モノが壊れる時は、人生の潮目の変わりどきにリンクする
・なにかモノが壊れるとき
・なにか新らしいモノを取り入れるとき
というのは、「なにか人生のなかの転換期」というか、「人生の潮目の変わるとき」を表していることがある。
これまでもそうしたことはあったが、3月に入ってすぐの火曜日、自分が普段使っているメガネのプラスチックのテンプル部分がぽきっと折れた。このメガネは、先セルの部分がポロポロになって2022年にJINSのショップで先セル部分を交換したモノだ。
もともと2016年の1月にオンラインで注文したモノでかれこれ8年目に突入したもので、この年は母が亡くなった翌年で、家事と家のことへの負担が増えてきた最初の年であった。
その間にNLP心理学への学びを深めつつ、コーチングスキルを磨き、このスキルを使ってビジネスをするための自分なりのコンテンツ(サービス)を作り始め、準備をひたすら行なった。
その後父の体調管理やら、コロナ禍には父の介護が同時に起きて亡くなってからは諸々手続きやらで自分の時間が取れなくなっていた。
終わった頃には仕事を再開する準備をするも、身体的に疲れていたのだと思う。「自分は本当にできるのだろうか?」と自信も失いつつあった中、生活習慣を改め、自分自身でセルフコーチングを行いメンタル調整をして少しずつ自分自身の人生を新たな形で歩み始めたところだった。
といわれることがある。
それは、私たちが「過去の体験の記憶をそのモノに結びつけて記憶している」
ということです。
私たち人は、体験した過去の出来事を五感の感覚と一緒に記憶憶しています。私たちの周りにあるモノから五感で受け取っている情報は、無意識的に(気づいていなくても)なんらかの影響を受けています。
その五感の記憶の中には、その時周りにあったモノや風景や、文字や、匂い、周りにいる人の動き、光の強さ、などの五感的な要素がある。そして、モノに蓄積された記憶というのは、特に印象深い意味のある過去の出来事にアンカリングされているという自身の心理状態のこと。
その記憶は過去の体験を呼び起こし、現在の私たちの感情や行動を引き起こします。
自分の周りのモノ、日頃使っているモノ、が壊れる時は、そのモノに紐づけられ、自分自身にとって意味のある過去の記憶や自分自身の刷新、今風にいうと断捨離が起きている。そうしたサイクルは自分自身が意識的に行なって変わる時もあれば、自然の流れでパッと壊れ手放さざるを得ない時もあります。
私の中では昨年末ぐらいから、両親のいた頃の過去、過去の自分ではなく、「未来志向でこれからは過ごそう」という意識が湧いてきていた。父の死から3年経って精神的にそれを受け入れ、自分自身の過去につていも受け入れられるようになってきたのだと感じることが多くなっていた。
そんな時に壊れた自分の愛用眼鏡。
2年前も先セル部分がポロッとして壊れ、直してもらって使っていたがテンプル部分が壊れたらもう買い替えるしかない。もう潮時か、いや手放しどきなのだ。
とある。
どちらかというと、潮目の変わる時という表現かもしれない。
私たちは人生の中で、何かを手放しながら変化を起こしていく。
何かを掴むには、まず手を開いて放さなければ握ることはできない。
実はモノが突然壊れたり、手放さざるを得ない状況になったことはこれまで何度かあった。
一番は、母が亡くなった時
ガス給湯器が壊れ、風呂釜がこわれ、そして私自身も料理の道具をいくつも処分した。
自分がしてきた料理の仕事というものへの執着も、思えば母の影響が強かった。
父が亡くなって、
ソニーの液晶テレビの液晶画面がひび割れし、台所の食器乾燥機が壊れた「
どれも、母父に関連するものが壊れたのは、持ち主が亡くなったことで役目を終えた意味もあるのかもしれない。
自然のサイクルとしても、社会の動きの中でも、春は、年度末で手放しや人生の変わりどきでもある。もし人生の中でなにか変化を起こしたい時には、手放すことを恐れていては変わることはできません。
変わることに抵抗感がなくなると、それまで周りにあったものが変化していきます。そうした出来事に驚き恐れなくても、それが自然の流れなのです。
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