
『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その27 小浜 祐実 引き立て役から自立した女の子へーインタールードその4ー
タグ: #読書の秋2021 ,#海がきこえる,#海がきこえるⅡアイがあるから,#氷室冴子,#スタジオジブリ,#アニメ,#小説,#考察,#ネタバレ
前回、里伽子が拓に嘘をついてお金を借りるシーンにおける里伽子の3つの感情について考察しました。
今回、里伽子の東京行きについて考察していく前に、里伽子の高知で(唯一)の友人である「小浜 祐実」(「アニメ版」では裕美)について考察していきたいと思います。「インタールード(幕間劇)」その4です。
「アニメ版」小浜ー拓と里伽子の恋のキューピットと恋の下支え役ー
拓「里伽子にも友だちができた 同じクラスになった小浜裕美という どちらかといえば目立たない娘で(略)」
「アニメ版」において、小浜が登場するのは、ハワイへの修学旅行のシーンの直後です。「アニメ版」で小浜と里伽子が仲良くなる「きっかけ」が明示されていませんが、小浜と里伽子が隣同士の席でお弁当を食べる描写と「小説版」の記述を踏まえるなら、「小説版」と同様に「たまたま」席が隣同士になったことが「きっかけ」だと推定できます。(「海きこ」第四章 112ページ)
この時点で、里伽子は拓(と松野)に出会っていましたが、それは「居場所」といえる存在でありませんでした。同性の友人である小浜こそが、高知に来てからようやく里伽子が獲得した「居場所」だったのです。
「小説版」の記述と比較すると、「アニメ版」の小浜の描写は控えめで、見方によって、「アニメ版」清水の方がひょっとすると視聴者の印象に残るかもしれません。ただ、「アニメ版」の小浜には、「小説版」にない「役割」が与えられています。
それは、拓と里伽子の「恋のキューピット役」となり、2人がエンディングの吉祥寺駅で再会するまでのお互いの想いを下支えするという役割です。
「小説版」において、大学生となった里伽子と拓の再会の「きっかけ」をつくるのは、津村知沙の役割です。
しかし、「アニメ版」において、知沙が登場しないことから、東京行き前の高知空港でのやり取りで、小浜の「里伽子との東京行きを取り止める」という行為は、(「小説版」と同じシーンであっても)里伽子と拓が関係を重ねていくうえで重要な「要素」となっているのです。
(言うまでもなく、小浜が東京行きを止めたことで、拓が里伽子につきそい東京の里伽子の父親のマンションに一緒に行くことになりました。)
小浜の行為は、小浜を「居場所」だと信じていた里伽子にとって裏切りに見えたかもしれません。ただ、小浜が東京行きを取り止めたことで、里伽子の中で拓が新たな「居場所」になっていく「きっかけ」となったのです。
里伽子と拓が東京行きから帰ってきたのちも、「アニメ版」で小浜が2人の東京行きを里伽子の母親に暴露するという描写がないこともあり、以後、小浜は里伽子と友好的な関係であり続けます。
大学生となった里伽子は、高知に帰省した際に再会した小浜に「自分の会いたい人」(拓のことですが)のことを打ち明けます。
小浜がそのことを拓に伝えたことで、拓は里伽子の想いにようやく気づきます。小浜の「一言」がエンディングで再会を果たすまで、拓の里伽子に対する想いを下支えすることになるのです。
「アニメ版」の小浜は、登場しない知沙に代わる「恋のキューピット」でしたが、「小説版」の小浜は物語にどんな役割を果たしていたのでしょうか?
