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241025 花火の打ち上げを見て、愛を悟ったかもしれない

神戸ではこの5日間、連日花火が上がっていた。

何事かという感じだが、コロナ以降秋の風物詩で始まった花火ウィークである。ここ数年の神戸では割と定番でジモティにはお馴染みの行事の一つ。それぞれは15分ずつほどでコンパクトなボリュームだが、かなり賑わう。

夏に大規模な花火大会があったけれどコロナで延期を重ねた結果、動員の分散もかねて平日に数日に分けて行う形に変化したものだ。

港のすぐ近くに住んでいる私にとって、ものすごくアドバンテージのあるナイスなイベントであり、5日間全てのプログラムを満喫できる。

そしてクライマックスの本日、なぜか今年の私は気合が入っていて数日の<下見>を経てここぞとベビーカーごと穴場に潜り込んで鑑賞することにした。


大音量の音楽に合わせて、花火が上がっていく。何度見ても、花火玉の爆発音は風情があるし、綺麗だなあと思う。


埠頭で鑑賞したので、花火船も見えた。

花火本体ではなく、船からの打ち上げシーンを観察できたのは5日連続参加のゆとりだろう。

ふと花火師の方を意識した瞬間だった。


5日間、違う音楽に合わせて違う花火が上がっているが、
5日間、違う音楽に合わせて違う花火を上げているんだな、
あの方達は。

どんな音楽にしようか。
どのタイミングに打ち上げようか。
どんな花火だまにしようか。
こんな色の組み合わせを作ってみようか。

そんなことを企画して、火薬を詰め込んで、実験を繰り返したりして。

みんな楽しんでくれるといいなあなんてきっと考えながら
準備してくださったんだなあ。なんて想像してしまった。

そんな気づきで、船から突き上げる、地味な打ち上げの連続を見ていたら涙が出てきた。

ああ、ありがとう。打ち上げのところをみえていないと、こんな当たり前のことにも気づけなかったなあ。なんて綺麗すぎることを思ってしまったのだけれど、実際そうで。

こんなに感謝できた最中での花火大会の景色はそれはそれは、素晴らしくて。

毎日毎秒、こんな気持ちで誰かに森羅万象に感謝できていたらそりゃあもう生きているだけで幸福に満ち溢れるだろう。とまで悟ってしまった。

自分のことでいっぱいいっぱいで、なかなかそんなことが難しいんだけれど。

すごいなあ、ゆとりがあって、優しくいられるあの人たちとの差って、こういう感情の沸点が低いところだったりするんだろうな。という妙に納得のいく気づきを得た。

それが今年の花火大会最終日。







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