのは、里伽子を学園祭でつるし上げた女子たちのリーダー格だった「清水」でした。
「武藤 ひょっとして東京じゃないがか」ー清水が拓と松野の間に座った理由ー
拓が倒れた山尾を介抱している間に、空いた席に清水が座ります。
清水は、「昨日(拓が高知に帰省した日に)里伽子とバッタリ会ったこと」と、「里伽子を同窓会に誘ったものの東京に帰ったかもしれないこと」を拓と松野に伝えます。
このシーンの清水の役割の一つが、同窓会に登場しない(まま東京に帰ってしまった)里伽子にかわって「小説版」において里伽子が拓(と松野)に話したセリフを「代弁」することです。
(「小説版」と「アニメ版」を見比べてみるとわかると思います)
拓「はっ!」(アニメ冒頭、駅で見かけた里伽子らしき女の子を思い出す)
拓「武藤 ひょっとして東京じゃないがか」
清水の話を聞いて、拓はとっさに「アニメ版」冒頭の吉祥寺駅で見かけた女の子が里伽子だったことを確信します。以前考察したように、「アニメ版」冒頭シーンにおける「視聴者」に向けられた「謎」がようやく解き明かされたのです。清水の話はさらに続きます。
清水「…なんや お母さんの手前 高知大受けて 受かったんじゃけんど 内緖で東京の大学も受けちょったがやと」
呆れたような清水の話を聞いた拓は口元に笑みを浮かべます。
「小説版」に場面こそ違うのですが、この時の拓の気持ちに当てはまる述懐があります。
そのときすでに、里伽子が東京にきているとは、思ってもみなかった。
そうか、そういうことだったのかとぼくは最初のショックがおさまってくるにしたがって、すこしずつ、おかしくなってきた。
里伽子はそうやって、またひとりでやっちまったのか。
「海きこ」第一章 21ページより引用
それから清水は、里伽子とバッタリ再会した自分が「なぜ再会した途端に里伽子と仲直りできたのか」を拓と松野に語り掛けます。拓と松野は、清水の話をなぜか「しんみり」した表情で聞き続けます。
拓「えーと それはつまり…」
拓「清水は世界が狭かったと 反省しゆうちゅうことか? それで武藤に反発したがやと」
里伽子と仲直りできた清水の話は、そのまま拓と松野にも当てはまることでした。里伽子と清水の関係が学園祭で対立関係にあったように、拓と松野の関係も学園祭で断絶したままでした。
そんな拓と松野が高知に帰省して再会した途端仲直りできたのは、「(高校生の時はお互いに)世界が狭かったからと(お互いが)反省したから」。
拓と松野が「世界が狭かった」と気づけたのは、高校を卒業した拓が東京に、松野が京都に進学したことで「(高知と)違う文化圏」に触れたからなのです。
同窓会の前日、高知に帰省した拓が、松野の運転するクルマに乗って自宅に向かう途中でした「東京と京都の文化圏の違い」の話がこのシーンにつながっていることがここでわかります。
清水が、拓と松野の間の席に座ったもう一つの理由ーそれは、第三者である清水に「里伽子と仲直り出来た理由」を語らせることで、拓と松野に自分たちが「なんとなく」仲直りできた「本当の理由」を気づかせることにあったのです。
「アニメ版」、拓の高知への帰省とは何だったのか?ー自分の気持ちに気づく旅ー
同窓会の会場に、小浜が遅れて駆けつけます。気絶からの"復活"を果たした山尾の活躍ののち、舞台は高知城の夜景を見上げるクライマックスシーンに移ります。
小浜「あ そうゆうたら里伽子 東京には 会いたい人がおるゆうて 言いよったよ」
拓「え?」
小浜「けんど ようわからんがよ 誰に会うが言うてもお風呂で寝る人やと」
小浜の何気なく口にした「言葉」から、里伽子の想いに気づいた拓は、東京で里伽子と再会できることを信じ、ライトアップされた高知城を見つめ続けるのです。
「アニメ版」において、拓にとって高知への(回想シーンを含めた長い)帰省は、学園祭で止まったままだった「時間」を動かし、自分の本当の気持ちに気づくための「旅」だったのです。
これで「アニメ版」の拓に関する考察は終わりです。一方で新たな「疑問」も生まれてきます。
「アニメ版」の里伽子にとって、高知への帰省はどんな「旅」だったのか? 「アニメ版」において、里伽子は拓をいつ好きになったのか?
次回、里伽子の視点にたって、考察していきたいと思います。
今回のまとめ
「アニメ版」松野との散歩と同窓会シーンに隠された意図
「アニメ版」拓が松野と港を散歩するのは、「好きだと想いを里伽子に伝えたい」という拓の「重大な決意」を「視聴者」に印象づけるため。
「アニメ版」の同窓会シーンには、「小説版」と微妙な違いが存在する。
同級生たちの告白タイムに、拓が里伽子に告白してカップルになることという「期待」を視聴者に持ってもらうという意図が加えられている。
拓と松野の間に清水が座ったのは、清水に「里伽子と仲直り出来た理由」を語らせて、拓と松野に自分たちが仲直りできた理由を気づかせるため。
拓の高知への帰省は、自分の本当の気持ちに気づくための「旅」だった。
※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。