「小説版」の小浜ー里伽子の引き立て役から自立した女子大生へー
「小説版」の小浜は、「海きこ」の第一章から登場しています。
(「海きこ2」に登場しませんが)
「文庫版」の小浜は、拓と同じく東京の大学に進学してきた山尾(アサシオ)の高知時代の「マドンナ」として、山尾の話の中に登場するだけです。
ですが、「文庫版」のオリジナルに該当する「アニメージュ版」では、「連載第2回」から拓と電話で直接会話する人物として小浜が登場しているのです。
拓は、神戸の大学にいった小浜が慣れ親しんだ「高知弁」を一切使わず拓と会話することにショックを受けます。
そして、拓は、高知では里伽子の「引き立て役」だと思っていた小浜が、女子大学生として神戸という新しい環境で「自立した女の子」になろうとしていると、電話での小浜とのやり取りの中で気づいてしまうのです。
「小説版」、とくに「アニメージュ版」の小浜は、友人となった里伽子の影響を受けて、「目立たない子」から「自立した女の子」に成長した人物として描かれているのです。
もちろん、「文庫版」においても小浜の成長が「アニメージュ版」ほどでないにしろ描かれています。ですが、拓の言葉を借りれば、
「女王さまと侍女」
(「海きこ」第四章 113ページ)
「ハイクラスの女子大生」
(「海きこ」第六章 272ページ)
という「外見の変化」が述懐されているだけなのです。
しかし、「アニメージュ版」の小浜は、「外見の変化」のみならず「内面の変化」にまで描写が及んでいます。
小浜の「内面の変化」を生み出したものーそれはのちの「文庫版」において見られなくなった里伽子一家と家族ぐるみのつき合いをしていく中で、小浜が里伽子の強烈な個性に大きな影響を受けていったことにあると筆者は考えます。
「アニメージュ版」の記述(正確には「連載第7回」、山尾が小浜から伝え聞いた話を拓に打ち明けた話)によると、小浜は元々大学進学を希望していたのですが、両親への遠慮もあり、地元の短大に行ければいいと考えていました。
そんな中、里伽子の友人として接していくうちに、小浜は、里伽子と一緒にいると(自分自身に対して)自信が出てくるようになったとする「里伽子からの影響」についての言及があるのです。
里伽子の影響で自信が持てるようになった小浜は、地元高知に残ることなく、神戸の女子大に進学しています。そして、先に書いたように「連載第2回」、拓から(里伽子の所在についての)電話をもらった時点で、すでに小浜は「自立した女の子」として「内面を変化」させていたのです。
大学進学を契機に大きく「外見の変化」のみならず「内面の変化」を遂げた小浜でしたが、その小浜の変化に大きな影響を与えた里伽子本人は、複雑な思いで小浜の変化を見ていました。
「連載第20回」、高知に帰省した当日のクラス会から数日後、帯屋町で拓と会った里伽子は、小浜と山尾が一緒に海に行くことを聞きます。
里伽子は、小浜が神戸の女子大に戻ったら、(東京の医大生である)山尾を「キープ」していることを友達に自慢げにいうのだろうなと想像して、拓にそのことを打ち明けているのです。
(以前考察したように、里伽子の「想像力」はかなり問題があるので、どこまで里伽子の想像が正しいのか、はなはだ疑問でありますが)
(高校時代拓を散々利用した自分のように)山尾の好意を知りながら、東京の医大生という肩書を持つ山尾を「キープ」しようとする小浜。
紆余曲折を経て拓とつき合い始めた里伽子でありましたが、高知に来てズレてしまった「かつての自分」と重ね合わながら、里伽子は、女子大生となった小浜の変化を非難がましく複雑な思いで見ていたように筆者には思えるのです。
「アニメ版」での小浜は(拓同様に)里伽子に利用された女の子として描かれています。一方で「小説版」(とくに「アニメージュ版」)において、里伽子も小浜に利用されていたという側面も垣間見えてくるのです。
大学進学をきっかけに、外面と内面を大きく変化させて「自立した女の子」になった「小説版」の小浜。
(とくに「アニメージュ版」において)かつての面影から想像もできない変化に、拓と里伽子はそれぞれ違った形で複雑な思いを抱くのですが、なぜ「文庫版」で小浜の「内面の変化」は、描かれなくなってしまったのでしょうか?
小浜の「内面の変化」がとりのぞかれた理由ー小浜の変化がメインストーリーに影響を与え過ぎたからー
結論から言えば(例によって、筆者の推定でありますが)、『海がきこえる』の続編(つまり、「海きこ2」)のストーリーに小浜が大きく関係してこなくなったことで、小浜の「内面の変化」を大きく描く必要性がなくなったからであると筆者は推定します。
漫画原作者である筆者が作り手の視点で見た場合、「アニメージュ版」冒頭(「連載第2回」)に小浜を登場させたことは、拓が(高校時代に好きだった)里伽子という女の子のキャラクター(個性)の外堀を埋める上で大きな意味があったと思います。
拓のみならず、小浜の口から里伽子という女の子を語らせることで、「第三者の視点」が担保されるとともに、里伽子の個性をより立体的に浮かび上がらせることができます。
また、高校時代から大きく変化した女子大生の小浜の変化を拓に述懐させることで、第一章である「フェアウェルがいっぱい」という表題を印象づけるとともに、小浜と違って、高校時代に(好きだった里伽子の存在に)どこかとらわれたままの拓の葛藤を読者に提示する意味もあったと思います。
作者である氷室冴子先生なりに意図があっての小浜の「変化」だったと筆者には推定できます。
ただし、その後、アニメージュで連載が進んでいくにつれて、大学生の拓のアパートを訪ねてきた山尾との会話や、拓の高校時代の回想に小浜が登場するに至り、(高校生から女子大生への)小浜の「変化」が、主人公である拓やヒロインの里伽子以上に、読者に「わかりやすくなおかつ必要以上に」提示されてしまったのです。
物語において、読者(視聴者)に誰よりも感情移入してほしいのが、主人公であるのは、筆者が指摘するまでもありません。また多くの物語においてもっとも変化する人物が主人公であることも言うまでもないことでしょう。(もちろん、あえてあまり変化しないキャラクターが主人公になる場合もあります)
小浜は、「アニメージュ版」において、物語上、拓や里伽子以上に外面と内面を「変化」してしまったのです。そして、先に書いたように、小浜の変化にひきずられるように、里伽子は小浜に複雑な思いを抱き、非難めいたことを拓に口にしてしまいます。
東京で拓と里伽子は、お互い好きだという気持ちを伝えあい、つき合いはじめたばかりだというのに(なにより拓と里伽子は、高知城の夜景を見ながら〇〇したばかりだというのに)、小浜の変化が原因となって、イヤな空気が拓と里伽子の間に流れてしまったのです。
里伽子のイヤな側面が強調されてしまったのは、致命的だったと筆者に推定できます。
作者の想定した以上に、キャラクター(この場合小浜のことです)が勝手に動き出して物語やシーンに思いがけない変化をもたらすことは、創作において、よくあることです。作品が未完成であれば手直しすることが可能ですが、雑誌連載となれば、途中で手を加えることが難しいのです。
アニメージュでの雑誌連載を終えた氷室冴子先生は、「海きこ」の単行本化と続編「海きこ2」の制作にあたり、小浜の変化が(過大に)拓と里伽子(のメインとなる2人の恋愛)に大きな影響を及ぼさないように作品に手を加えたことが考えられます。
「アニメージュ版」で描いた小浜の「内面の変化」をとりのぞき、「文庫版」にある「外面の変化」に留めることで、『海がきこえる』シリーズにおける小浜の役割を、より小さいものへと変化させたかったのではないでしょうか?
「アニメージュ版」小浜の(余分な)個性をそぎ落とし、新たな役割まで与えられた「アニメ版」小浜は、作者である氷室冴子先生が「アニメージュ版」を単行本化していくうえで、1つのベンチマークになったのではないかと筆者には思えるのです。
最後に、小浜と小浜をマドンナと恋い慕う山尾との恋愛がどうなっていくか考えてみたいと思います。
小浜は、「造り酒屋の娘でお嬢さん育ち」(「海きこ」第四章 128ページ)という設定です。一方の山尾は、「医者(個人病院)の一人息子(妹がいる)」(「海きこ」第四章 108ぺージ)という設定です。
拓たちの通っていた学校は私立の中高一貫校で、わりと裕福な家庭の子供が入る学校という設定(「海きこ」第二章 30~31ページ)であることから、小浜も山尾も実家が高知で名の通ったいわゆる「名士」の家であることが推定できます。
そんな家に生まれた2人が(めでたく?)結婚という流れに向かった場合、当人同士よりも家同士でもめる可能性が充分に考えられます。
「アニメ版」や「文庫版」のように、小浜と山尾がイイ感じになりそうな雰囲気があれば、まだ救いがありそうですが、「アニメージュ版」の里伽子が想像するように、小浜が山尾を「キープ」扱いにしたあげく、フタマタでもかけようものなら、家同士のメンツの問題にもなって相当こじれてしまうのではないかと思えてなりません。
拓と里伽子のように、お互いの両親が相手の家庭の事情や子供のことをすでに知っていて、しかも好意的に見ている(拓の場合、里伽子の義理の母(になるだろう)である美香さんにも好青年と思われている)。家同士でこじれる要素が見当たらないのが「ある意味でレアケース」なのかもしれませんが。
今回、『海がきこえる』シリーズにおける小浜の「役割」の違い(と山尾との恋愛)について考察しました。
次回、いよいよ運命の東京行きを実行する里伽子について考察していきたいと思います。
今回のまとめ
『海がきこえる』シリーズにおける小浜の「役割」について
「アニメ版」の小浜は、里伽子と拓の恋のキューピット役となり、エンディングでお互いが再会するまでの2人の想いを下支えする役割を果たした。里伽子とも終始良好的な友人関係にあった。
「小説版」の小浜は、里伽子の「引き立て役」から「自立した女子大生」へと外面・内面ともに変化したことが特徴。特に「アニメージュ版」において、「内面の変化」が顕著であり、小浜の変化が里伽子と拓の恋物語にも影響を及ぼすほどであった。
それゆえに単行本化にあたり、小浜の「内面の変化」に関する描写をとりのぞき、小浜の役割を小さくすることで、小浜の変化を「外面の変化」に留めたたと考えられる。
※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。